第62話


「……夢とちゃうやん」


 朝起きても、隣には誰もおらんかった。優しい香りもせえへん。硬いシングルのベッドの上。ななちゃんがおらん、冷たい部屋。


 ──もしかして、これが現実やったんか?

 そんな考えが過ぎって、慌てて起き上がる。

 今までの優しくて幸せな時間が、長い夢やった?


「……はっ、ウソやろ」

 渇いた笑いが出て、寒気がした。

 ななちゃんのことが大好きな俺が生み出した、虚像やった?


 ……そうか、やから俺に都合良すぎたわけか。

 この“ハル”がおる世界で手に入るわけのない彼女が、夢の中でなら──手に入ったわけか。

“ハル”がおらん、それこそ夢のような世界で。


「ふざけんなや……目ぇ覚めたあとがしんどすぎやって……」

 目元を押さえてただ、堪える。

 もう何が現実で、何が夢なんか分からんわ。


「ななちゃんに、会いたいな……」

 大好きでたまらん、俺の好きな人。

 あの笑顔も、俺の名前を呼ぶ声も、「晴のモンになる」て言うてくれたあの目も、全部、もうハルのもんなんか。

 ……いや、最初から、ハルだけのもんやったってことか。

 どんだけイタいやつやねん、俺。


「なんで醒めんねん……」

 あんな幸せな夢なら、醒めんといてや。神様も、気が利かんな。



 手探りで支度をして、昨日と同じ道と辿る。律儀に学校へ向かったんは、やっぱり高校生のななちゃんに会いたかったから。

 ああ──ちゃうか。こっちがホンモノなんかもしれんのやな。


「あー!ハル、危ないって!」

 ……やめて、くれよ。

「ごめんって!ちょっとバランス崩しちゃった」

 チャリで2ケツとか、どんな青春ドラマやねん。トボトボと歩く俺の背後から、愛しい声が聞こえて。条件反射のように振り返ったら、残酷な現実が俺を突き刺した。


「あ、おはよ、高野くん」

 俺の視線に気づいたななちゃんが、アイツの自転車の後方から顔を出して挨拶してくれる。


『──おはよ、晴。朝ごはんできてるよ』

 ……アカン。一緒にしたらアカン。

 目の前のななちゃんと、夢の中のななちゃんは別人やって思わな。


「……はよ。今日も仲ええなあ」

 俺、いつもどんな顔して話してた?ななちゃんが好きやって、ずっと黙って耐えてきたん?

 そんなことないよ、と笑うななちゃんは変わらずかわええのに、俺の心は晴れんまま。

 ニコニコと俺を見るハルは何を考えとんのか分からん。俺はコイツとどんな関係やった?ただのクラスメイト?仲は良かったんやっけ?

 曖昧に視線を交わして、また前を向く。はよ、通り過ぎてくれや。


 ……初めて、俺はななちゃんから目を逸らした。

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