死について

 これもよく取り上げられるテーマでホラー系では欠かせない。というのも人の恐怖は大体この死を起因とするのが多いからだろう。他には未知のもの、得体のしれないものへの恐怖もあるが、死も未知なるものと分類できるかもしれない。

 

 ホラー系では死の恐怖を最大にするにはという効果を考えるが、これは死ではなくその予兆を書くといいと思われる。ビデオをみたら亡くなってしまうとか、その話を聞くと呪いに見舞われるとかがいい例かも。死ぬかもしれないという予兆が最大の恐怖を与えるわけだ。さらに助かるかもという希望をわずかに持たせるのもいい。

 

 逆に死に対する恐怖をなくすためにはどうするかということを考えると

 とある漫画で、妖怪が「満足できる死とはなんだ?」と問い。答えられないと貪り食われるというのがあって、この答えは人のために泥をかぶれることとヒロインが答えるという展開だった。

 妖怪は仲間のために泥をかぶることはせず、人間はできるという対比が描かれていた。

 別の漫画では、人はたやすく死んでしまうがその思いを伝えていくことをテーマにしている作品もある。

 ということで、人は自分の死に意味を見出すことがその恐怖に対抗するということなのだろう。

 

 ……もちろん。そんないい感じの話で終わらせる気はない。


 もう少し思考実験してみたい。例えば、死に対する恐怖をなくすにはどうすればいいのだろう。今から一分以内に亡くなると仮定して。

 一分では他人に対し何もほとんどできないだろうし、突然なので準備もしていないという前提だ。人生において大抵のことは準備が整わないうちに起こりうる。中には常駐必死(今思いついた単語、辞書にはない)というか、死を常に背負っている人なら、準備は整っているかもしれない。


 人は死を認識できないから死を怖がる必要がないという説もある。

 例えば、誰も入眠のタイミングはわからない。眠ったのは起きた後でわかる。なので、眠ることを怖がる必要はないという考えのようだ。前述したとおり、人は死そのものでなくその予兆を怖がると思うので、この考えは考慮しない。


 こうなってくると逆に自分の生が意味ないと考えるのが救いではと思えてくる。

 死は未知であるというと同時に何かを失うことへの可能性の忌避ととらえるなら、意味がないと考えると、何も失わないので恐怖がなくなるという考えだ。

 生に意味ないと考えるなら一分でもできるし。  

 そこで愛する者を残してしまうとか考えたりすると、未練が沸き起こり最後まで恐怖を感じ続けることだろう。 


 DAETH(「死」とは何か イェール大学で23年連続の人気講義 )という本では、生きているよりひどい目にあうことになれば、死の方がましと考えるといった記載があって、興味深かった。


 この死に対する観念を掘り下げると良質なホラーが書ける。かもしれない。








 

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