第260話 数の本質

〔~エレイーラ視点~〕


「交渉旗はまだ下ろしてはいけない」


 総司令官の部屋から彼らを連れ出すと正門前まで案内する。そしてそこから彼らが無事に戻れるためのアドバイスを与える。


「この旗は戦意がないという証明でもある。追撃する心配がないというのであれば、下ろしても構わないが、お勧めはしない」

「感謝するぞ、エレイーラ王女」


 目の前にいる獣人の老婆、グレアから王女と敬称で呼ばれた。これはある程度信用されてるらしい。


「それと助言じゃ、交渉しようとしまいと、この場は危うくなる。できるのであれば近い内に国元に帰ることを勧めるぞい」

「(慢心による言動……ではないな、出なければこんな交渉をする意味もない)助言感謝するよ。だけど私はクメニギスの王族だ。場合によっては戦争にも参戦するからね」

「そうか、王女様は優しいようじゃから、生きていることを願っておるぞ」


 その言葉を最後に彼らは交渉旗を持ちながら帰路へと付いた。


「グード」

「ご安心ください。わたくしめの確認できる範囲では追手などはございません」


 グードの能力を知っている私としてはこの言葉の精度が理解できていた。


 彼らを見送っていると、後ろから馬を掛ける音が聞こえてくる。


「エレイーラ殿下ーー!!」

「ここにいるぞ」

「馬上から失礼いたします。総司令官殿が至急戻ってきてほしいそうです」


 獣人の戦争に消極的な私を呼び戻す。それはつまり疑っているということに他ならない。


「ふふ、私にか(まぁ気持ちはわからなくもないが、見当違いも甚だしいぞ)」

「姫様、万が一の時は」

「大丈夫だ」


 万が一の時のことを心配するグードに問題ないと告げると、来た道をまっすぐと戻っていく。


















『被害が出るかどうかはお前次第』


 この言葉を告げられた時、事態は思ったよりも進行していることを物語っていた。










「さて、エレイーラ殿下お知恵をお借りしたい」


 クレイグの部屋に戻ると、何やら机に地図を広げて、思考している者たちの姿があった。


「おや、私を疑って呼び戻したのではないか?」


 全員がこちらに視線が向く。


「ご安心ください。今は・・疑っておりません」

今は・・、か。私としてはなぜ疑いが晴れたのか聞いてみたいものだ」

「簡単ですよ。実はルンベルト駐屯地に入ってからのあなたの行動を監視させていただきました。多少の情報のやり取りはあった物の、今回の件には明らかに関わっている部分が存在しえなかったのです」


 駐屯地での私の行動、及び、私が出した手紙や指示を検分した結果、私の行動が今回のことにはつながらないと判明したらしい。


「もちろん駐屯地に来る前の行動はまだ確認が取れていませんが、さすがにひと月も何の確認も取らずにいるとは思えないため、現状では白と判断させていただきます。またさすがに殿下とはいえ負けを望むとは思いたくありませんので」

「そこは安心してくれていい。私は自国の利となる様に動くのみだ。何なら陛下の前で私の行動の弁明をしてもかまわない」


 もし仮に私が今回の交渉を裏で糸を引いていたのなら、様々な確認を行うことになる。だがそんな形跡はないため、私は暫定的に潔白が証明されたという。そして実際に今回の交渉の件は私が関わってはいないため証拠すら出てこない。


「今はその言葉を信用します。それに付け加えるならば、今は疑わしきを確かめる時ではない。先の獣人の真意を解かねばならない」


 言葉の裏に疑いはあると言っているようなものだが、言葉の通り今は審議をしている時間ではなかった。


「総司令官殿、所詮は獣人の浅知恵、そうであると思わせているだけでしょう」

「クラーダか、その意見も考慮するが、まずは最悪の想定をしろ。そしてその最悪が起こりえるのかを確認するのが将たるの努めでもある」


 獣人を見下し散るクラーダが虚言だと判断しているようだが、総司令官はその意見を鵜呑みも、拒絶もしない。なにせブラフの可能性は十分に考えられる事態だった。


「さて、まずは現状を全て確認するぞ、おい」

「はい、ではまず―――」


 クレイグの声で一人の武官が駒を並べ始める。


「まずは我らがクメニギス軍ですが、ルンベルト駐屯地に約三万、そして東の砂漠に5000、西の絶壁に500の兵となります」


 山脈間のすぐ手前に城のような模様の場所に白色の大きな駒を三個、東の砂漠方面に中型の駒を5個、そして西に小型の駒を5個配置する。


「次に友軍の所在ですが、まずはフィルクの聖騎士団約20,000がフィルク聖法国国内に帰還。そして補充されたクメニギスの予備部隊がフロシスに5000、そしてこちらに進軍途中のゼブルス公爵家軍が8000がおります」


 駐屯地の北西にかなり進んだところに大きな駒が2つ、そしてフロシスに中型の駒が5個、フロシスとルンベルト駐屯地の中間に中型の駒が8個並べられる。


「そして敵である獣人なのですが山脈の奥地に存在しております。そして正確な数は不明なのですが、少なくとも万はいるとのことです」


 今度は山脈間の奥に黒色の大きな駒が置かれる。


「皆様に確認していただけるように現状、獣人がルンベルト駐屯地を壊滅できるほどの戦力持っているとは思えません」

「俺の言ったとおりだな」


 クラーダは自身の言葉通りだとふんぞり返る。


「普通に考えればクラーダ副司令官殿の意見に同意いたします。ですが」


 駒を配置した武官が、新たに駒を手に取る。


「現在、考えられる策で、一番我々の脅威になりそうなのが、こちらとなります」


 武官はフロシスから駐屯地に向かっているゼブルス軍の駒を獣人と同じ色の駒にすり替える。


「このように事前に獣人がゼブルス軍と通じていた場合、こちらを挟み撃ちにできるような形となります」

「確かに、あり得るが、それほど脅威か?数にして8000、これに獣人を加えてもこちらの方がやや有利だと思うが?」


 駒を並べ終わりどのような形があるかを説明するが一人の武官が問題があるように見えないと意見される。


「そうだな、防衛ならこちらに有利に働く。また駐屯地内で『獣化解除ビーステッドディスペル』を発動させておけば、獣人は攻城にはつかえまい」

「それにこちらの物資は優に二か月は持つように手配している、その間にフロシスやフィルクに援軍を求めることが出来れば、またすぐに優位に立てるだろう」


 周囲で様々な話が行われるが、その中でクレイグとエレイーラはどういった状況化を明確に理解した。


「総司令官殿、やはり交渉する意味がありません。奴らの苦し紛れの嘘でしょう」

「クラーダはそう判断するのだな?」

「はい!」


 総司令官がクラーダに確かめる視線を送ると、クラーダは自信満々に答える。


 だが


「ああ、この駒の並び一つミスがあるね」


 私は地図の端に転がっているいくつかの駒を取ると、地図上の駒を入れ替える。


(バアル、君の考えはこういうことだろう?)


「「「!?」」」


 先ほどクラーダの意見の傾いていた連中は驚く。


「まさか、軍の数を・・間違えていたと?」

「エレイーラ殿下、それはあまりに」


 どうやら盤上でしか物事を捉えれらない連中が訝し気にこちらを見ている。


 そしてその理由だが、ゼブルス家の中型の駒を三つ、大型の駒と差し替えたからだ。


「エレイーラ殿下、まさかとは思いますが」

「ああ、クレイグもそこまでは把握していなかったのか」

「ええ、さすがに彼ら・・が人族のために動くとは思えませんでした。また連絡も援軍が8000でしたので」


 クレイグは私の行動の意味が理解していた。だがその他に関しては微妙な視線を浮かべている者が多かった。


「クレイグ、もう少し、部下の教育を行うほうがいいぞ」

「そうですね、私の権限が聞く連中はたっぷりとしごきますのでご安心を」


 クレイグはそう告げるが、その言葉で安堵している連中が大半を占めている。おそらくクレイグの部下ではなくクラーダの部下なのだろう。


(実家の影響のおかげでその席に座っているだけの凡人か)


「そうか、ゼブルス家の援軍にはエルフ・・・が混じっているのか」











 エルフ、ノストニアに生息している人種である。エルフのすべてが美しさの化身と言っていいほどの美貌を備えて、人族を何倍も上回る寿命を持つ。ただなぜだか繁殖能力が著しく低く、数はそこまで多くない。


 だがそんな彼らは周辺国家から恐れられている。理由は二つ、一つは敵対したら敵対していた地域のすべてを滅ぼす加虐性、そしてもう一つが―――













「エルフの魔力量は約10倍、それも軍に加わっている連中は最低でもという言葉がつくだろう」


 戦闘に置いて魔力とは大事なファクターの一部だ。当然多く持てば長期的な戦闘も余裕が出る。また短期的な戦闘も人族の数倍の力が出せる。


「そのことを踏まえると、今回援軍に来たゼブルス軍の3000がノストニアから派遣されたエルフとなる。つまりは人族の人数として換算すると35000人ということになる」


 エルフのことは駐屯地からクメルスに部下から報告を貰っていた。


「ば、ばかばかしい!ゼブルス卿からはバアル・セラ・ゼブルスの救出のための援軍であると記されているのでしょう?それなら、いまさら敵側に寝返るなど」

「そう通常ならこの駒たちはクメニギス側に立っていなければおかしい」


 私の言葉でグードは白色の味方陣営の駒を渡してくる。


「そう、獣人はこの白を黒にする何かを行っているとみるべきだな」

「そんな、事が」


 一人の武官がつぶやいた。優勢だと思っていた状況が危ういことになっているのだから無理もない。


「そうか、だからか」

「クレイグ総司令官殿?」


 クレイグの呟きにグードが反応する。


 そしてクレイグは一つの手紙を取り出す。


「これは先ほど、あの獣人からもらった手紙だ」

「内容は?」

「当たり障りもない、先ほどの交渉のまとめのようなものだ」


(そんなものを……………ああ)


「筆者の名前がありましたか?」

「ああ、囚われている彼の名前があったよ」

「それは、つまり」


 私たちのやり取りでわかった者もいるだろう。獣人にはゼブルス家を味方につける手札がある。


(だが、少し弱い気がするが…………獣人はバアルを人質にゼブルス軍を味方につける。だが、そのあとはどうするつもりだ?)


 獣人と条件通りに停戦交渉を結んでも、その期間が終われば再び攻められるだけのはずだった。


「か、会議中のところ申し訳ありません!」


 地図とにらみ合いをしている静かなこの空間に声が掛かってくる。


「どうした?」

「ゼブルス家が行軍半日の場所で停止いたしました!」


 知らせはゼブルス軍が敵側に寝返ったらしいというものだった。

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