第81話 腹黒鬼畜眼鏡の宝物
ノアたちに謝罪をしてから三日後、セレナの都合がようやくついた。
と言っても、メレディス公爵邸への訪問としてではない。神子である私との私的な交流……つまり、放課後一緒にお出かけしましょ、という建前での時間の都合がついたのだ。
その日の授業が全て終了したあと、セレナだけ私の家の馬車に乗り学園を出た。護衛もアーヴァイン侯爵家の者とヴィンセント卿だけだ。
聖女の単独行動などなかなか許されなかっただろうに、そこまで都合をつける為に文官にかけ合ってくれたギルバートは、今回来ていない。
きっとユージーンの事情に配慮してくれたのだろう。
逆行前のギルバートには良い思い出はないけれど、やはりメイン攻略対象者。基本、イイ奴なのだと思う。
(いまのギルバートは、どうにも憎めない相手なのよね……)
セレナと幸せになってくれたらいいな、と願うほどには、私はいまのギルバートに好感を持っていた。好感と言っても、友愛のような類だけれど。
メレディス公爵邸に着くと、ユージーンが出迎えてくれた。
「本日は、貴重なお時間を割き我が家に来ていただいたこと、心より感謝申し上げます」
「えっ! そ、そんな! とんでもないです! こちらこそ!」
ユージーンに頭を下げられオロオロするセレナに、思わず笑ってしまう。
聖女となってたくさんの人に傅かれているのに、セレナはちっとも変わらない。元は平民だった彼女は、他人、ましてや貴族に敬われることにいまだに戸惑っている。
そういうところが、純真で愛らしい主人公だなと思う。
「オリヴィア様もありがとうございます。王太子殿下は中でお待ちです」
ユージーンは私の後ろに控えるヴィンセントをちらりと見たが、すぐに背を向けた。
魔族の子として追い出された義兄が、時を経て家に戻ってきたのだ。思うところはあるだろうが、今日は衝突する気はないらしい。
「オリヴィア。待っていたよ」
「ノア様」
応接室に入ると、お忍び風にマントを羽織ったノアがいた。ソファーから立ち上がるなり、私を抱きしめてくる。
あまりに自然な流れだったので、されるがままになってしまった。横からセレナが向けてくる温かな眼差しがくすぐったい。
「途中、おかしな輩に遭遇しなかった?」
「おかしな輩、ですか? 特に変わったことは――」
ありませんでした、と言おうとしたとき、ヴィンセントが一礼してから口を開いた。
「尾行が数人いたので、途中で妨害し撒いてきました」
「えっ。尾行!?」
「全然気づきませんでした……」
私とセレナは、ヴィンセントの言葉に思わず同時に声を上げた。
馬車の中では特に変化は感じなかった。急にスピードが出ることも、当然何かに襲われたような衝撃もなかったのだが。
ノアがヴィンセントに「よくやった」と労いの言葉をかける。
私からも感謝を伝えると、ヴィンセントの見えない尻尾がぶんぶんと振られたような気がした。
「早速、姉の部屋にご案内いたします」
広い公爵邸の廊下を、ユージーンを先頭に進む。
窓から見事な庭園が見えたが、いつの間にか空には厚い雲がかかり、薄暗くなっていた。
やがて、ユージーンはある扉の前で足を止めた。ここが、彼女の姉の部屋らしい。
ユージーンは私たちを振り返り、固い表情で口を開く。
「姉はいま目が見えておりませんし、言葉も上手く発することができません。ですが耳は聞こえています。どうか、姉を見てあまり驚かずにいただきたい」
「……わかりました」
私たちが頷いたのを確認し、ユージーンは扉をノックした。
「姉上。ユージーンです。お話した通り、お客様をお連れしました。入りますね」
部屋の中の姉に話しかけるユージーンの声に、私だけでなく誰もが驚いた。
なぜなら、あまりにも普段のユージーンと様子が違ったからだ。
(え、今の誰の声? 甘すぎない? 姉にかける声じゃなくない?)
まるで愛おしい恋人にかけるような、甘やかでしっとりとした声だった。
動揺する私たちに気づく様子もなく、ユージーンは扉を開けて部屋に入っていく。
ノアがいち早く我に返ったように、私たちに「行こう」と声をかけてくれて、私とセレナもなんとか頷き後に続くことができた。
「姉上。ご無理はなさらず。そのままで良いと、殿下から許可をいただいておりますから」
ユージーンは部屋の奥にある天蓋付きのベッドに歩み寄ると、そこに横たわる人に優しく声をかける。
その横顔はやはり、私の知るいつものユージーンではなかった。
最早別人だ。普段は冷たさしか感じない眼鏡の奥の瞳が、とろりと溶けそうなほど甘く微笑んでいる。
いや、もう誰だお前は。腹黒鬼畜眼鏡キャラはどこ行った。
「皆様、どうぞこちらに」
ユージーンに促され私たちはベッドに近づいた。
横たわっている女性の顔が見えた瞬間、私は思わず足を止めてしまった。
動けなくなったのは私だけではない。すぐ隣りで、セレナも両手で口元を覆い固まっていた。
「姉の、ユーフェミアです」
ユージーンに紹介されたユーフェミアは、彼と同じ印象的なモスグリーンの髪をシーツに波打たせていた。首筋や手首はひどく痩せ細り、まるで生気を感じられない。
そして何より私たちを驚かせたのは彼女の顔。ユージーンの実姉ならば、きっと美しい人なのだろう。だがいま彼女の顔は、ほとんどが赤紫色に変色し、ぼこぼこと腫れあがり、どこが目でどこが鼻なのか、はっきりと判別できない状態になっていた。
彼女は生きているのだろうかと、本気で疑いたくなるほどのひどい病状だ。か細い呼吸の音だけが、ユーフェミアが生きていることを証明していた。
かろうじて唇とわかる部分が、パクパクと喘ぐように動いた。
すかさずユージーンが耳を寄せる。
「……殿下。姉が、このような姿で申しわけないと」
「ユーフェミア公女。謝るのはこちらの方だ。このように押しかけてしまい申し訳ない」
ノアの声に返事をしようとユーフェミアが唇を動かしたとき、彼女は急に咳こんだ。
固まっていたセレナがハッとした顔でユーフェミアに駆け寄る。
「大丈夫ですか? すぐに光魔法をかけますね! あっ。す、すみません! 私、セレナ・シモンズといいますっ」
「姉上。聖女セレナ様です。姉上の為に力を貸していただけることになりました。きっといまより良くなります」
ユージーンが頷いたのを見て、セレナは早速光の女神を召喚し、ユーフェミアを温かな光魔法で包みこんだ。
光の女神と一体化したように輝くセレナは神々しい。治癒院で聖女としての役目を果たしているからだろうか。その姿は以前よりも、堂々として見えた。
やがてユーフェミアの咳は落ち着き、穏やかな呼吸が戻ってくる。どうやら光魔法が心地良かったのか、眠りについたようだった。
「ありがとうございます、聖女様。最近は、痛みでゆっくりと眠ることもできなくなっていたのです。心から感謝いたします」
「い、いいえ、そんな。私はできることをしただけで。それに、私の力不足で完全に治して差し上げることができなくて、申し訳ないです……」
「充分です。このひとときの休息が、姉には必要でしたから」
姉を見下ろし力なく語るユージーン。
切なげな瞳に見守られるユーフェミアが、一秒でも長く安眠できることを私も願った。
「ユージーン。確かに、姉君の症状は一連の事件の被害者の症状と似通っている。けれど、まったく同じかというと違うような気がするな」
ノアはじっとユーフェミアを観察しながら、そんなことを言った。
ユージーンもすぐに気持ちを切り替えたかのように、冷たい表情に戻り頷く。
「その通りです。治癒院の患者の症状は、変色の具合がもっと黒く、腫れというより爛れたような状態でした。そして進行の早さも姉よりずっと早い。ですから私も、同じものだとすぐに断定し行動することが出来ませんでした」
似ている。けれどまったく同じものではない。
だがどちらもセレナの光魔法である程度症状を回復させることができる。
ノアたちの会話を聞きながら、私はひとつ思いついたことがあり、聞いてみることにした。
「ユージーン様。ユーフェミア様に触れても、よろしいでしょうか?」
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