第80話 謝罪と真実
次の日もノアとユージーンは学園には来なかった。
一連の事件が解決しないと、ふたりの忙しさは続くのかもしれない。このままでは謝るのは随分先になってしまう。
そう思った私は学園が終わったあと王太子宮に押しかけ、執務室に入るなり頭を下げた。
「大変、申し訳ありませんでした!」
本当に申し訳なくて、ふたりの顔は見られない。
なんなら土下座をする覚悟だった私に、ノアが「やめてくれ」と駆け寄ってきた。
「オリヴィアが頭を下げる必要なんてないよ」
「いいえ、ノア様。私が悪いのです」
「君は悪くない。君を思うあまり、僕の思いばかりを押しつけて、君の気持ちを軽んじてしまった。悪いのは僕だ」
だから顔を上げて、と大きな手で頬を包まれ、優しく上を向かせられる。
ノアは悲しそうな顔をしていた。私が傷つけたのだ。
「でも、私が思い違いをしたばかりに。……学園でも避けてしまって、本当に申し訳ありませんでした」
「確かに、避けられたのはつらかった」
「う……。ご、ごめんなさい」
もう一度頭を下げようとすると、それを止めるかのように抱きしめられた。
久しぶりにノアの香りに包まれて、自分でも驚くほど安心する。いるべき場所に帰ってきたような、そんな感覚だった。
「いいんだ。……はぁ。良かった。嫌われていたらどうしようかと、夜も眠れなかったんだ」
「ノア様が、そんな風に?」
「そうだよ? 僕はオリヴィアのことになると、てんで弱いダメな男になる。僕はね、君がいないと生きていけないんだ」
頬に手を添えられたので、自分からその手の平にすり寄る。
そんな私を見て、ノアは目を細めた。
「オリヴィアは僕がいなくても生きていけるだろうけどね。僕は無理だ。だから絶対に離してあげられない。覚悟してほしい」
「私だって……同じです。ノア様と私は、運命共同体でしょう? ずっと一緒です」
「オリヴィア……」
星空を閉じこめた瞳が、私だけを映し輝く。
ノアに見つめられると、心も体も吸いこまれそうになる。
ゆっくりとノアの顔が降りてきた。うっとりしながら彼の唇を迎え入れようといた時、
「ンンッ!」
低く大きな咳ばらいがして、ハッと我に返る。
ユージーンがいつも以上に冷え切った顔で、抱き合う私たちを見ていた。
しまった。彼の存在を一瞬忘れていた。
「仲直りをされるのは結構ですが、それ以上は私が退室してからにしていただけますか」
邪魔をするつもりはございませんので、と素っ気なく言って出て行こうとするユージーンを慌てて止める。
「ま、待って! ごめんなさい! 私はノア様だけでなく、ユージーン公子にも謝罪したいのです!」
私の言葉にユージーンは立ち止まり、訝しげに眉を寄せた。
「私に? なぜ」
「それは……あなたを疑っていたからです。聖女や第二王子と密談するあなたを見て、王妃派の人間ではないかと勘違いしておりました」
本当に申し訳ありません、とノアの腕から出て頭を下げる。
「ああ……なるほど。確かに私の母方の家は貴族派でしたからね。それで、なぜ私を王妃派の人間ではないと判断されたのですか?」
「それは、セレナ様やギルバート殿下とお話されていた内容が、政治的なものではないとわかったからです」
「わかった? なぜ……」
ユージーンはハッとした顔で、入り口に控えるヴィンセントを見た。
ヴィンセントはその視線を受けても無表情のまま、警護に徹している。
「……どうやら、その男が余計なことを言ったようですね」
「ヴィンセント卿は悪くありません。私が浅はかだっただけなのです。……ユージーン公子。あなたは聖女セレナに、ご家族の治療を依頼されたのでしょう?」
私の問いかけに、ノアも「そうなのか?」とユージーンを見る。
私たちの視線を受けても、ユージーンはしばらく黙っていた。けれどやがて、諦めたようにひとつため息をついた。
「我がメレディス公爵家が長年秘匿してきたことです。本来であれば何ひとつ語りたくはありませんが……仕方ありませんね。お仕えする王太子殿下と、その婚約者の仲がこじれる原因となるのは本意ではないので」
そう言うと、ユージーンは私たちにソファーに座るよう勧め、メイドにお茶を用意するよう指示を出した。
テーブルに紅茶と茶菓子が置かれ、メイドが退出すると、ユージーンはもう躊躇う素振りも見せず話し始める。
「私には五つほど年上の姉がいるのですが、姉は子どもの頃から臥せっており、社交界には一度も顔を出したことがありません」
「ああ。病弱な方だと聞いているが」
「表向きはそういうことになっておりますが、実際は違います。姉は生まれたときは健康でしたし、病気がちというわけでもない。ある事件がきっかけで、屋敷から出ることが出来なくなりました」
「事件というのは、母君の?」
ここまではノアもヴィンセントから聞いていたのだろう。
ユージーンも、ノアが知っていることを承知していたように話していく。
「ええ。母が魔族に殺された、あの事件です。姉は、母が魔族の手にかかったとき、その場に居合わせ、ある呪いを受けたのです」
「呪い……? 心を病んだのではなかったのですか?」
ちらりとヴィンセントを見る。
ヴィンセントは入り口の横に直立不動の姿勢のままだったが、じっとユージーンを見つめていた。
「……事件を知る関係者には、そのように説明し口止めをしました。ですが姉は心を病んだのではなく――」
ユージーンは一度話を止め、両手を強く握りしめる。
怒りだろうか。その手は小刻みに震えていた。
「魔族の呪い、としか言いようがありませんでした。まず目からそれは始まった。姉の目が変色しだし、目の周囲が爛れたように色形を変え、やがて目を開けることもできなくなった。ゆっくりとその呪いは姉の体に広がっている。そして姉は恐ろしい痛みに耐えながら、何年もの間、毎日ただ寝台の上で息をしているのです」
感情を押し殺したユージーンの声に、私もノアも口を挟むことができない。
けれど、ユージーンが話す姉の症状はまるで――。
「その姉の容態が、日に日に悪くなっている。医者にも匙を投げられ、政治的なことで教会の大神官には祈祷の依頼もできない。父も諦めたように姉を気に掛けることがなくなっていく。そんな時、今回の未知の毒による事件が起きました。私は奇跡が起きたと思いましたよ。なぜなら、未知の毒の症状が、姉の症状とよく似ていたからです」
やはり、と私とノアは顔を見合わせた。
ヴィンセントをちらりと振り返ると、今度は彼も信じられない、といった顔をしていた。
まさか、腹違いの姉がそんな状況にいるとは想像もしていなかったのだろう。
「だから、セレナ様に……」
「ええ。聖女なら、姉を治せるかもしれない。治すことはできなくても、進行を遅らせることは可能かもしれない。政治的に軽々しく頼める相手でないことは承知の上でした」
ユージーンは姿勢を正し、私とノアを交互に見た。
「私のほうこそ、おふたりに謝罪せねばなりませんね。私のせいで殿下と神子様にご迷惑をおかけしてしまい、申し訳ございません」
「やめてください、ユージーン公子」
「そうだよ、ユージーン。今回のことはそれぞれが悪かった、ということで終わろう」
頭を上げて私とノアを見たユージーンは、複雑そうな顔で笑った。
おふたりは甘くていらっしゃる、と。国王夫妻になるのであれば、もっと冷徹にならなければいけないと。なんだかとても、ユージーンらしい物言いだと思った。
忙しいふたりの邪魔になってはいけないと、仲直りができたので私はすぐに下がることにした。
「ずっと……魔族の兄を公爵家から追い出したせいで呪いがかかったのだと思いこんでいました」
執務室を出る直前、ユージーンがぽつりとそんなことを言った。
私は少し考えてから、ヴィンセントのグローブを外し、その手に直に触れてみた。
「オリヴィア? なぜヴィンセント卿の手を握る?」
業火担が冷たい笑顔で圧をかけてきたけれど、笑って誤魔化す。
というか、握ってはいない。振れただけなので許してほしい。
頭の中に電子音が響き、ステータスが目の前に表示された。
意外な表記を見つけ、私は驚きを必死に堪えつつ、そっと手を離した。その途端、私の手をノアがすかさず取り、ハンカチでゴシゴシと拭いてくる。
ノア様、さすがにその対応は人としてどうかと思います。
「……ヴィンセント卿は魔族ではありません」
私が告げると、眼鏡を指で押し上げながら眉を寄せた。
「なぜそうと言い切れるのでしょうか」
ステータスが見えるとは言えないし。
いや、言ってもいいのかもしれないけれど、信じてもらえるとは思えない。それならば――。
「神のお告げです」
私は可能な限り神子らしく見えるように、清らかに笑うのだった。
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