第4話 馬車小屋

 小僧がしばらく呼びかけていると、遠くかすかな声が次第に近づいてきた。

「おおい、おおい」

 やがてその姿が、雨にかすむ木々の向こうに見えてきた。


「やあ、なんとありがたい」

 あらわれた男は、身なりからしてどこかの屋敷に勤める家令のようだった。

 ずぶ濡れの様子が寒々しく、小僧は、ぼろだが洗濯の済んでいる大判のきれを渡した。あとはいっしょに毛布をかぶれば良い。

「迷われた上に雨に遭われるとは、なんともお気の毒でした」

「いいえ。町へのお帰り途中に、皆さまもご難儀なことでした。

 わたくしは、この通り、こうして元の道へのお導き手に救われました。

 この道ならば、屋敷はじきに見えてまいります」

 男は、御者台の、小僧をはさんで親方の反対側に腰を落ち着けている。

「慣れたはずの森で、なんともお恥ずかしいこと」

 使いの途中で、帰り道を見失ったのだという。

「なんのなんの。

 森や山は、いつも顔を変えて待っておりますから、何年住まっておっても用心が肝心だ、と炭焼きが申しておりました。

 とにかくご無事でなによりでした」

 小僧は、それにしてもこのそばに屋敷などあったか、と、話に耳を傾けながら首をかしげていた。

 古くからある都の富豪の別荘が、もう少し先にあったことは覚えているが、あそこは今の時期は留守だったはず。

 まったく森の中のことはわからない。この先、このあたりを通りがかるときに親方になにか起こった場合のためにも、このあたりの屋敷の所在は心にとめなければならぬだろう。

 雨は勢いを弱め、木洩れ日がますます明るくなってきた。

「そちらでございます」

 男の指す方角に、大きな屋敷が見えてきた。


 その屋敷は、木々の中に紛れるように建っていた。案内がなければ、たどり着けぬかもしれない、と小僧は思った。

 なるほど、これまで何度通りがかっても、気づけなかったわけだ。

「冷えたお身体を暖炉に当てながら、暖かいお飲み物でもいかがでしょうか。ちょうどそろそろ八ツ刻でもありますし」

「はい」

 小僧がすかさず返事をした。

 親方は、この天候で、毛布があったとはいえ疲れてしまっただろう。このまま残り半里の道を馬車の上で風にさらすのは良くないと思ったのだ。


 小僧は、親方と男を降ろし、案内されたレンガ造りの馬車小屋に馬車を入れた。

「よしよし」

 馬たちは、用意されたきれいな飲み水をよろこび、小僧も、備えられていた、持ち手の木の艶も使われている毛も、どこから見ても上等なブラシを手に取って感心し、栗毛と白の二頭をそれぞれ軽くなぜてみた。

「いかん、いかん」

 浮かれてはいけない、と思い直し、馭者台の下の物入れからいつもの慣れた道具を取り出した。

 背やたてがみから水を払い、懐から赤い縞模様のロウ引き紙の小袋を取り出して、角砂糖をなめさせると、馬たちもだいぶくつろいだ心地となった。

「立派なところに来ちまったなあ」

 しかし、日暮れまでには戻らなければ。

 小僧はこれで、案外しっかりしているのだった。



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