第104話


 意志を持ったかのように動き続けていた脚が、見覚えのある場所で止まる。


「……ここ」

 目の前には、晴が通う大学。こっちでは、どうなのか知らないけど。私がハルと付き合ったままなら、晴は?私なんかを追って上京しなかったかもしれない。

 そもそもこの時まだ晴は高校生だからいないはず。だけど私は、彼がここにいることを何故だか確信していた。夢だからかな。



 ちょうど学生が大勢門を抜けて出てくるところだった。目を凝らせば、見知った顔がこちらへ向かってくる。思わず、駆け寄った。


「晴ッ!!」

 こちらに向けた顔。最初に気付いたのはその瞳。いつもの輝きはなく、薄暗い影のある目。


「……え、先生……?」

 一瞬、きょとんとして。みるみるうちに、驚愕の表情に変わる。


 君はもう、私のことなんて好きじゃないかな。

 君には君の世界があって、もっと相応しい人がいて、私との思い出なんて記憶の片隅で埃をかぶってしまっているかな。


 歩み寄った君は、再会した時と、同じ。チャラチャラしてて、遊んでそうで、モテそうで。とんでもなく、輝くイケメン。でも、私が好きになったのはそこだけじゃないんだよなあ。




「……だいすきだよ、晴」


 今度は私から言うね。


 私のこと、覚えてなくても──


「私は晴がだいすき。」


 素直になるのが遅くて、ごめんね。



「……何言うてん、先生……?」

 信じ難いと、君は眉をひそめる。

「久しぶりに会うたのに、好きも何も……っ」

 この世界の君は私を追ってこっちに来たわけじゃない。

 怪訝そうな顔、されたら、ちょっとツラいなあ。

 晴はいつもこんな気持ちだったのかな。


 もっといろんなことを伝えたいけど、出てくるのは一言しかない。晴がいつも真っ直ぐに伝えてくれた、あの言葉。


「……ごめんね?それでも、大好きなの」


 いつもと違って少し影のある瞳をじっと見つめる。その目が泳いだ。


 噛み締めるように告げた言葉に、私の姿が映るまん丸の瞳がゆらゆらと揺らいで──。


 目の中に、私が心揺さぶられる、あの強くて綺麗な光が灯る。



 晴が私の服の裾を、きゅっと掴んだ。


「……なんやろ、なんか」

 晴の瞳が、どんどん潤んでいく。満天の星空を詰め込んだようなキラキラした瞳。


「めちゃくちゃ、幸せや……っ」

 ああ、綺麗だなあ……なんて考えているうちに──


 彼の頬に、涙が伝った。


「欲しかったモンが、全部、手に入ったみたいな……ッ」

 頬を撫でて、涙を拭う私の手をとって。悪戯っ子みたいに、顔をくしゃくしゃにして笑った。



『──ななちゃんっ!』

 毎日飽きるほど聞いた声が頭の中で響く。


『──大好きやで』


『──俺のモンに、なって……』


『──目ぇ覚めてななちゃんが横におるって、これ以上の幸せないで?』



 君で彩られていく。鮮やかに色づく毎日は、君が抱えきれないほどの愛を捧げてくれるから。

 キラキラと輝く真っ直ぐな瞳が、私をとらえて離さないから。


「……なんか、"幸せ"っちゅー言葉が、しっくりくるわぁ」

 私の手を握って、そのガリガリの身体で──強く抱きしめた。

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