男が常連客になった理由

小林勤務

第1話 男

「この店は幽霊を食べさせてくれるって噂は本当ですか?」


「ええ、本当です」


「ああ」男は感嘆の声を漏らして、ほっと胸を撫でおろしました。


「本当にあるんだ。入っても良いですか?」


「ええ、どうぞ、いらっしゃいませ」


 わたしは男を快く迎え、店内へお招きしました。

 カランとドアベルが狭い店内に響きわたります。わたしたちが歩くたびに薄汚れた床がギシッと鳴ります。


 男は興味津々といった様子で、店内の装飾物を見て回りました。これは、わたしの趣味なんですが、店内はアンティークの調度品で統一しています。全く使用していない英国製の蝋管式蓄音機ろうかんしきちくおんきなんか置いてますでしょう。少々、値が張りましたが、まあ仕方がありません。趣味は何物にも代えられませんから。


「お客さんは……。私ひとりですか?」


「はい、そのようですね」

 店内はお客様が座るテーブル一式のみがあります。


「もしかして、ここは会員制ですか? 何の予約もしてませんが、大丈夫ですか?」


「いえいえ、大丈夫です。会員制なんて大層なものではございません。なにぶん人手が足りず、わたしひとりで切り盛りしております。誰かおひとりでもお客様がご来店されたら、その時点で本日は営業終了とさせて頂いております」


 男は、そうですかと微笑み「大変ですね」と付け加えました。男は見た限り、なにやら紳士的に見えます。これは、良い上得意様になって頂けるのでは、そんな期待もします。


 男はテーブルに座り暫し考えたあと、おもむろに口を開きました。


「メニューはありますか?」


 わたしは静かに首を横に振ります。「ありません」


 男は困惑した様子です。「どうすれば……」


「メニューは、その場で仕入れた食材を使用します。ここは、お客様にとり憑いた霊を調理してお出しする店ですから」


 わたしは丁寧にお辞儀をした後、こう付け加えました。


「お聞かせ願えますでしょうか? それによって味付けも変わりますので」


 男はゆっくりと口を開きました。


「一年前のことです。白い女の霊が、私の前に現れ始めたのは。最初は気が付きませんでした。何か、自分のまわりに白い靄がかかっている。多分、目の霞みが原因。初めはそんな風にしか考えてませんでした。その存在をはっきりと認識したのは、とある金曜の深夜のことです。

 その日は、仕事の発注トラブルで上司の尻拭いをさせられ、帰宅が午前一時を回ってしまいました。もう疲れた。さっさと風呂に入って寝よう。スーツを乱暴に脱ぎ捨てて、狭いユニットバスに入りました。防水カーテンをしめて熱いシャワーを浴びていると、カーテン越しに何者かの気配を感じました。

 その頃は常に白い靄が自分のまわりを覆っていました。そんな怪現象にも慣れていたので、いつものアレかという程度しか思ってませんでした。ですが、その日は違いました。

 白い防水カーテン越しに明らかに女の顔が見えたのです。私は息を飲みました。女は私の怯えを感じ取ったのか、ゆっくりと迫ってきました。そして、遂にカーテン越しに顔を密着させ、その歪んだ輪郭をくっきりと現しました」


 そこから先は、気絶をしてしまい何も憶えてません。男は項垂れながらそう言いました。


「なるほど」わたしは目を閉じて頷きます。「身に覚えはありますか?」


 男はゆっくりと首を横に振ります。「心当たりはありません」


「そうですか」


 実に興味深いです。それ程、はっきりとした姿を対象者に現したにも関わらず、当の本人は全く身に覚えがない。


「それからは、白い靄ではありませんでした。女の霊は場面を変えては、何度も姿を現しました。深夜まで事務所にこもり書類を作成している時。深夜、帰宅途中にある路地裏を歩いている時。さまざまです。当初は夜だけ。それも私がひとりの時でした。しかし、最近では女の霊は日中もお構いなしに姿を現してきました。

 上司と同行した時のことです。得意先との商談アポイントまで喫煙所で待っていました。お互いにタバコを吸いながら企画書の打ち合わせを行っていた時です。上司の後ろに女の霊がはっきりとした質感をもって現れました。空間ごと歪んだ女の霊は私と目が合うと、にたりと笑いました。私は『ギャー』と人の目も気にせず悲鳴を上げて、そのままそこで倒れてしまいました。

 その後、上司からは仕事で疲れているから暫く休養を取れと言われてしまいました。休養と言われても、この問題が解決されない限り元の生活には戻れない。しかも、誰にも相談できるような内容でもない。それこそ、著名な霊媒師の元や、その手の有名な神社に相談しに行ったりもしたのですが、なまじお金が飛んでいっただけで一向に女の霊は消えてくれませんでした」


「そうですか。その手の職業の方々もお手上げだったのですね」


「はい。この店を知ったのは、解決方法もわからず悲嘆にくれていた時です。なんでも、自分にとり憑いた霊を食べさせてくれる店があるらしい。幽霊って旨いらしいよ。なにその店、胡散臭くない。でも、除霊が無理なら食べて消すしかなくない。腹壊したらどうすんのよ。正露丸でも飲めば治るんじゃない。呪い殺されるよりましだろ。何気なく相談した掲示板から、このような回答が寄せられました。そこで導き出された答え。そうです、このまま殺されるよりまし。それが答えです。私はあらゆる都市伝説、SNSなどから情報を集めました。そして、藁にも縋る思いで、この店にやってきたというわけです」


 男の話は終わりました。

 わたしは、話し終えて汗ばんだ彼に冷水を持ってきました。男も一気に話したので喉が渇いていたのでしょう。出された冷水を、ぐぐぐと一気に飲み干しました。

 わたしは目を細めて言います。


「ようこそ、お越しくださいました」


 男の顔が上気しているのがわかりました。


「それでは念のため確認ですが、お召し上がりになりますか?」


「はい」


 食べます。男はそう言いました。

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