漆、匂い

 “他人の力を一時的に借りる薬”


 禁術だ。作った薬をお互いの手のひらに塗り、その手を二人で重ねる。手を上に乗せた人に備わっている能力を頭に強く願い、下に手を重ねた人の体に一時的に入る。

 調合の手順は難しいが、王城にある植物だけで作ることが出来る。

 あのときの状況にもしこれが使われていたとなれば、兄デライドから“ダンスを一曲踊る能力”を弟デライドに移したのではないだろうか。漠然とした可能性だけど、ゼロではないはず。

 本を読み進めると、下のほうには注意事項が書かれていた。


 “能力を貸している側はその間動けなくなり、借りた側は能力を発揮している間に何かが副作用で機能しなくなる。視力や聴力、嗅覚、味覚、声帯の異常などーーー”


「っ!これだわ!」


 ボンと大きな音をたてて、私はその本を閉じる。

 これしかない。あの状況を説明するにはこの禁術しかありえない。ゼロじゃないと思っていた可能性がほぼ100%になった。

 でも禁術とはいえ、薬を作れるのって……。


「……やっぱりお父様が?」


 王族は薬を作る魔法は使えない。使えるのは我がスコットレイスの直系家族のみなのよ。

 お父様と兄デライドもわかった上であの状況を作った?それとも、弟デライドが力を借りたのは兄デライドじゃなくて別の誰か?それならお父様の単独行動?禁術を使うのに王族の許可無しでできるわけないわよね?

 ……いやその前に、二人はなぜ入れ替わったの?

 私が見分けられるかを確認するため?病弱な弟デライドに禁術を使ってまで私に会わせた理由は?

 弟デライドが会いたいって言ってくれたの?でもそれを兄デライドが許す?私と結婚しようとしているのは兄デライドなのに?


 むむむむむむむ。


 …………。


 あーーーもう!全然わからなくなってきた!頭の中ごっちゃごちゃ!

 1つの可能性を浮かべてしまえば、そこから様々な可能性が派生してゆく。


「よし、違うことを考えよう!」


 弟デライドにまた会うためにはやっぱり薬を作らなければ。


 私は再び彼の病状などを元に原点に帰って考えることにした。


 瘴気を消す薬は作れなかった。

 それならば、消すのではなく、排出する薬を作ればいいのかもしれない。

 毒素を抜く場合は毒草と、吐き出す薬草を調合した薬を使う。魔法がかかった薬を飲むことによって体の中の毒同士がくっつき、排出される。

 だから瘴気を排出するために、瘴気に馴染む薬を作らなくちゃいけない。

 それがわからないから困ってるんだけどね。


「んー、過去の私。弟デライドといたときに何か体調の変化や変わったことがなかったかしら?」


 弟デライドはいつもバルバリエラの目の前のベンチにちょこんと座って私と話をしていた。彼の症状が普段どんな様子なのかは知らないけど、あの短時間で見る限り体調が悪いようには見えなかった。

 ……あれ?最後に会った日は、いつものベンチの前にバルバリエラの花、あった?あんな特徴ある花なのに、あの日だけは私の記憶に残っていない。

 そういえばここに10年ぶりに来てから庭園を見たとき、毒草は全部奥の庭園にまとめられていた。

 私は急いで、弟デライドと会っていたあのベンチの前に行く。


「無くなってる……」


 そこにはもう、別の花が植えられていた。

 確かにあれだけ場違いな咲き方をしていたので、見た目を気にするなら取り除くのは理解できるけど……。でもこの国の王子である弟デライドが好んでいた花なのに、移動させちゃったの?


 わからずに帰ろうとすると、手慣れた作業をする庭師の男性がいたので声をかける。もしかしたら長年使えている人かもしれないから、バルバリエラの花のことを知っているかもしれない。


「すみません!」


「……なんだ?」


 振り返った顔がめちゃくちゃ怖い。ゴリゴリの筋肉質で目つきの悪い彼から凄い睨まれてる私。仕事の邪魔すんじゃねー!って顔されてる。


「あ、あのっ!あなたはここに勤めてもう長いですか?!」


「……20年くらいだ」


 庭師はぶっきらぼうだけど、静かに答えてくれた。

 質問に答えてくれるあたり、悪い人ではなさそう。


「10年ほど前、ここにバルバリエラの花がありましたよね?あれってどこへ行ったんですか?」


「ここに来たことがあるのか?」


 庭師は手を止め、体ごとこちらに向ける。話を聞いてくれるようだ。


「はい。昔よくここに来ていて、この香りを好きな人がいたんですけど……」


「ハッ!」


 急に大きな声を出したかと思えば、笑い始めた。え、なにかおかしかったの?馬鹿にしたような、私の言っていることがまるでトンチンカンだと言わんばかりにゲラゲラと笑っていた。


「あの花の匂いが好きなやつなんていないだろ。あんなくっせー匂い」


「っ?!臭い?!」


 何言ってるのこの人。私全然臭くなかったのに!!幼い頃のデライドだって何も言ってなかったわ!


「ああ、臭いよ。国王陛下からの命でな、あまりにも臭いってことで、この庭園から毒草の庭園に移されたんだよ。……お前もしかして根っからの薬師か?」


「えっ?……なぜわかったんですか?」


 正式には薬師ではないが、やってることはほぼ薬師である。私が驚いて尋ねると、庭師はニイッと笑った。


「なんでわかったか教えてやろうか?その1、幼い頃から植物図鑑を見ずに薬草図鑑だけを読んでいた」


「う……」


 的確に当てられる。植物図鑑を全く読んでないわけではなかったけど、薬草図鑑に載っていないものを調べるときだけに使った程度だ。だから、薬草と毒草以外の植物は……知識が皆無である。


「その2。鼻が馬鹿」


「ううっ……」


 これも否定できない。薬の匂いに慣れすぎて、鼻の感覚が若干おかしいのは自覚している。うちの家族はみんなそうだ。だから私が少し異臭だと思っている匂いは一般人にはものっすごい異臭だから気をつけろと、お父様にさんざん言われていた。


「薬草図鑑には薬のための知識だけだから、香りのことが書いていない。植物図鑑にはバルバリエラの花は“くさい”って書いてあるんだぞ?そんな匂いが好きなヤツは相当特殊だな」


 笑いながら呆れて話す庭師の最後の言葉に私の直感が働いた。


 特殊な体……。そうよ……特殊な体なのよ!!

 バルバリエラの花は毒草だけど、王城の書物にも使用用途がほんの少ししかなく、どれも瘴気とは全く関係なかった。だけどそれは過去例がなかっただけで、もしかしたら……ううん、きっと大丈夫だわ。きっと作れる!


「そういえばあの御方はこの香りが好きだって言ってたな。あれはどっちだっけ、確か……」


「庭師のおじさん、ありがとう!」


 彼に駆け寄り、軍手をつけた彼の手を握ってブンブンと大きく振って握手をする。


「え。お前、手もスカートも靴も汚れてーー」


「本当にありがとう!これで私は幸せを手に入れられるわー!!」


「お転婆な娘だな。あぁ、もしかしてあれがあの御方の……!ハハ、王城が楽しくなりそうだな。そろそろ引退しようかと思っていたが、まだまだやれそうだな」


 心配しているような顔をした庭師に感謝をたくさん伝え、私は奥の庭園へ向かった。帰り際に何か言ってたけど聞こえなかった。


 するとその途中に、デライド……兄デライドを発見する。


「リーナ、どうしたんだい?とっても笑顔だね。ああ僕に会いに来てくれたんだね!」


 笑顔を向ける彼に、私はあることを思いつく。


「そ、そうです!一緒に来てほしいところがあるんですけど……いいですか?」


「ああもちろんだ」


 そうして私は兄デライドを連れて、ここへ来た。


「毒草の、庭園?」


「そうです。さ、行きましょう?」


 兄デライドの腕を引っ張り、一番奥のバルバリエラの花へ歩みを進めるも……兄デライドの歩みが重い。


「どうされたのですか?私の大好きな毒の薬草の庭園の散歩ですよ?」


「あ、ああそうだね」


 顔が若干引きつっている兄デライドを笑顔でバルバリエラの花の前へと一直線に連れて行く。

 他の花と距離をとって植えられているバルバリエラの花の前に到着すると、私はその花を眺めた。

 真っ青の花びらに、黄色の雄しべと雌しべ。すべてが毒になるこの毒草で、もしかしたら弟デライドの薬が作れるかもしれない。そう考えただけで私の心は興奮した。弟デライドを助けられて、私は新薬を開発できる。そしてその功績でこの兄デライドとの結婚をやめるんだから!


「懐かしいですね、いつもこの花の前で話をしましたね」


「そうだね」


「……この花の香り、デライド様は好きですよね?」


「え、ああそうだよ好きだよ。それよりここを早く出ようよ、一緒にお茶でも飲まない?」


 言葉とは裏腹に、ずっと鼻声の兄デライド。どう考えても我慢している。


「あ!じゃあここにテーブル持ってきて一緒にお茶しませんか?だってデライド様、バルバリエラの花の香り好きでーー」


「あっ!僕まだ仕事が残っていたんだった!リーナ、残念だけどまた別の時間に」


 引きつった笑顔でサササーッと兄デライドは一瞬で私の横から消え、毒草の庭園を立ち去っていった。一人残された私はポツリと呟いた。


「あからさますぎるわ」


 もう疑う余地もなく、私の好きなデライドは兄のほうではないと確信する。バルバリエラの花に顔を向けて、私は鼻から息を思いっきり吸って呼吸をした。


 ……この花、そんなに臭いの?





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