第71話 側近への嫉妬
ノアの仕事がひと段落し、同じテーブルに着く。
侍女のマーシャが用意してくれたのは、ペパーミントとレモンピールのハーブティーだった。すっきりとした香りで、仕事の合間のリフレッシュに最適だ。その上、利尿や胃腸の働きを整える作用があり、デトックス効果も高いお茶である。
実際、ノアはソファーにつくなりため息をつき、とても疲れた様子だったが、ハーブティーを飲むと少し笑顔を見せた。
「学園はどう? オリヴィアの周りでおかしなことは起きていないかな?」
「私は大丈夫です。ヴィンセント卿もいますし。ただ、友人たちも王都の治安が悪化しているのを感じているようで、不安がっておりました」
ノアはカップを置き、真剣な顔で頷く。
「そうか。貧民街ほどでないにしろ、貴族街でも被害が出始めたからね」
「その流れで、ノア様たちの領地視察が検討されていると耳にしたのですが……」
「ああ。検討というか、視察に行くことは早い段階から決めていたんだけど、議会に提出した途端話がとん挫してね」
困ったようなノアの様子に、私は首を傾げた。
「ノア様が直接赴かれるのは危険だからですか?」
「いや、そういうわけではないんだけど……」
言いよどむノアの代わりに、口を開いたのはユージーンだ。
「聖女を連れていくべきだと、議会の老人共が譲らないもので」
迷いのない口調。私の反応をうかがうような目つき。
まったく感じの悪い男だが、この場合は誤魔化されるよりいいと思った。
「セレナ様を視察に……?」
何だかいま、引っかかるものを感じた。
頭の中の奥のほうに、忘れかけている何かがある。思い出したいのに、思い出せない。
これはきっと【救国の聖女】に関する記憶だ。創造神曰く、物語が変わったために、必要のなくなった過去の知識。
必要がなくなったと判断されたのだとしても、思い出せればノアの調査に役立てられるはずだ。
聖女、視察、毒による事件。これらのキーワードから連想できるイベントはなかったか。
あるとしても恐らく、ギルバートルートではない。ユージーン、もしくはヴィンセントのルートだろう。
「聖女セレナを同行させるとなると、視察にはギルバートが行くことになるからね」
「それでは意味がありません。聖女を同行させるとしても、貴族派領地の視察に行くのはノア王太子殿下でなければ」
冷たく響くユージーンの言葉に、私は小さな反発心を覚え顔を上げた。
「あの……ずっと考えていたのですが、セレナ様とギルバート殿下を、こちら側に引き入れることはできないのでしょうか」
私の突然の提案に、ノアもユージーンも一瞬目を丸くした。
ふたりとも、考えたこともないと言いたげな顔だ。
「聖女はともかく、第二王子殿下を?」
正気ですか? と聞いてきたユージーンの声も目も、あきらかに私をバカにしていた。
ノアはそこまであからさまではなかったが、怒り……というより悲しみの色をその瞳に浮かべていた。
「オリヴィアの気持ちはわかるよ。ギルは悪人じゃない」
「私もそう思います。だから……」
「だが、その母親は悪の権化と言ってもいい存在だ。僕と君の命を狙い続けている相手だと、忘れてしまった?」
自嘲するようなノアに慌てる。
忘れるわけがない。私とノアの出会いのきっかけも、王妃が用意しただろう毒入り紅茶だったのだから。
ノアが生まれたときから王妃に命を狙われ続け、先代王妃である実の母親を殺されていることだって、もちろん覚えている。ノアは恐らく、この国で誰より王妃を憎んでいる人だ。
「忘れたわけではありません! でも……ギルバート殿下が私たちを殺そうとしたことはないでしょう? むしろ先の聖女毒殺未遂事件では、ギルバート殿下は幽閉された私を救おうとしてくれました」
それにギルバートは攻略対象者だ。国を救うヒロインの相手役。しかもメインヒーロー。王妃が悪でも、息子のギルバートは正義の味方キャラなはずなのだ。
だがノアたちは、この世界がゲームを元にしているなどと知る由もない。私も説明するつもりはなかった。
私の目の前にいる人たちはゲームのキャラクターではなく、この世界で生きている人間なのだから。
「では、君はギルが母親を裏切れると思うのか」
ノアの一段低くなった声に、私はハッとした。
「それは……」
「ギルが悪人でないからこそ、実の母を裏切ることは難しい。母親が悪であったとしても、だ。兄である僕と母親、どちらか選ばなくなったとき、ギルはきっと迷うだろう。それが普通だ。そしてそういう相手を信用しきることは難しいんだよ」
わかってくれるね? そう言われ、私は頷くしかなかった。
そうだ。ギルバートは悪人ではない。俺様だが、優しいところもある。そういう人が、簡単に母親を見捨てるとは考えにくかった。
まったくノアの言う通りだ。
「大丈夫。視察の件は保留中だが、調査自体は進んでるんだ」
空気を変えようとしてか、明るい表情でノアが資料を見せてくれる。
ユージーンの視線を気にしながら目を通すと、毒がどのように、どういった形で広がっていったかまで詳細に記されていた。
「……毒の流通元がわかったのですか?」
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