第16話 天辺杉とは?
最初の目的地、天辺杉に遂に到着した。大地に木が根を張っているのではなく、まるで地球に大樹が寄生しているかのような印象を受ける。それだけ、天辺杉と言う存在は圧倒的であった。
「信じられねえ。どれだけ、でかいんだ」
ウィルが呆けたように上を見上げる横で、私も頷いた。
「同感。これって、本当にただの木なのかな?」
「はん?木じゃなかったら、何だ?動物みたいに動き回るとでも言うのか?」
「そうじゃないよ。御神木なのかなって、そう思っただけ」
「御神木〜?お前、ファンタジーに毒されてるのか?」
「違うわよ!日本には、こういう霊厳新たかな木を御神木として崇める風習があるのよ」
「あー。なるほどな」
「確かに…、これだけ立派なものになると神が宿っていそうだな」
ヴォルフが乾いた幹に手を触れる。
「ふん。神が宿るね。日本人らしい考えね」
現実主義者らしいアイシャが茶化すように言うが、彼女も否定しようとはしなかった。
日本人は、あらゆる宗教に、よく言えば寛容であり、悪く言えば、無節操な一面があるが、古くからの迷信なんかは信じている面がある。
類を見ない程の大樹や巨石などを、自然界の奇跡として神聖視するのだ。もちろん、個人差はあるが。
ザワザワと風で葉がざわめく。幹の太さは見えている範囲で、私が両手を広げて、ゆうに4~5人分といったところだろうか。
私は、ヴォルさんの隣で大きな幹に体を寄せた。
何だろう?水の流れる音?幹を透して吸い上げられる水音のようなものが聞こえた。
「何だか、眠たくなる…」
「ははっ。何だそりゃ」
おかしそうにウィルが笑う。
「えー。でも、本当にそうなんだよ?なんだか…」
次の瞬間、激しい睡魔に襲われた。
「おいっ!」
慌てたようなウィルの顔が、視界の端にうつったのを最後に私は意識を手放した。
次に目を覚ますと、テントの部屋の中だった。
「あれ?私…」
「目が覚めた?良かった…。心配したのよ」
半分、寝ぼけ眼の私の上から覗きこむようにアイシャの心配そうな顔が間近に見えた。
「何でテント?もう、夜なの?」
頭がぼんやりとする。
「あなたは天辺杉に気力を奪われて、意識を失ったのよ。覚えていない?」
「えっと…。天辺杉に到着した所までは何とか…」
それからの記憶が曖昧だ。
「恐ろしいわね。人の気力まで奪う植物が存在するなんて」
さっきから何度も出てくる気力って何だろう?
「あの…、気力って何ですか?体力なら分かるけど…」
「そうね。気力よりも、生命力って言ったほうが分かりやすいかしら。あの大樹は人や動物から、やる気なんかの気力を奪うようなの。
さっきまでのあなたがいい例ね。あんな風に幹に体を触れたり、根元で休んでいたりすると、何もする気がおきなくなるようなのよ。
―そうすると、どうなると思う?」
私は首を振った。
「動く気がおきない。ものを食べる気がおきない。そうすると、動物や人はどんどん弱っていくわよね?そして、最後には死んで、あの木の養分となるの」
何それ?こっわ!超こわいんですけど!
「あなたの場合、疲れからくる眠気の方が勝ったようね。だから、すぐに異変に気付くことが出来た。
私達は、すぐにあの木の側から離れて、天辺杉から十分に距離をとった、この場所にテントを張ったわ。
そこであなたを休ませてから、ウィル達が改めて調査に戻ったの。
すると、木の根元から広範囲に渡って動物の死骸がたくさん発見出来たわ。おそらく、根の張る範囲内に長時間いることで、そうした現象が起きるようね」
私の動揺を見てとったアイシャが、ことさら優しい表情をして見せた。
「あなたは大丈夫よ。すぐに引き離したし、それほど気力を奪われてはいないようよ。きちんと医療キットを使って調べたから、心配ないわ」
そこへ第三者の声が重なって聞こえてきた。
「そうですよ。安心してちょうだい」
「テレサ?」
「ええ。私にも報告がありましたから、こうしてあなたが目を覚ますのを待っていました」
枕元におかれた私のデバイスを通して、テレサの声が聞こえてくる。
「ごめんなさい。私の調査不足で、あなたを危険な目に合わせてしまいました」
声だけ聞くと、しゅんと項垂れていそうな女性の姿が想像出来る。まあ、実際は肉体をもたないAIなのだけど。
「テレサのせいなんかじゃないわよ。そもそも、未知の世界を調査するために私達は出発したんだから、新たな発見と喜ぶべきよ」
「喜ぶだなんて!こんなものは百害あって一利なしです!人を肥料がわりにする植物だなんて!」
あー。私、肥料にされるところだったんだ…。ちょっとショック。
「おそらくだけど、地球の大地からの養分だけでは足りなくて独自に進化したのでしょうね。食肉植物は他にもあったけど、新しいタイプね」
アイシャはあくまで冷静だ。見習いたい。
「これはゆゆしき事態ですよ。人の精神に影響を及ぼすなんて、あり得ません。今回の調査は中断するべきでしょう」
そんなテレサの決断に待ったが入る。
「ちょっと待ってくれ。今回は俺の不注意が招いた結果だが、調査は続けさせてくれ」
ずかずかと女子部屋へと入って来たのは、ウィルだった。ヴォルフは遠慮がちに扉の外から覗いている。
「あなたね…。断りもなく入って来ないでちょうだい。ここは女性部屋よ」
「悪かった。って、俺達は兄弟なんだから、別に問題ないだろう?」
言いながら、ウィルが私の顔を見下ろした。
うーん。どうだろう。子供の頃ならともかく、ある程度の年齢ならば、兄妹であってもアウトでは?
「あなた達はそうでも、私は違うわよ?」
「あー。だろーな。颯介もアイシャは違うだろうって言ってたからな」
ウィルが、ガシガシと頭をかいた。
「許可を得ずに入ったのは悪かったよ。けど、話の内容が聞こえてきて、つい…」
「聞いていたなら、どうして止めるのですか?あなたも危険だと判断していたでしょう?」
テレサへの定時連絡は、基本、ウィルが行っている。
「危険だよ。でも、これしきで中断していたら、先へは進めない」
「一旦、中止するだけです。万全の体制を整えて、再度、出発してもらう予定です」
「ある程度の危険は承知の上で、調査に出たんだ。何か起きる度に調査を中断していたんじゃ、この先も、ずっと先に進めない」
「新たな危険に遭遇したら、それに備えることは当たり前のことです。私にはあなた方を守る使命があります」
「テレサが俺達を見守ってくれているのは感謝している。けど、それじゃ駄目なんだ。俺達は、いつまでたっても先へと進めない」
「進めない?私は、調査を永久に中止するとは言ってませんよ?」
「違う。そのことじゃない。俺達は、俺を含めた人間だが、地球の進化に追い付いていない。それは理解しているだろう?」
「それは…」
「当たり前だ。俺達は進化を止めて眠っていただけなんだから。
だが、こうして目覚めた後も進化を止めていたら、永久にこの新しい地球に馴染めず、やがて滅んでいくだろう」
「そんなこと、私がさせません!」
「分かっている。テレサの愛情は単なるAIのそれじゃない。俺達が狂わずにいられるのも、テレサのお陰だ」
「狂うだなんて、そんな…」
「テレサには分かりにくいかも知れないが、人間は、ほんのちょっとした歯車の掛け違いだけでも狂ってしまうんだ。
頭がおかしい、狂人と言う意味だけじゃない。心を病むと言う方が分かりやすいか。そんな風になってしまうんだよ」
「あなた方は正気です。誰も狂ってなんか
いません」
「ああ。有り難いことに、な。それには同じ境遇に生まれた兄弟の存在も、テレサ、あんたの存在も大きい。
だが、人は守られてばかりいては強くはなれないんだ。
苦しみや辛さ、痛みやをバネにして人は強くなる。テレサはそれを阻害しようとしているんだ」
「私は、皆の幸せを考えて」
「うん。分かっている。ありがとう」
「ウィル…」
「俺達は生きた年数で言ったら、子供どころか赤ん坊だ。だが、全員が成人並みかそれ以上の知識を持って生まれ変わった。
一人では無理かも知れないが、仲間がいる。皆と一緒に戦うことだって出来る。
出来ることと出来ないことの区別だって出来るんだ。そして、俺は調査を続けることが出来ると判断した。
皆はどうだ?」
そう言って、周りを見渡した。
「俺は…、早希次第だ。被害にあったのは、彼女だ。彼女が続けられないと言うなら、それに従う」
「私もよ。今回は無事だったけれど、この先、同じようなことがないとは限らない。トラウマになっていたら、困るわ」
「早希。お前はどう思う?素直な気持ちで、答えてくれ」
ウィルの眼差しは、どこまでも真っ直ぐだった。私が嫌だと言えば、素直に調査を諦めるだろう。そして、今度は私抜きで調査隊が組まれるだろう。
そんなことは嫌だと思った。私も仲間の一員だ。最後までやり遂げたい。
「私も…、私も調査を続けるのに賛成する」
「早希!あなたはこんな目に合ってもなお?」
「ごめん、テレサ。でも、天辺杉でも、私のやる気や本気は吸いとられなかったみたい。だから、このまま続けさせて」
あえて面白おかしく言ってみる。私だって恐怖がない訳ではない。もしも、一人でいたら、そのまま永久に眠りについていたことだってあり得るのだ。
「早希…、それがあなたの意思なのね?」
「うん。中途半端なのは私も嫌なんだ」
「了解しました。颯介には私から伝えましょう。しかし、彼が否と言えば、続行は不可能ですよ?それは承知していますか?」
「ああ。あいつが俺達のリーダーだからな」
「皆さんもそれで構いませんか?」
「ああ」
「いいわ」
ヴォルフとアイシャの二人も賛同する。
「それではくれぐれも気を付けて。また、連絡します」
そうして、テレサの通信は途絶えた。
ほうっと誰からともなく、安堵の息が漏れる。
「今日はこのまま、ここで待機だ。早希の気力がどこまで吸われたか定かではないからな。まあ、本人曰く、やる気と本気は十分のようだが」
ウィルがニヤリと笑う。そんな様がひどく似合うのはイケメン故だろうか。
「とにかく、休養することだ。コタ、お前が見張っていろよ?」
「はいです!」
責任重大だと、任されたコタロウが尾をブンブンと振る。
ちょっ、顔に近いんですけど?毛が、毛が顔に当たる。
安心したのか、再び、睡魔が襲ってきた。
「ごめんね。やっぱり、まだ眠いみたい…」
私は、次第に閉じようとする瞼と戦う。
「いいから、何も気にせず眠りなさい。次に起きたら、全てが良くなっているはずよ」
「うん…」
だと、いいな。
私は瞼を閉じる。すると、すぐに眠りに落ちた。
翌朝、私は地震で叩き起こされた。
「はあっ!震度4?いや、5か?」
地震大国・日本で培った震度関知能力である。
隣を見れば、アイシャの姿はなく、コタがキャンキャン鳴いていた。
「な、何ですか!地面が揺れてます!」
コタロウはまだ地震を知らなかったようだ。
キャンキャン言いながら、同じ所をグルグルと周り続けるのを抱き上げて止めた。
胸に抱えているのに、コタの足はまだ宙を駆けていた。
「大丈夫。ただの地震だよ?」
「じ、地震?」
恐ろしいのか、キュウキュウと鼻を鳴らす。
「うん。地球のクレーターが断絶して起こる、自然現象だよ」
「?」
分からないか。まあ、まだ仔犬だもんね。
私は揺れが治まるのを待ってから、コタロウを胸に抱えたまま、テントから出た。
すっかり朝である。
外にはヴォルフが一人、立っていた。
「あれ?ヴォルさん一人だけ?皆は?」
「ああ、うん」
歯切れが悪い。
「ヴォルさん?」
「あそこだ」
天辺杉を指差す。
「天辺杉?まだ、調査しているの?」
「いや、調節ではない。まあ、実験だな」
「実験って、どういうこと?」
すると、再び、大きな揺れが襲ってきた。
「また、地震?ヴォルさん、しゃがまないと!」
部屋の中なら安全な机の下、外なら空き地でしゃがむ。これ、基本。
「地震ではない。これは天辺杉に攻撃を加えているんだ」
「は?」
ポカンと口を開いた私をヴォルフが困ったように見下ろす。
「朝早くに新しいオートマシン、いや、ドリルカーがやって来て、ドリルで穴を開けて、植物を弱らせる除草剤を、直接、天辺杉に打ち込んだんだ。
…その反動がこれだ」
「え?えええええー!!」
これって、天辺杉の起こしている反動なの?
「テレサからの報告をうけた颯介が怒ってな。その…、かわいい妹に何してくれたんだ!植物ごときが人間様を舐めるなー!ってな。その結果がこれだ」
颯介さん!何てことを!私は、顔面蒼白となった。
妹想いなのは有り難いけれど、こんなのやりすぎだよー!
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