第39話 伝説の衣装

「ほら、早く舞台に上がって」

 戯曲がなんとか間に合った奥寺さんが、出来上がったばかりの客席に陣取っていた。


 わたしは、オドオドと痛くもないお腹に手を当て、〝地あかり〟が照らす舞台に上がる。短すぎるワンピースの裾を引っ張ると、頭の上でカチカチと乾いた音が鳴った。


 わたし達一年生の登場に、客席で見ていた先輩達が沸き立つ。

「おおっ!」「すごいじゃん」「かわいい!」「さすが、プロの仕事だなあ」など、好き勝手な感想や笑い声。先輩達の遠慮のない好奇の視線が、わたしとウサコに向けられた。


 わたしは銀色の手袋、ロングブーツ、ノースリーブのワンピース、頭には先端に星が触角のように飾られているカチューシャをのっけていた。


 隣には、ダークグレーのビジネススーツを着られている感いっぱい、まさにハンガーのように着こなしているコメちゃん。

 さらにその隣には、ウサコが巨大な緑色のひよこ饅頭になっていた。


 初めての衣装合わせ。

 演劇部で言うところの〝衣装合わせ〟とは、本番用の衣装を着用した役者を照明の下に立たせて、全体的な色味や細部を調整することらしい。


 --忘れていた。烏丸部長や奥寺さんが、隠しきれない笑いと共に口にしていた演劇部伝説の衣装のことを。でも、それを着るのはウサコであって、わたしには関係のない話だと思っていた。だから、これっぽっちも心配していなかったんだけど……。わたしとウサコの役どころは『自称宇宙人コンビ』

 わたしの衣装も普通にとんでもない代物だった。


「ちょっとちょっと、亀岡さん、手をどけて。ちゃんと衣装を見せて」

 奥寺さんは、演出らしくそう言ったが、目は思いっきり笑っていた。


 ううっ、どうしてこんなに恥ずかしい衣装を着なくちゃいけないの? だが、この衣装はすべて手作りだというから驚きだ。わたしの身体のラインにジャストフィットしてる。

 まあ、ラインって言ったって、ほぼ直線なんですけどね。フヒヒ……。


 そして--、

「くっ……ど、どうかな? 兎谷さん。それ、ブフッ! あ、ごめんごめん。動きにくかったりしない?」

「別に」

 込み上げる笑いをこらえきれてない奥寺さんに、ウサコはまるでこの世の終わりのような不機嫌さで答えた。


 演劇部に代々伝わってきたという衣装(いったい、何のために作ったんだ? こんなもん)は、ひよこ饅頭のような形をした着ぐるみだった。しかも、緑色。


 これは何と言えば良いのやら……感想に困る。

 ひよこ饅頭のボディから伸びるウサコの長い手足。奥寺さんが以前に言っていたように、着ぐるみを頭からすっぽり被り、顔だけ出しているので髪の色は関係ない。


 こうなると、未来の演劇部の看板女優でハリウッドスターになる予定の金髪美少女も形無しである。


 --プッ。

 あら、ごめんあそばせ。いや、でも素晴らしい衣装で……クククッ。とて、とても良くお似合いになってますわよ、ウサギさん。プーッ、クスクス……ちょっと待って、本当に本番でもそれ着るの? ウソでしょ? わたし、耐えられないって、ウヒッ! ウヒヒヒヒ……! お、お願いだから、こっちを見ないでーって、あれ?


 気がつくと、伝説の衣装に身を包んだ赤い目のウサギさんがこちらを睨んでいた。衣装のおかげで心の声を聞く能力でも身につけたというのか……?


 大きな緑色のひよこ饅頭が、わたしに向かって突進してきた。わたしは、恐怖に怯える間もなく、まともに体当たりを受ける。


 巨大なひよこが、「うしっ、うしっ」と、尚も圧力をかけてきた。

「でぇっ!!」

 なんでまた、相撲!? ヒール! わたしは、今ヒールブーツを履いてるんだから!


 慣れないヒールのせいで、足の踏ん張りが効かない。だけど、この衣装で投げ飛ばされた日には、パンツ丸見えになる!


「やめて、やめてって!!」

 相撲の鬼と化した(なんで?)巨大なひよこは、わたしの声など聞こえないようで、さらにわたしの腰のあたりを強引に掴んできた。


 ……くそっ、怪人ひよこウサギめ! だが、いにしえより伝わる絵巻物『鳥獣戯画』を知ってるか? 頭の悪そうなウサギがカメさんに豪快に投げ飛ばされている絵を。そうそう、あんたの思い通りになってたまるものか!


 逆転勝利を確信したわたしは、必死でまわし……は無いので、怪人ひよこウサギの腰のあたりに手を伸ばした。すると、そうはさせじと、怪人ひよこウサギがぶりぶりとお尻を振る。


 --げっ。

 わたしの手は無惨にも弾かれて、宙をさまよった。そう言えば、あの絵に描かれているのは、カメじゃなくてカエルだったっけ……。


 わたしは、紙くずのように綺麗に一回転して、真新しい舞台に腰から落ちた。それは見事な投げられっぷりだった、とはコメちゃん談。


 朦朧もうろうとする意識の中で、観衆のどよめきが聞こえる。さらに、

「ホントにカメは弱いなあ。話になんないよ。もうすぐ本番だって言うのに……」

 超絶理不尽なセリフを吐く、大きなひよこのシルエットが薄ぼんやりと見えた。


 ……何の本番だよ。訳がわからない。どうして、わたしばっかりがこんな目に……。

 もがくことさえ諦めたわたしは、ただ流されるままに本番当日に迎えることになる。


 余談。

 後日、わたしは念のためにコメちゃんに確認をした。

「……見えた?」

「大丈夫じゃない? 悪いけど、興味ないし」

 と、コメちゃん。

 そう言われると、身もフタもない。聞いたわたしの方が恥ずかしくなってくる。


「……じゃ、七海さんのだったら?」

「発狂して変身するね」

 コメちゃんは、表情をピクリとも動かさずにそう答えた。

 --何に……?

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