5.旅立ち、そして出会い

 三か月という期間はあっという間に過ぎてしまった。

 気付けば試験まで十日と近づき、いよいよ僕も湖を出発することになる。


「よいしょっと」

「忘れ物はない? ちゃんと準備はした?」

「もちろん。昨日と今朝で確認したから問題ないよ」


 僕は黒いカバンを背負って玄関から外に出る。

 出発前の確認は念入りにしたし、忘れ物はないはずだ。

 そう何度も言っているのに、心配性な母さんは度々確認してくる。


「本当に大丈夫ね? 何かあったらすぐに連絡しなさい。水のある場所ならどこでもわたしと繋がるから」

「わかってるって。僕なら大丈夫だよ。それより母さんのほうが心配だなぁ」

「わたしは心配いらないわ。一人でいた頃のほうが永いもの。慣れているわ」

「そっか」


 あまり慣れてほしくないなと正直思う。

 

「それよりあなたが心配よ。ちゃんと他の人と話せる? 変なこと言って喧嘩になっては駄目よ?」

「大丈夫だって。心配し過ぎだよ」


 まったく呆れてしまうよ。

 この間までは出て行ったほうが良いと言っていた癖に。

 今は過保護なほど心配してくれてさ。


「……やっぱり寂しいわね。我が子が旅立つと思うと」

「何言ってるのさ。今回は試験を受けに行くだけだし、終わったらすぐ帰ってくるよ」

「そうね。じゃあ、ご馳走を作って待っているわ」

「はははっ、楽しみだなぁ~」


 僕のほうこそ、母さんの料理が食べられなくて寂しい思いをしそうだ。

 そうなる前にいち早く、この家に帰ってこよう。


「じゃあ行ってきます」

「ええ、いってらっしゃい」


 母さんに見送られ、僕は駆け出す。

 大きく美しい湖に向って、思いっきり跳びあがる。

 着水した水面に波紋は立たず、僕はそのまま術式を発動して波を操る。

 

「行くぞ」


 水霊濡法――斗波となみ

 

 僕の足元に生成された小さな波が、湖へ注ぐ川のほうへと移動する。

 その波に乗りながら、川の流れに逆らいながら進んでいく。

 この川は王都に続いているらしいから、川を遡っていけば王都にたどり着くだろう。

 普通に歩いていくより、こっちのほうが断然早いし迷わない。

 

「早くて三日後には着くかな~ 荒れてなければいいけど」


 ふと思う。

 生まれたばかりの僕は、この川を流れて湖にたどり着いたんだ。

 そして今、同じ川を反対に進んでいる。

 川の流れに逆らいながら、生まれ故郷を目指している。


「王都……か」


 どんな場所なのだろう。

 純粋な興味と一抹の不安を感じながら、僕は川をのぼる。


  ◇◇◇


 出発から二日目までは順調だった。

 問題は三日目の昼。

 予定通りに進んで、だいたい川の半分くらいまでたどり着いた頃。

 穏やかだった天候が一気に悪化して、大雨に見舞われてしまった。

 雨は広範囲に振っている様子で、川の流れも急激に荒々しくなっていった。

 水位も増して川辺だった場所も水が浸っている。

 僕は一先ず、水が届いていない陸地へ避難した。


「これはしばらく無理そうだな」


 流れは荒々しくなる一方だ。

 無理やり斗波で渡れなくもないけど、一定のリスクを伴う。

 母さんにも無理しないでと釘を刺されたばかりだし、今は安全な道を辿ろう。

 と言っても……


「陸は陸で危険なんだけどね」


 こういう悪天候は人間にとってだけで、他は違ったりするんだ。

 例えばそう、今まさに目の前で道を塞ぐ巨大ヒルの魔物……リーチのように。


「雨が降ると巨大化する性質を持った魔物……だったかな」


 リーチは水辺に多く生息する魔物で、普段は手のひらに乗るくらい小さい。

 しかし雨が降ると巨大化して、その図体は人間の三倍以上に達する。

 相手を取り込み一瞬で血を吸ってしまう凶暴さも併せ持つ。

 僕が暮らしていた湖にはいなかったから、実際に見るのは初めてだ。


「えっと、三匹か」


 冷静に数を数え、相手との距離を見計らう。

 リーチたちは徐々に、確実に僕のほうへと迫っている。

 雨で力を増し、獲物を前にして高ぶっているのだろうか。


「だけど残念。雨で力を増すのは、お前たちだけじゃないんだよ」


 僕は両手を合わせ、指先をリーチに向けて構える。


「水霊濡法――」


 背後に水が集まり、長細い槍の形に変化する。

 その数は九本。

 槍先は全て、眼前のリーチに向いている。


降槍くだやり!」


 九本の槍が放たれ、リーチの身体を貫通する。

 直撃した箇所から槍が侵入し、内部で水が弾ける。

 それによってリーチの身体は粉々に砕け散り、地面が赤い血で染まる。


「ふぅ……あまり川辺を汚したくないんだけどな」


 この川の先には母さんがいる。

 なるべく戦いは避けよう。

 そう思った矢先に、轟音が鳴り響く。


「何だ!?」


 雷の音?

 いや違う……何かの振動音だ。


 僕は急いで音のした方向にかけつけた。

 するとそこには――


「女の子?」


 傷ついた女の子が膝をついていた。

 頭から血を流している所為で、金色の髪を赤く染まっている。

 その眼前には巨大熊の魔物、ボアグリズリーが迫る。

 リーチの倍はある図体に強靭な爪で、今にも彼女に襲い掛かりそうだ。


「くそっ……こんな、こんな所で死んでたまるか」


 彼女は傷つきながら立ち上がる。

 強い目で、諦めることなく。


「私は……死ねない! お母さんを助けるまでは!」


 その時、母親の顔が浮かんだ。

 もう理由なんて考える必要もない。

 気付けば僕は駆け出していた。


「っ――」

「水刃!」


 グリズリーと彼女の間に水の刃が放たれる。

 地面が切り裂かれ、驚いたグリズリーが後ろに跳び避ける。


「……え? だ、誰?」

「ただの通りすがりだよ。まっ、しいて言えば君と同じで……母親が大好きなね」

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