第38話 仕込み

 六月実験公演『鯖街道殺人事件(仮)』の本番を明後日に控え、我らが演劇部は、通し稽古から仕込みへとなだれ込んでいた。


『仕込み』とは、ばらし(後片付け)に対する舞台や客席の設営のことで、わたしは訳の分からぬまま夜遅くまで長時間労働を強いられていた。


 仕込みが毎回大変なのは周知の事実のようで、演劇部のほぼ全員が参加していたが、八田さん姿はなかった。どうやら舞台が出来上がった頃に登場してくるらしい。もう、ずっと来なけりゃ良いのに……。


 ひな壇やら箱馬、上手かみてから下手しもて、なぐりに寸角……変な業界用語が多数飛び交う中、わたしも汗まみれの泥まみれになって働いた。


 ウサコはてきぱきとした動きと、男子顔負けのパワーで先輩達からとても重宝がられていた。ウサコ自身も楽しそうに見える。とにかく体を動かすのが好きなんだろう。理解できない。バカなんじゃないの。わたしの分まで頑張って。


 ウサコの活躍を尻目に、へとへとにのわたしは気配を消しつつ袖幕そでまくの裏へと隠れて、腰を下ろした。

「よっこい、しょーいちっと……」

 はあ〜、やれやれ。お腹すいたなあ。まだ帰れないのかな? もう、結構できあがってるように見えるけど。


 天井から何枚も袖幕が吊るされ、隠れる場所だらけになった舞台上。暗いところや隅っこが好きなわたしにとって、とても具合が良かった。まぶたをそっと閉じれば、幕一枚隔てた向こう側の喧騒が嘘のように遠くに聞こえる。


 ……疲れた。もう、わたし疲れたよ。パトラッシュ……。

『こんなところでサボってんじゃねえぞ!』

 わたしは慌てて姿勢を正す。声の主は天使ではなく、Tシャツにジャージ、首にはタオルを巻いたウサコだった。どんな格好をしていても天使に見えないことはないな、と思ったのは内緒。


「なんだ、ウサコか。びっくりさせないでよ」

「なんだとはなんだとはなんだとは、なんだ?」

「……意味わかんないし。どうして、そんなに元気なの? それに、サボってなんなないよ。ここの釘の頭を黒く塗っておくように言われたの」


 わたしは黒マジックを取り出し、袖幕を舞台に繋ぎ止めている角材を示した。

「そんなもん、2秒でできるでしょうが」

 ウサコは大きく息を吐いた。

「分かってるよ、うるさいなあ。それよりさ、まだ終わらないのかな?」

「ああ、今日はもう終わりだって。で、その後に『衣装合わせ』するってよ」


「おおっ、衣装合わせ……!」

 わたしは釘頭を黒く塗り潰しながら、歓声を上げる。

「明後日が本番だし、初舞台なんだから仕方ないかもしれないけど、もうドキドキしてきたよ……」

「アハハハハ! 早すぎだって、カメは。この可愛いヤツめ」


 ウサコはわたしの頭を抱き抱えると、

「よーし、よしよし」

 と、顔を撫で回してきた。

「ぶへっ……やめて! わたしは犬かっ。やめ……ふべらっ」

 馬鹿力で撫で回され、顔中がヒリヒリする。


「でもさ、これちょっと客席が近すぎやしない? こんなの緊張するなって言う方が無理だよ」

 今回、会場となる演劇部の部室は、教室を一回り小さくしたくらいの広さしかない。それを客席と舞台で分け合い、さながら芝居小屋のようになっていた。舞台から最前列の桟敷席さじきせきまで一メートルくらいしかない。まさに、毛穴までバッチリ見えますよ的な距離だった。


「お客さんが座ったら、もっと近く感じるだろうね」

 ウサコは、あっさりと言った。

「そんなこと言わないでよ……」

「どうして、前回と同じように大講堂じゃないんだろ? どんなにお客さんが入っても五十人くらいでしょ、これ」

 大講堂なら二百人はお客さんを入れることができる。ウサコはそれが不服なのだ。

「わたしに言われても」


 うーん、わたしも大講堂の広い舞台に立ちたかった気もするけど……いや、だめだ。わたしは日陰の女、手狭なくらいがちょうど良い。


「大丈夫だって。誰もカメなんか観てやしないんだから」

 ますます緊張するわたしに、ウサコが憎まれ口を叩いてきた。

「じゃあ、誰を観てるって言うのよ?」


「当然、あたしでしょ。未来の大スターのデビュー戦よ? カメはただの脇役」

「あのね、パンフレットのキャスト表を見た? わたしの方が名前が上なんですけど」

「あたしは格が違うのよ、格が。だから、名前も一番最後なの。『特別出演』って、かっこ書きも付けといて欲しかったな」

 特別なのは、ウサコの頭の中でしょうが……。

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