第3話
わたしは豪徳寺くんのワキが好きだ。
いや、正確には豪徳寺くんそのものが好きなんだけど、特に好きなのがワキなのだ。
そしてその豪徳寺くんのワキを思う存分鑑賞できる絶好の機会が今日なのである。
藤沢市秋葉台文化体育館で行われるバスケの親善試合。
豪徳寺くんはポイントガードというポジションで出場するらしい。
スポーツ音痴なわたしは何度観てもバスケを理解できない。
バスケのみならずサッカーとかラグビーとかボールが頻繁に動くスポーツは全体的によくわからない。
わからないというかあまり好きではないのだ。
砲弾が飛び交っている真夜中の中東を彷彿とさせ、どうしても戦争を連想してしまう。
そもそもサッカーとかの団体球技は戦争の代替品という気がする。
スポーツマンシップの裏に潜む暴力性がみんなを熱狂させているような気がするのだ。
きっと豪徳寺くんがいなければ真剣に球技を観戦することなんて一生なかっただろう。
「ごめん、ちょっとトイレ行ってくる」
ルカが席を立って数秒、
「ちょっといいかしら」
振り向いた視線の先には本厚木アカリが立っていた。
豪徳寺くんの親衛隊、通称ロータスのリーダーを務めるわたしに敵愾心をむき出しにする前髪ぱっつんの女傑である。
言うに及ばず、わたしが地球上で最も苦手にする人間である。
「小田坂さん、今日はなんなのかしら。まさかまた蓮くんにちょっかいを出すおつもりじゃありませんわよね」
豪徳寺くんのファーストネームである蓮を英訳してロータス。
学園の女子の約半数を有する巨大組織だ。
その巨大な組織に、わたしは目を付けられていた。
「べつに、豪徳寺くんに用があって来たわけじゃないから」
わたしはとっさに噓をついた。
「じゃあさっさと帰ってくださらない。ここはあなたみたいな貧乏人が来るところではないの」
ここはというのはこの藤沢の体育館ではない。
学園のことだ。
私立の進学校で富裕層ばかり、一日四時間のバイトと奨学金で綱渡りな生活をしているわたしとは住む世界のちがう人たち。
「わたしが貧乏で誰かに迷惑がかかるわけじゃないから」
わたしはいつの間にか親衛隊に取り囲まれていた。
「すでに迷惑なんですけど」
「あなた孤児院育ちなんですって」
「ちょっと成績がいいからって調子に乗らないでくださいね」
親衛隊のひとりがわたしのローファーを踏んだ。
孤児院のみんながお金を出し合ってプレゼントしてくれた大切なローファーだった。
「この汚い足どけてほしいんだけど」
「汚いのはあなたでしょ、蓮くんのまわりうろちょろしないで」
またべつの親衛隊が右足のローファーを踏んだ。
わたしはそいつの胸ぐらを掴んだ。
「そこまで」
ルカだった。
「アカリ、また狛江をいじめてるのか。いいかげんに仲良くしてくれないと困るなぁ」
「ちょっと梅ヶ丘さん、ご覧になってください。小田坂さんが暴力をふるっていますことよ。これだからヤなんですよ、貧民窟の野蛮人は」
さんざん煽って人の大切なローファーまで踏んでおいてあげくの果てには貧民窟の野蛮人呼ばわり。
わたしは呆れて掴んだ手を離した。
「はいはい、先に手を出したのはそっち。ローファー踏んでたのも見てました」
スマホを取り出したルカは親衛隊に向けて動画を再生した。
どこで撮っていたのか、スマホには一部始終が映っていた。
「き、きょうのところはこれで失礼させていただきますわ。みなさん行きますわよ。ごきげんよう、おほほほほほほほ」
「「おほほほほほほ」」
本厚木アカリのおほほほほほほに唱和して親衛隊もおほほほほほほと言っている。
「おほほほほほほ」
「いや、あんたまで言わなくていいから」
とつぜん、わっと観客席から歓声が聞こえた。
体育館にボールの音が響く。
「あっ、豪徳寺が出てきた」
ユニフォームにジャージを羽織った豪徳寺くんはわれ関せずとばかりに黙々と練習をしていた。
わたしは身を乗り出して豪徳寺くんを凝視した。
これでもかというぐらいに見つめた。
「かっこいい、かっこよすぎる」
「よだれよだれ、よだれが出てるよ」
「ああ、ごめんごめん」
「それにしても……」
「うん、わかってる」
反対側の観客席に陣取ったロータスの視線が凄まじい。
なかでも本厚木アカリの眼光はわたしを貫通して後ろに座っているたまたま暇つぶしに来ただけみたいなおじいちゃんを射殺しそうだった。
そして試合が始まった。
さっきまでわたしに向けられていたロータスの殺意のまなざしはぬくもりとなって豪徳寺くんにそそがれた。
豪徳寺くんにボールが渡るたびにキャーキャー騒いでいる。
それはわたしもだった。
「かっこいい。豪徳寺くんのワキにわたしの手裏剣を投擲したい」
「ん? いまなんか言った?」
「いや、べつになんでもない」
そして試合がおわった。
結果は惨敗。
進学校だからスポーツは弱いのだ。
「豪徳寺のところに寄ってくかい? 更衣室にも入れなくはないけど」
「いや、更衣室とかそんなのいいから。それにロータスがうるさいからまた今度ね」
ほんとは入りたいけどここはがまん。
体育館の外に出る。
蝉が鳴いている。
楽しい時間はあっという間だった。
先を歩くルカが振り向いた。
「誰よりも気が強い。そこが狛江、君のいいところだ。だけど手を出しちゃいけないよ、胸ぐらを掴んだりしちゃ」
「うん、ありがとう。気をつける」
西陽が眩しくて風が気持ちいい。
わたしたちは小田急に乗って帰路についた。
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