第70話 側近と婚約者の諦観


 次の日は学園の休日だったため、私は早速王宮に赴いた。

 父の手の借り、王宮前に停まった馬車から降りる。

 王宮に来ると、いまだに少し緊張する。敵である王妃がいるという理由以外に、ここが魔族との戦闘の場になり、継母が死んでいるという記憶がまだ新しいからだ。

 私が王太子妃として入宮するまでには、その記憶も薄れ、少しでも安らぐ場所になっているといいのだが。


(というか、本当に私が王太子妃、ゆくゆくは王妃になるのかしらね……)


 悪役令嬢なのに、という気持ちはまだ私の中に強くある。



「本当に王太子宮まで送らなくていいのか」


「はい。ヴィンセント卿もいますし、お父様はお仕事に専念されてください」



 笑って父を見上げると、困ったような表情が待っていた。

 氷の侯爵と言われている父の表情の変化は、私にしかわからないようだが。



「オリヴィア。わかっているとは思うが、現在王太子殿下は非常にお忙しくされている。いくらお前でも、会えるかどうかはわからないぞ」


「もちろん承知しています。でも私は、ノア様に会わなければならないのです」



 彼が忙しく、そして私が役立たずなことは先日の治癒院訪問でわかっている。

 だが、心配なのだ。真面目で誠実なノアは、国の為に自分のことを疎かにする機雷が昔からある。毒についてもだが、彼の健康が損なわれていないか気がかりで、これ以上じっと待っていることは出来そうになかった。

 あれだけ私への愛を手紙にしたためる時間はあるのだ。少し顔を見ることくらい許されるはずだろう。


(そもそも、私を追い返す業火坦が想像できないわ)



「わかっているならいいが……。くれぐれも殿下のご迷惑になるようなことは控えなさい」


「はい。お父様」


「それと、これは一番大事なことだが――」



 私の手を取り、父は真剣な表情で顔をのぞきこんでくる。

 無表情に見えるが、その眼差しからは私への心配が伝わってきた。



「絶対に、危険な真似はしないように」


 幼子に言い聞かせるような口調に、少しの間のあとむくれてしまった。


「……お父様は、一体私を何だと思っていらっしゃるんです?」


「言われても仕方ないことだろう。少し目を離すと、お前はいつも危険な目に遭っているのだからな。毒入り紅茶を自ら飲んで倒れたり、自宅の敷地内で破落戸に襲われたり、投獄されたり、魔族に襲われたり……」



 過去の自分のピンチを次から次に挙げられ、口を噤むしかなかった。

 うん。確かに、言われても仕方ない。

 心なしか、愛馬を降りてこちらを見守っていた、ヴィンセント卿の視線が痛い。

 返す言葉もなく、私は居心地の悪い思いで頭を下げた。



「心配ばかりかけて、ごめんなさい」


「謝ってほしいわけではない。お前にはいつでも笑っていてほしい。だから約束してくれ。自ら進んで危険に身を投じるようなことはしないと」


「……はい。お約束します、お父様」



 しっかりと父の手を握り返し、私は頷いてみせた。



 ◆



 会えないかもしれない、という父の忠告とは裏腹に、王太子宮に着くと、すぐにマーシャが現れ中に通された。

 執務室に向かいながら最近のノアの様子を尋ねると、忙しく食事と睡眠時間を削りがちで困っている、と心配顔で教えてくれる。

 私のほうから、食事と睡眠はきちんととるよう言ってほしいとお願いされてしまった。


 マーシャがここまで言うとは、なかなかまずい状況なのではないだろうか。

 心配の芽がぐんぐん成長していくのを感じながら、ノアの執務室に入る。すると、書類が高く積まれた机の向こうから、ノアが私を見て微笑んだ。



「オリヴィア、来てくれたのか」



 少し目元に疲れの色は浮かんでいるが、それほど悪い状態ではなさそうだ。

 ノアの傍らに立つユージーンは、相変わらず冷たい表情で私とヴィンセントをちらりと見るだけだ。

 彼もノアと同じく疲れているだろうに、涼しい顔をしている。さすが腹黒鬼畜眼鏡キャラ……もとい、未来の宰相候補である。

 ひとまず安堵し、ドレスの裾をつまみおじぎをした。



「ご無沙汰しております、ノア様」


「君に言われると嫌味も愛の囁きに聞こえるな」



 眩しい笑顔で言われ、私の笑顔は引きつりかけた。

 ノアは耳が完全におかしいので王宮医に診てもらうべきだ。今更かもしれないが。



「すまないが、この書類を片付けてしまいたい。ソファーで少し待っていてくれるかい」


「突然来てしまったのはこちらです。いくらでも待ちますから、どうぞ公務を続けられてください」



 ソファーに腰を下ろすと、すぐにユージーンがメイドにお茶の用意を言いつける。

 そのついでとばかりに、入り口の傍に立っていたヴィンセントに絡み始めた。



「ヴィンセント・ブレアム。主をお止めするのも騎士の務めではないのか」


 それに対しヴィンセントも、読めない表情を正面に固定したまま答える。


「俺はオリヴィア様に付き従い、お守りするだけだ」



 確かに、ヴィンセントは忠実なまでにその役目をこなしている。

 余計なことは喋らず、淡々と、機械仕掛けの人形のように。



「つまり、剣を振るしか能がないわけだ」



 どうしてユージーンは、ここまでヴィンセントを傷つける物言いをするのか。

 ヴィンセントを憎むのはお門違いな上、彼はすでに公爵家を追い出され、たったひとりの家族を失い充分つらい目に遭っているというのに。



「どう捉えてくれても構わない」


「否定すら出来ないか。お前に騎士としての誇りはないのか」


 聞いていられなくなり、私は「お止めください」と強く声を張った。


「ユージーン公子。たとえ騎士に止められても、私は私のしたいようにします」


 私の言葉に、ユージーンは嘲笑ともとれる歪んだ笑みを浮かべる。


「さすが、神子様には恐れるものは何もないようで」


「どうやら公子は、私がここに来たことが気に入らないようですね」


「神子様に対し畏れ多い。そのようなことは……」


「公子には、私に来てもらっては困る事情でもおありなのでしょうか」



 眼鏡の奥で、ユージーンの瞳が鋭く光る。

 私はまだ、ユージーンがノアの味方だとは信じきれていない。

 睨み合いが始まった直後、バンと強く机を叩くようにして、ノアが立ち上がった。



「そこまで」



 星空を閉じこめた、王の瞳が私たちを射抜く。

 その威厳のある姿に、私もユージーンも一瞬にして動けなくなった。



「いい加減にしないか、ふたりとも」



 カツカツと靴を鳴らし、ノアが近づいてくる。

 ユージーンの目には、畏れと焦りが浮かんでいるように見えた。きっと、私も似たような顔をしている。



「ユージーン。口を慎め。オリヴィアは僕の婚約者だ。彼女にはいつ何時でも僕に会う権利がある。王太子宮の者には、オリヴィアは無条件に通すよう言いつけてあるんだ」


「こちらには、国政に関わる機密書類があるときもございます。部外者の目に触れさせるわけには……」


「オリヴィアが部外者であるときなど、一瞬たりともあり得ない」


 ぽんと肩にノアの手を置かれ、私はようやくまともに息を吸うことができた。



「ノア様……」




(それはちょっと荷が重すぎますね)



 そんなにも私のことを……感動する場面なのだろうが、どうにもときめききれない。

 むしろユージーンのほうがずっとまともなことを言っているように思ってしまう。

 出来れば機密書類は私の目に触れさせないでほしい。全力で隠してくれたほうがありがたい。



「オリヴィアは僕の婚約者であり、運命共同体であり、この国の未来の王妃だ」


「あの……ノア様、そうは言っても、私はまだ王室入りはしておりません。ユージーン様のおっしゃることも一理あるかと」


「オリヴィア、君は本当に謙虚だね。もちろん、本当にまずいものは王太子宮には持ち込まない。だからオリヴィアは、安心していつでも僕に会いに来てくれていいんだよ」



 私の手を取り、甲に口づけを落とすノア。

 口元が引きつりそうになるのを堪えながら、ユージーンをちらりと窺う。

 『こいつが王太子って、この国大丈夫か』とその顔に大きく書いてあった。

 冷静沈着な未来の宰相がドン引きしている。その気持ちはとてもよくわかる。


 私がそっと首を横に振ると、ユージーンは疲れたようにため息をついていた。

 私とユージーンの気持ちが一致した、貴重な瞬間だった。




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