神よりも人間らしく

猫パンチ三世

第一章 邂逅

第1話 雨空に笑う

 夜から降り出した雨は、朝になっても上がらない。

部屋の中はひんやりとした、何となく水気を含んだ嫌な空気が漂っていた。


「だっる……」

 

 洋平ようへいがベットから体を起こすと、何となく頭が重い気がした。だがそれはいつもの事で、むしろ最近は朝起きて体のどこかに異常が無い事の方が珍しい。

 

 ノロノロとベットから降りると、洋平はいつもより憂鬱な気分で部屋を出た。


「あら、今日は早かったじゃない」


 沢田京子さわだきょうこは、忙しく家事に励んでいた。

 京子は五時には起き、掃除や朝食の用意などを手早くこなす。そんな京子の朝の仕事の中には、息子を起こすというものがあったため珍しく自分で起きてきた息子に驚いていた。


「まあ……たまには」


 寝ぼけたままの洋平は、京子の言葉に適当に返事をし洗面所へ向かう。

 顔をぬるま湯で洗うが気分は晴れず、何となく体調も優れない。洋平はいっそ学校を休んでしまおうかとも考えたが、『体調が悪い気がする』という曖昧な理由で京子を説得できる気がしなかったため諦める事にした。



 洋平が戻ると、リビングに朝食が用意されていた。

 ご飯、目玉焼き、味噌汁、普段通りのよく見る朝の献立だ。


「父さんは?」


「また仕事で泊まり、最近は特に忙しいみたいよ」


 予想していた回答を聞きながら洋平はテレビをつける、画面の中に中年のアナウンサーが映し出された。


 ニュースの内容は、洋平の住む町で起きている連続殺人事件についてだ。

 すでに六人の人間が殺されており、被害者は全員が無惨な姿で発見されている。


「朝から暗いニュースばっかりね」


 京子は心底うんざりした様子で画面を見ている、そう言いたくなる気持ちを洋平は理解していた。

 連続殺人だけでなく、最近では行方不明者が出たり原因不明の不審死が続いたりと洋平の町は何かと暗いニュースが多い。


「あんたも遅くならないように帰ってきなさいよ?」


「分かってるよ」


 京子の心配癖を若干鬱陶しく感じながら、洋平は味噌汁を啜った。


 


 洋平は朝食を食べ終えると部屋に戻り、学校へ向かう準備を始める。

 カバンに教科書などを入れ、制服に着替えだした。


 壁にかけてあったワイシャツは、京子がアイロンをかけてくれているためシワ一つない。

 制服のズボンは昨日脱いだまま床に放っておいたからか、所々よれてしまいシワができていた。足を通すと、心臓が縮こまるほど冷たい。

 最後に紺色のブレザーを着て、高校生の洋平が完成する。


 洋平の高校は、この辺りでは珍しい私服着用を認めている。

 あまりにも派手な物や奇抜な物、卒業式といった式典などの行事では一定の制限が入るが、それらを除いた通常の学校生活では服装に関しての校則などは無かった。


 だが洋平は学校で制服以外を着ようとは思わない。

 自分の服のセンスに自信が無いからだ、何を着ても自分に似合っているという感覚が浮かばない。似合っていると思ったとしても、そう思っているのは自分だけではないのかと疑問を持ってしまう。


 その点、制服はとても気が楽だった。

 制服のセンスが悪いのは、それをデザインした誰かのセンスが悪いから。

 似合っていない制服は高校生として仕方なく着ているのだ……と誰かのせいにする事で、洋平はちっぽけな自尊心を守っていた。

 部屋に置いてある姿見に姿を映す、そこには至って普通の何の面白みも無い男子高校生が映っていた。



 洋平が玄関に向かうと、京子が傘を持って待っていた。

 

「今日は雨が強いから気を付けて」


「……ありがとう」


 京子から傘を受け取り、小さく礼を言って洋平は家を出た。

 

 

 傘を開き歩き出す、大粒の雨は今にも傘を突き破らん勢いでぶつかってきた。

 見慣れた通学路を洋平は一人歩く、道には犬を散歩させている老人や通勤するサラリーマンの姿は見えない。

 誰もいなくなった廃墟の町を歩いているような、そんな感覚を洋平は感じていた。



 学校に着き濡れた靴跡だらけの昇降口を抜け、いつもより滑るような気がする廊下を歩き、洋平は教室に入る。

 教室の中は人の体臭と熱気、そして雨の日特有のほんの少しの生臭さを含んだ空気に包まれていた。


 洋平は何人かのクラスメイトと挨拶を交わし、窓際の自分の席に座る。


「おっす、雨やばかったろ」


「傘が壊れるかと思った」


 洋平に声をかけてきたのは、クラスメイトの音切聡おとぎりさとしだった。小学校からの付き合いで、洋平にとっては数少ない気を許せる友人だ。

 

「……てかなんだよその雑誌」


 聡の手の中にある雑誌は、不安を煽るような暗い表紙の中央に赤くおどろおどろしいフォントで『引き裂かれた六人、犯人は怪物か!?』と大きく書かれたオカルト雑誌のような物だった。


「洋平も読むか?」


「そんな胡散臭い雑誌読まねえよ、どうせ嘘ばっかりだろ?」


「いやいや、それが案外馬鹿にできねえんだよ」


 聡が雑誌をパラパラとめくる、やがて目当てのページが見つかったらしく洋平の机に雑誌を置いた。

 開かれたページには、一枚の写真が載っていた。暗闇の中でぼんやりとだが大きい何かがいるという事を伝えたいらしい、だが写真にその何かの輪郭を縁取るような赤い線が無ければ、ただ暗闇を撮ったものとしか分からない。


「……これじゃなんも分かんねえって」


「まあ待てって、ここ読んで見ろよ」


 聡が指差した文章によれば、写真が撮られたのは五人目の被害者が発見された日の夜で、夜道を歩いていた男性が花壇で動く何かを見つけ撮影した。

 人の倍ほどもある何かはシャッター音と共に逃げ去り、その何かがいた花壇からバラバラになった人間の体の一部が見つかった、という事が記されている。


「怪物がいるんだよ! この町に!」


 声高に語る聡はやや興奮気味だった、だがそれとは対照的な冷ややかな目で洋平は聡を見る。


「……その顔は信じてないな」


「信じろって言う方が無理あるだろ」


 写真は適当な夜道で撮ったと言っても差し支えない物、書かれている文章はそれらしい事を書いているが、情報の出所がはっきりせず曖昧なものばかり。

 これらを材料にこの雑誌の内容を信じる事は、洋平にはできなかった。


「分かってねえ、分かってねえよ! こういうのは信じた方が楽しいだろ!?」


「そうは言ってもなぁ……」


 そう言って洋平がもう一度雑誌を見ようとすると、ちょうど担任が朝のホームルームを行うために教室に入ってきた。

 聡は何か言いたげだったが、雑誌を持って自分の席に戻って行った。



 ホームルームが始まると担任の男性教諭は、殺人事件が起きているため部活がしばらく休みになる事などの連絡事項を生徒たちに伝える。

 部活動に真面目に打ち込んでいる生徒たちからは不満の声が上がったが、洋平は部に所属していなかったため特に何も感じていなかった。


 そこからの学校生活は特別な事など何一つ起きず、ただいつも通りの時間が過ぎていく。

 興味の無い授業を受け、下らない話をクラスメイトとしながら昼食を食べる。そんないつも通りの、ありふれた時間を過ごした。


 

 放課後になりこれといって用事が無かったため、洋平は聡と教室に残って朝の雑誌について話していた。

 聡はあれから何人もの友人に雑誌を見せていたが、いつもの悪ふざけだろうと笑われてしまい、まともに話を聞く者はいなかった。


「誰もまともに聞きやしねえ、まったくロマンが無い奴らだぜ」


「だから言っただろ、こんなの信じる方が無理があるって」


「くそう……」


 聡は机に顔を押し付け落ち込んでいる、洋平はもう一度雑誌を読んでみた。

 連続殺人犯怪物説に始まり、身長二メートルの白い女や空飛ぶ人影などやはり信憑性の無い記事ばかりが載っている。

 とても税込み価格八百六十円を支払って買うような内容ではない。


「まあそんな落ち込むなって、人間が犯人の方がいいだろ? 怪物が犯人じゃ逮捕できねえし」


「そりゃそうだけどよ……」


 聡の視線は近くに置いてあった竹刀に向けられる、彼の所属する剣道部は大きめの試合を一か月後に控えていた。 

 洋平たちの高校は全国優勝経験もある剣道の強豪校で、聡は二年生にして唯一のレギュラーだった。


「せっかくレギュラー取って初めての試合だからな、万全の状態でやりたいだろ?」


「まあな」


 そう言って聡は竹刀を構え、おもむろに素振りをし始めた。その姿を洋平は、少し複雑な気持ちで見る。


 聡は運動神経が良く、中学時代は決まった部活に所属せず様々な部活に助っ人として参加していた。

 そんな噂を聞き付け高校に入学してすぐに様々な運動部から声を掛けられていたが、聡が選んだのは声を掛けてきたどの部活でも無い剣道部だった。


 聡が入部した当初は、上級生はおろか同学年の部員ですら剣道未経験で入部した彼を白い目で見ていた。だがひたむきに努力する姿勢と持ち前の人当たりの良さから、今では彼を嫌う人間はほとんどいない。

 

 絵に描いたような人気者である聡、一方の洋平は至って平凡な人間だった。勉強も運動も突出したものが無く、どちらかと言えば大人しめの洋平は常々自分が聡と一緒にいる事に疑問を持っていた。


「どーしたんだよ、ボーっとして」


「なんでもねえよ、そろそろ帰ろうぜ」


 心配そうに声をかけてきた聡に心の内を悟られないよう、洋平は出来るだけ明るく答えた。

 二人は帰り支度を済ませ、教室の電気を消し昇降口へ向かった。




 雨の降りしきる通学路、前にもしたような話をしながら二人は歩く、事態が急変したのは聡が明日提出する課題の話を持ち出した時だった。


「そういや洋平は明日の数学のプリントやった? もし終わってたら見せてほしいんだけど」


「……プリント? そんなのあったっけ?」


「あったよ、数学の山下が気合入れて作ったーって言ってたやつ」


 洋平は立ち止まり記憶を辿る、課題が出されたのは三日前の事で教科書の指定されたページの問題を解く、という物だった事は覚えている。

 だがプリントがあったかどうか思い出せない、少なくとも洋平は家で数学のプリントを見た記憶が無かった。


「……学校にプリント忘れたかも」


「やばくね? 山下は課題遅れるとめんどいぞ?」


「学校戻って探してくる、先帰っててくれ」


 すでに洋平の家まであと五分の所まで二人は来ていた、洋平は学校まで戻るのが心底面倒だと思ったが山下にネチネチと嫌味を言われる事を考えれば、ここで戻るのも仕方ないとも考えていた。


「俺も戻ろうか?」


「大丈夫だって、パパっと行ってくる」


 聡と別れ、洋平は学校へ戻った。

 昇降口から入り、急ぎ足で二階の教室へ向かう。学校に着いた時点ですでに五時を過ぎており、生徒の姿は無く校舎内は恐ろしいほど静まり返っていた。


 駆け足で教室へ向かい、急いで電気を点ける。

 洋平が机を漁る、すると奥の方に潰れた数学のプリントがあった。


「これだ」


 そんな独り言をつぶやき、少し肩の力抜けた瞬間だった。

 

 教室の電気が消えた、誰かが消したわけでは無い。

 ブレーカーが落ちた時の様な、突然の停電だった。


 洋平は暗闇の中で驚きと恐怖から体を動かす事ができない、静まり返った教室の中で鳴り響く心臓を落ち着かせる事で精一杯だった。


「ふふ」


 か細い、消えるような笑い声が聞こえた。

 洋平は聞き間違いだと思いたかったが、耳の奥には確かに小さい笑い声がこびりついている。


「はあー……っはあ、はあ」


 洋平は混乱した頭の中で、ここからどう逃げ出そうかばかりを考える。暗闇に少しずつ目が慣れだした頃になってようやく、洋平は思い切って廊下に続く扉に向かって走り出す決意を固めた。


 体に力を入れ、呼吸を整える。

 扉に向かって走り出そうとした瞬間、洋平は走り出す事をやめてしまった。


 何かが、おそらくは先ほどの声の主であろう何かが自分の後ろにいる事に気付いてしまったのだ。

 その何かはクスクスと笑いながら洋平の後ろ、二歩も後ろに下がればぶつかる距離にいる。その事を暗闇の中で一時的にとは言え、限界まで研ぎ澄まされた感覚が感じ取ってしまっていた。

 

 もう逃げられない、そんな感情が洋平の頭に浮かぶ。

 それと同時にどうせ逃げられないのならばその何かを一目でも見てやる、そんな考えが浮かんだ洋平は半ば投げやりに振り返った。


 洋平の後ろにいたのは、醜い怪物では無かった。

 白いドレスを纏った美しくあどけない少女だった、少女は薄暗く湿り気のある教室には似合わない出で立ちでそこにいた。


 暗い教室の中で何故か姿がはっきりと浮かび上がる少女からは、神々しさすら感じる。だがその姿を見たせいで、洋平の中に消え去っていたはずの恐怖が舞い戻って来た。


 少女の容姿にではない、暗い教室にいた事も今の洋平には関係ない、洋平は目の前に立つ白い少女が自分を見下ろすほどの身長だった事がたまらなく恐ろしかった。

 

 二メートルはあるであろう少女が洋平を見た。


「グーテンターク、洋平クン」


 白い少女が笑みを浮かべる、その口には肉食獣を思わせるギザギザとした歯が並んでいた。

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