第41話 開演前

「あー、ムカつくムカつくムカつくムカつく!」

「……何が? 八田さん?」

「それ以外、他に何がある?」

「わたしに当たらないでよ」


「はーあ、もう。今から、また長いし……」

「シッ! 先輩達に聞こえるよ。もっとボリュームを落として」

 作られた暗闇の中、わたしとウサコは肩を寄せ合い、座っていた。


 開演30分前。会場となる部室にはスローテンポのBGMが流れ、すでに客入れは始まっていた。

 以下、奥寺さんからの又聞き。部室公演の一番のメリットは、舞台と客席が近いこと。一番のデメリットは、部室に一つしかない出入り口は、当然お客さん用に開放される。そのため、役者陣は客出しまでの平均2時間以上、ずっと舞台袖で待機しなければならないということである。


「はあ……もう! こんな狭い所で最悪」

 ウサコの愚痴が止まらない。

「坊主が掛かってる上に、初舞台だっていうのに本当に図太いよね」


 わたし達は、舞台から向かって左、下手袖に待機していたが、座って足を伸ばせないくらいに狭かった。


「戯曲を見ながら転換の確認をしよっか。あれ、戯曲は?」

 わたしは小声でウサコに尋ねた。

「持ってきてなーい」

 ウサコが悪びれる様子もなく答えた。

「……そんなに坊主になりたいの?」


「だって、セリフなんてあってないようなものだし」

「だから、わたし達には役者の他に《転換ズ》としての仕事があるでしょうが」

「通し稽古に場当たりにゲネプロ……もう、何回もやったから覚えたよ」


「いいから、するのっ」

 嫌がるウサコの首根っこを掴み、わたしの戯曲を見ながら、転換のの確認をした。


 今回のお芝居は、場面が屋内から屋外へところころ変わる。屋外ならベンチ、屋内なら食卓机、椅子、食器、壁掛け時計などを移動させなければならない。加えて、初めとラストの仕掛け。わたし達、転換ズは仕事がいっぱいあった。


「誰よ、この戯曲を書いたの? センスなさすぎ」

 ウサコは口をへの字にして呟いた。

「いや、だから奥寺さんでしょ」

「しかも、坊主て。八兵衛ムカつく」

「ウサコが反抗しすぎなんだよ。ホントに兄妹なの?」


「知らん」

「はあ……まったく。どうしてわたしまで」

 わたしは、外のざわつきが気になり、袖幕の小さな隙間から客席を覗いてみる。

「むむむ」


「どう?」

 ウサコも身を乗り出してきた。

「人のシルエットが見えるだけで、よくわからない」

 わたしは腕時計を確認した。気づけば、もう開演10分前だ。


『いらっしゃいませー』

『こちら、パンフレットになります』

『いらっしゃいませー』

『足元が暗くなっておりますので、お気をつけください』


 多数の話し声と衣ずれの音。

 長い間、暗がりにいるために感覚が研ぎ澄まされていて、それらがいやに大きく聞こえる。

「…………」

 わたしもウサコも、もう口を開かない。


 お客さんがどんどん増えていってるのが分かった。

 もはや、覗き見るまでもない。袖幕一枚に隔たられた向こう側は、お客さんの顔で埋め尽くされていることが想像できる。


 トクン……トクン……トクン……。

 息をするのも忘れそうなほど、胸が高鳴る。

 すぅー、ふぅー。これは練習じゃない、これは練習じゃない。これは本番、練習じゃない。

 わたしは自分に言い聞かせるように呟いた。

 隣のウサコは神妙な面持ちで、じっと虚空を見つめていた。

 さすがのウサコも緊張しているのだろうか。

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