第238話 不思議な気配

 家の掃除をエレイーラの侍女とエレイーラの護衛に任せると、エレイーラは馬車で終わるのを待ち、リーティーは必要な手紙をしたためていた。


 そしてリーティーはあまりこの家に帰らないらしく、食糧自体がないため手が空いている俺とアルスラは夕食の買い出しに出掛けることになった。


「目が痛くなりそうだ」

「はは、私も最初はそんな感じでしたよ」


 聖都フテラはほとんどの建物に真っ白い塗料が使われているため、雲の無い晴天ではもはや影ができないという程、光が反射していた。


「平和だな」


 フテラの大通りでは様々な屋台が立ち並び多くの人たちが行き交うのだが誰一人として暗い雰囲気を纏ってはいなかった。


「そうだね」


 アルスラは当然の様に同意するが、おそらく意味合いが少々食い違っている。


(全員が笑顔を浮かべている、何とも気色悪いな)


 別に不幸になれと言う言葉ではない。前世でもそうだが、人間だれしも楽に生きれるわけでもない。確かにうれしい時もあるが、それ以上に辛く苦しい人生を送っている人たちは多くいるはずだ。グロウス王国王都でもゼウラストでもクメルスでも100人通りを歩いていれば、一割ほどは暗い顔をして歩いているはずだ。


 なのにここフテラには暗い顔をして歩いている人などいない。となれば逆に違和感を覚えてもおかしくないだろう。


「(全員が幸せであることなど絵画の中だけの光景だと思ってたんだがな)それで、フテラではどんな食料が売っている?」

「そうだな、基本は小麦粉、後はオリーブとブドウが有名だな。あとすぐ近くに海があるから海産物もほどほどに市場に並んでいるね」


 フィルク聖法国は南側と北西には海に面している。また聖都フテラはフィルク聖法国のやや南側に位置しており、海産物がよく流れてくるとのこと。


「それで何を買い込めばいい?」

「………それは市場を見て回ろう」


 様子を見るにアルスラは碌に料理はしないのだろう。


「まぁ適当に買い込めばいいだろう」


 それからはアルスラと共に主だった食品が売られている市場に向かう。


















「ま、また大量に買い込みましたね」


 一通り、必要になりそうなものを買い込むと、辻馬車を借りてリーティーの家に運び込む。


 その際に運び込まれる量にエレイーラの侍女は驚いていた。


「ま、まぁ多くて困ることはないですし、足りないよりはいいですね」


 侍女はポジティブに考えようとしているが、そこまで悲観する必要はないだろう。


「それで、部屋の掃除は終わったのか?」

「はい。ひとまずは綺麗になったと思います」


 それからは俺とアルスラ、エレイーラの護衛の三人で食料を保存庫に運び込む。


(普通の倉庫か)


 リーティーの屋敷の食糧庫はキッチンのすぐそばにあるのだが、普通に倉庫でしかなく冷蔵などの機能などは一切なかった。


「ここにもイドラ商会製の魔道具があればいいのですがね~」


 侍女はそう言いながら倉庫に食料を放り込んでいく。


「クメニギスでも西部にはめったに流れてこないからね、こっちはもっとこないさ」

「ですよね」


 侍女とアルスラはクメニギスの出身だけあって、イドラ商会の魔道具を知っている。なのでここにも欲しいとつぶやくが、残念ながら、イドラ商会もここまで販路を伸ばすことはできていない。


 陛下や影の騎士団が情報経路整備の為、販売を推進しているのは知っているが、範囲が広がれば広がるほど魔道具の個数は飛躍的に増えていく。いくら工場があるとはいえ、生産場は一つしかない。そのため必要数が飛躍的に増えれば当然、個数は足りなくなる。


「料理は何にします?」

「そうですね、オリーブが多く、魚やエビと言った海産もあるのでアヒージョでも思っていますが」

「いいですね」


 侍女とアルスラは献立の事を話しながら作業を続けていく。


 そしてすべての食料が倉庫に仕舞われると日が落ちる頃となった。


















「では皆様方、ご賞味くださいませ」


 日も完全に落ち切った夜。エレイーラの侍女が腕によりを掛けて夕食を作り上げた。


「ふむ、相変わらずいい腕をしているな」


 エレイーラはメインのアヒージョにパンを浸して食べ始める。


 それぞれもパンをちぎり、アヒージョにつけたり、他の料理と共に食べ始める。


「そうだ、名無し殿。明日に聖騎士長との面会が決まった」


 リーティーはいったん食事の手を止めて、面会が決まったことを告げる。


「……やけに早いな」


 いかに近場とはいえ、その日のうちに返信が来るとは思わなかった。


「実は今日、聖騎士長殿の搭に手紙を届けに行ったのだが、どうやらちょうど暇だったようで、直接聖騎士長と面会することができた」

「そして同時に話が付いたと?」

「その通りだ」

「にしても早すぎないか?聖騎士長ならそれなりに職務があるはずじゃないのか?」


 地位の高さと仕事の量は比例しやすい。たとえそれが汚れ仕事でも同じことだ。


「さてな、私に聖騎士長殿のお考えはよくわからない」

「……了解だ」


 何にせよ、早めに事が進むならこちらとして文句はない。
















 それから詳細をリーティーに聞き終わると穏やかに食事が終わる。そして食事が終わればそれぞれの自室に戻り始める。


(さて、明日か)


 窓から空を見上げる。外では、うっすらと雲がかかっており、月が見え隠れしている。


『どうした?』

(なぁ、明日の天気はどうなると思う?)

『はぁ?』


 イピリアが右手の甲から現れると、目の前にまで浮き上がってくる。


 そして俺の目をのぞき込んでくる。


『………そうじゃな、確証はないが、晴れると思うぞ』

(…そうか)


 今度は視線を空ではなく地上に向ける。地上では月明かりが白い建物に反射して、何とも綺麗な風景となっていた。


(聖騎士長、話が通じるならいいが、そうでない場合だよな)

『ああ、なるほどのぅ』


 イピリアが今の言葉の意味を理解したらしい。


『お主は明日は晴天であってほしくないわけだな』

(ああ)

『なら儂を使えばいい』


 視線を窓の外から目の前にいるイピリアに切り替える。


(だが場合によってはすぐに必要になるが?)

『安心せい、曇りにするだけなら雨を降らせるよりも魔力は掛からん。それにお主の漏れ出る魔力だけでも十分事足りるわい』

(なら頼むぞ)


 明日の交渉に対して打てる手はすべて打つ。もちろん逃げるための算段も必要だった。


















 翌朝、イピリアの能力が発動しているおかげか、朝から曇天の空が広がっていた。


 また朝食を済ますと、リーティーに連れられ大聖堂を囲う搭の一つへとやってきた。


「ここは大聖堂を守護する聖搭。そして9人の枢機卿が住んでいる場所だ」


 リーティーに案内されてたどり着いた搭なのだが、近場で見るとことさらに高く感じる。


 そして同時に搭に近づくほど、何やら奇妙な気配が漂ってきていた。


「どうした?」

「いや、何でもない」


 何とも言えない気配の中、搭の中に足を進める。


 搭は丸いフロアが何重にも重なっている造りになっている。それも安定しやすいように下のフロアは広大に造られ、上に行くほど規模が小さくなっていた。そして上に登る方法だが、フロアの真ん中に一階から最上階に行くための螺旋階段が設置されている。


 そしてその階段をゆっくりと上がっていくのだが。


(近づいていっているな)


 搭の外で感じていた奇妙な気配が少しづつ強まっている。


(アルムともロザミアとも違う……だが少しだけ似ているが、なんだこの気配は)


 奇妙な気配を感じる中、最後の段を上り終えると大きな扉が目の前に存在する。


 リーティーは扉に近づき、ノックをしようとすると


「いい、そのまま入りなさい」


 扉の向こうから聞こえる声でリーティーは一度動きを止める。だがそれも数舜で、すぐさま動き出し、扉に手を掛ける。


(女の声?)


 扉の向こうから聞こえたのはくぐもっていたがしっかりとした女性の声だった。


「失礼いたします」


 ゆっくりと開いた扉の先は、多くの白い鎧と盾が並んでいる部屋だった。天井は全てステンドガラスで作られており、絵画が描かれている。晴天の日にはそれらの絵が輝くのだろうがあいにく本日は曇天の為、その美しさは見えない。


「こんな状況で済まない」


 また扉からまっすぐ進んだところに書類仕事に適した広い机と来客用に使うと思われる低いテーブルと腰掛けるソファが存在していた。


 そして声の主は書類用の机に乗っている山のような書類の向こうから聞こえてた。またとても個人で終わらせる量ではない書類の山に遮られて姿を見ることができていない。


「すぐにお茶を、あぁ!?」


 声の主は慌てて立ち上がろうとして体を机にぶつけてしまった。そしてよほど力が強かったのか、盛大に揺れ動いた机では書類の雪崩が巻き起こっていた。


「「「……………」」」


 何とも気まずい雰囲気が周囲に漂う。


「お手伝いします、ラファール聖騎士長殿」


 大きくため息を吐いたリーティーは崩れ落ちた書類の元に移動し、拾い上げる。


「すまない、リーティーくん」

「問題ありません。それよりもあちらの名無し殿がお話があるとのこと」


 ある程度の束にした書類を一度机に挙げると、流れるように紹介される。


「ほぅ、ナナシというのか君は。何ともユニークな名前だな」

「………はぁ、こちらの片づけはするので、とりあえずは彼のお話を聞いてもらえますか」

「……うむ」


 その声のあと、椅子が動く音が聞こえてくると、ようやくどのような人物かが分かった。


「初めましてナナシくん。私はラファール・ビーエル。緑樹聖騎士団団長を務めさせてもらっている」


 もはや壁となった書類机から現れたのは2メートルをギリギリ超えていないであろう身長の大女だった。


(お………んな、だよな?)


 しっかりと鍛え上げているらしく、それなりの筋肉量が見て取れた。また高身長と肩幅が広いことから鎧を着て兜を被れば、もはや男か女かもわからないだろう。実際、胸部のふくらみは女性特有の物なのか、はたまた発達した胸筋によるものなのかが全く分からない。さらにはしっかりと相貌は整ってはいるのだが、緑色の髪は短くそろえられているため綺麗な男性にも見えてしまう。


 それが目の前に来て握手の手を差し出しているのだから、かなりの威圧感がある。


「ん?男か女かで迷っているなら、私はれっきとした女だぞ」

「失礼いたしました。ラファールさん」


 差し出された手を掴みしっかりと握手を交わす。


「ん?」

「どうかしましたか?」


 ラファールは握手した手を見て不思議そうに首を傾げる。


「いや、どうやら君が見た目以上に強いようで少々あっけに取られただけだ。まぁいい、それよりも掛けてくれ」


 ラファールがソファに座った後、対面の座席に腰掛ける。


(こいつ、でもある・・・・のか)


 ソファに座ったラファールを観察するのだが、奇妙な気配はラファールと天井のステンドガラスから漂っているのが感じられた。


「そうまじまじと見られると少し気恥しいのだが?」

「それは失礼いたしました(向こうはこっちに気付いていないのか)」


 向こうはこちらを探るような視線などなくただ普通に人を見る目だった。


「(気にはなるが、とりあえずは)ラファールさん、実は今回私がお話に来たのは蛮国侵攻についてなのです」

「ほほぅ」


 ラファールの目は続きを促していた。それなりに興味がある話題なのだろう。


「今回、お願いしたいのは聖騎士団の蛮国侵攻の取りやめです」

「ふぅ~ん、できると思っているのか?」

「リーティーからある程度のお話は聞き及んでいます。その上で判断すると、限りなく不可に近いですね」

「不可じゃない、不可能に近い」


 ラファールさんの言葉に目を細めざるを得ない。


「それはなぜ?」

「簡単さ、クメニギスなどの国だと考えられないだろうが、この国では様々な議題は枢機卿での多数決での決議となっている」

「それだけでしたらいくらでもやりようがあると思うのですが?」


(裏でいくらでも手回しが可能なように感じるが)


 だがラファールは悲痛な表情を浮かべる。


「そう思うだろう?だが実際はそうではない。確かにそれぞれの枢機卿が持っている票は一見同じに感じるだろう、だが実際は等価値ではない」


 つまりは自分を慕う人民がどれくらいいるかで票自体に価値の違いが出ていると言う。


「ですが、教皇様も今回の蛮国侵攻には消極的と聞いたのですが?」

「ああ、だがいくら教皇様が声を上げても枢機卿方々が動かなければ、結局は声を上げているだけの無能として民衆には見られてしまう」


 前世でも何度かあったが、首相がいくら理想的な政策を打ち出しても、手足となる官僚たちが動こうとしなければ現実もできないと同じことだ。


「それに私たちの勢力は弱い。それも融和派と数を合わせても保守派には勝てないほどだ」


(はぁ、長い間政党が変わらずに既得権益と深く結びついた官僚かよ)


 教皇が声を上げても、何かにつけて保守派の枢機卿達は動かないだろう。また教皇に同調した革新派や融和派だけが動いても、約過半数を占めている保守派が拒否すれば当然の様に民意は保守派にあると判断される。


「ならこちらも何かに理由を付けて緑樹聖騎士団を退かせなくさせればいいのでは?」

「それができたら苦労はしない。今回の蛮国侵攻に既に保守派はクメニギスからの利益供与の約束を取り付けている」


 ラファールはできないと決めつけているようだが


「では一時的な撤退はどうですか?西側に不穏な動きがありとでもいい、ルンベルト地方からフィルク国内に聖騎士団を留めることは?」

「できなくはないが………それをするメリットがない」


 ラファール聖騎士団長からしたら、そんなことをする意味が全く見いだせないのだろう。


「そのメリットにお答えする前にまず一つ。ラファールさんからしたら教皇とはどのような存在でしょうか?」




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