19.好意の在り処
村の裏にある湖は、数百年前に枯れて以降、ただの窪みになっていた。
注ぐ川もとうに枯れ、湖として形を保つことは難しかったのだ。
それが今、溢れんばかりの水に満たされている。
きっとこの光景は、人々だけでなく大自然が待ち望んでいたに違いない。
「本当にありがとう。母さん」
「いいのよ。息子の頼みだもの」
僕と母さんは夜の湖を見つめながら、二人で並んで話していた。
ミラたちは家にいる。
セラさんの回復を祝って宴をしようという話も出たのだが、病み上がりだから安静にするべきだと僕らが助言して、今は家でゆっくりしていると思う。
「無理をしすぎて呪いに発展する……なんて本当にあるんだね。昔の話だと思ってたよ」
「そうでもないわ。いつの時代も、頑張っている人は頑張っているもの。ただ生活が豊かになって、便利になって……無理をする理由が減っただけ」
それは良いことだと母さんは言う。
僕もそう思う。
だけど同時に、少し寂しくはある。
きっとそのことも、人々が神様を忘れた理由の一つだから。
ふと、母さんを見る。
依代は違っても、普段と変わらない。
力も存在も、変化していない様子。
この村の人たちが母さんを見て、神の存在を知ってくれたというのに、母さんにはさして影響していないようだった。
このくらいじゃ、まだ全然だな……
「そんなことないわ」
口には出さなくとも、母さんには僕の声が聞こえていたようだ。
僕は母さんと目を合わせる。
母さんは優しく微笑む。
「ほんの小さな変化だけど、確かに感じるわ。わたしを信じて、思ってくれている心を……ちゃんとあるの」
「……そっか」
「アクトのお陰よ。ありがとう」
「ううん、僕は何もしていないよ」
頑張っていたのはミラで、セラさんも最初から神様を信じてくれていた。
僕もミラが、直向きに頑張る彼女じゃなければ、ここまでしなかったかもしれない。
「ミラちゃん、だったかしら?」
「うん。彼女は凄いよ。独学で魔術を学んで、お母さんのために一人で離れた王都まで来ちゃうんだから」
「ふふっ、どこかの誰かさんと同じね」
「同じじゃないよ。僕なんかよりずっと立派だ」
心からそう思う。
彼女と会うまでは、心の中で自分が一番頑張っていると思っていた。
今となっては恥ずかしい自信過剰だ。
僕は呆れて小さく笑う。
そんな僕を見つめながら、母さんが呟く。
「安心したわ」
「え?」
「アクトは私に似て遠慮するから、お友達が出来るか心配だったの。ミラちゃん、大切にしなさい」
「うん」
◇◇◇
夜の十時半。
トールとリルは疲れて眠っている。
ミラの家にはほんのり明かりが灯っていて、二人が話していた。
「あ、明日の準備」
「それは私がやるから。無理しちゃ駄目だって言われてるだろ?」
「うーん、私ならもう大丈夫よ」
「そう言って無理して倒れたんだ。もう騙されない」
ミラは弟たちの服を綺麗に畳みながら話していた。
回復した後でも以前でも、働こうとするセラを見張っている。
「いい加減寝てってば」
「えぇー」
「えぇーじゃない!」
「ふふっ、ミラちゃん楽しそうね」
マイペースなセラにちょっぴりイラつくミラ。
それでも事実、楽しいことは当たっていた。
母親が元気になってくれたのだ。
そう思うのは仕方がないだろう。
「あ、そうだわ。アクト君のことを教えてよ」
「な、何でだよ」
「だって彼氏なんでしょ? それに女神さまの息子さんってことは、あの子も神様ってことでしょ」
「彼氏じゃないって……そにれ、本当の息子でもないんだよ」
ミラはすでに、アクトの秘密を知っている。
知らないのは元王子ということだけ。
それ以外のことは、アクトから聞かされていた。
「捨てられたあいつを拾って育ててくれたのが、今のお母さんなんだって」
「そうなの……大変だったでしょうね」
「うん。あいつは凄いんだよ。めちゃくちゃ強いし何でも出来る! それに……優しいし」
「ふふっ、だから好きになったのね」
不意をつくような一言に、ミラは思わず赤面する。
「だ、だから違うって!」
「あら? じゃあ嫌いなの?」
「そ、そんなわけない! アクトがいなかったら私!」
途中まで言って、セラの表情に気付く。
ニヤついているわけでもなく、呆れているわけでもない。
ただただ優しい表情に。
セラは彼女を手招きして、ミラはベッドの端にちょこんと座る。
「……わかってるんだよ」
「そう」
「で、でも……恥ずかしいし……自信もないし」
「大丈夫よ。ミラちゃんは私の自慢の娘だもの。きっと彼も、好きになってくれるわ」
セラはミラの頭を優しく撫でる。
子供を慰めるように、あやす様に。
人は誰かを好きになる。
それは当たり前のことで、素晴らしいことだ。
好かれるために努力したり、手を伸ばすことも尊く和ましい。
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