令和闇オク黒服視点

魚倉 温

第1話 キャッシュレス



 きらびやかなシャンデリアを磨き上げ、毛足の長い、やわらかな深紅の絨毯にスチームクリーナーを丁寧にかけて、ステージの床を拭く。自分の平凡な顔と量販店のスーツに、今年の誕生日、妻からもらったばかりのタイピンが映り込むのを確認して満足し、緞帳の動作と、ひだの隙間に埃がないかをチェックした。

 ここが世の表舞台に出るような施設なら確実に文化遺産だ、と、胸を張れるだけの開場準備を完了。オペラハウスにも似たすり鉢上の一番下から全体を見上げて、私はこの仕事のやりがいを再確認する。


 ここはオークション会場。

 表に出せないような、タブー視された芸術品や標本の類、尊厳を奪われた人間まで幅広く取り扱う、いわば闇オークションの会場だ。


 聞いた話では伝統も長く、少なくとも昭和には存在していたという。この場所で行われることは社会倫理に反するが、それでも伝統と格式、信頼を需要と「闇なりのマナー」のうえで成り立つここで働いていること。私は誇りに思っている。

 しかし、伝統と格式だけでは、令和の世を生き残ることはできない。先日の騒動がまさにその事実を、私たちスタッフ一同に突きつけたのだ。

 その日は美術品を主としたオークションが開催されていた。うちとの関わりも長く続く家系、いわば昔からの取引先である家の、何代目かの若旦那は約30万円の現金を手に言った。

 「キャッシュレス対応しないの?令和だよ、令和」

 いわく、現金は用意が面倒くさい。クレジットカードの明細はまとめて送られてくるため、管理に人件費がかかる。端金には違いないが、スマホの画面を見せるだけで決済が完了するのはスマートで令和的に格好がいいし、アプリ上でその都度明細を確認し管理ができるので、側付きのものに日々の業務のついでにやらせて事足りるのだと。

 私はその場にいなかったが、担当は社会人よろしく「上申し、前向きに検討致します」との回答を行なったという。私が担当でもそうしただろう。

 上の意見は「それもそうかもな」。組織改革に前向きであったのも、令和的といえばそうかもしれない。そして実際に、導入の方針が固められた。


 導入すると決めるのは上だ。だが、導入にまつわる諸所の確認や手続きを行うのは我々だ。

 データ漏洩の観点から紙管理のままになっている、過去数年分の取引帳簿を引っ張り出す。物価や相場の変動を考慮して調査対象の期間を選定し、その間に行われた取引金額をカバーしうる決済会社を探し出す。

 そう、キャッシュレス決済には1日であったり、1ヶ月であったりの取引金額上限があるのだ。


 私も、同僚も、ここしばらくの残業が増えた。元々ホワイトな職場だが勤務時間は200時間に迫り、妻には寂しい思いをさせて、このタイピンをもらった誕生日だって、「まとまったお休みが取れたら、ほんとは旅行にもと思ってたんだけど」と哀しい顔をさせてしまった。

 私のスマホブラウザには、その日からずっとゴートゥトラベルの案内ページと、対応旅館やホテルの一覧が残っている。


 かくして私たちスタッフに襲いかかった修羅場。

 それが、今日で終わる。

 とうとうキャッシュレスを導入したのだ。

 今日の取引で無事に誰かが利用して、無事に決済が完了すれば。私たちは晴れて有休申請のローテーションを組める。

 私は、晴れやかな気持ちで仮面をつけた。

 スーツの襟を正し、ネクタイをまっすぐに。

 お客様の満員になったホール内にぐるりと視線を巡らせて、ステージ脇に立つ。

 「さあさあ皆様たいへんお待たせ致しました!

 本日最初の商品はーー」




 取引はつつがなく進んでいる。

 キャッシュレス決済の上限を超えるような落札価格は、まだ出ていない。私たちの仕事は十二分に丁寧で、確実なものだったのだという安堵と誇りが高揚感になって、仕事へのやりがいをいつにも増して高めていた。

 「それでは本日の目玉商品をご紹介します!

 透き通る肌、大きな黒曜石よりも深く潤む瞳。やわらかな蜂蜜色の髪を持つ青年です」

 運ばれてくる檻と、その中に鎖で繋がれた彼を横目に見る。金額はとんとんと釣り上がるが、それにも納得のいくほどの美青年だ。

 鎖の繋がった手首は細くて白い。黒い革製のベルトで拘束しているからそれが際立つし、ベルトの内側には外から見えないようファーを張ってあるから、外した時に皮膚が傷ついているようなこともない。完璧な商品管理もまた、私たちの誇りであり、落札価格の評価内に入る。

 「45万!」

 声が響いて、あたりが一度静まり返った。

 会場を見渡すと、先ほどまで張り合っていたお客様が悔しげな表情をしているのが見える。

 あれではもう値は上がらない。

 「よろしいでしょうか!

 それではーー」


 「5億だ」


 ハンマープライスを表明せんとした、その矢先。大きな音を立てて開いた中央扉には、肩幅が2mはあろうかと錯覚するほどに男らしい、長身の男が立っていた。

 5億。

 檻の中の美青年が何事か叫ぶ。顔見知りだということか、と、現実逃避を始める思考を、無理やりに軌道修正して深呼吸。

 これは商売だ。法外だと私が感じたところで、付加価値は個人の中にある。出すというのなら支払ってもらおう。ただし、頼むからキャッシュレス以外で。1日どころか1ヶ月の決済上限を超える金額への動揺を押し隠し、いかに現金払い、せめてクレジットカードへ誘導するかと考えを巡らせながら、私は声を張り上げる。

 「では5億!5億で落札と致します!

 担当の者が参りますので、お客様はその場でお待ち下さい!」




 そして、これは後に聞いた話だが。

 担当はあの5億のお客様に決済バーコードを表示した画面を無言で見せられ、泣き崩れないよう必死の震える声で言ったらしい。

 「決済には、上限金額がございまして」

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