第69話 顕現、即鉄拳


 私の問いに、目の前のセレナの皮を被った何かはにんまりと笑った。



「さすがオリヴィア! そう、僕だよ! 創造神デミいでっ!?」


 相手が言い終わる前に、私は容赦なく目の前の頭に鉄拳を落とした。


「っだあぁぁぁぁ~! 何するのさオリヴィア~」



 座席に倒れながら痛がる、セレナの皮を被ったデミウルの姿を見て我に返る。

 しまった。ついこれまでの恨みをすべて一撃にこめてしまった。

 仕方ないことだと思う。デミウルに一発お見舞いするのは悲願だったのだ。後でセレナに謝らなければ。



「ずっと殴りたいと思ってたのよ」


「だから何で? オリヴィアが望んだとおり、こうして会いに来たのにぃ」


「遅いのよ! しかも何? セレナの体を乗っ取りでもしたの?」


 デミウルはため息をつき、セレナのドレスの裾をひらひらさせた。


「だって、僕が人間界に顕現するにはこれしかなかったんだよ~。聖女は僕の神力と親和性が高いからね。それでも少しの時間しか持たないんだけどさ」


「こんなことをして、セレナに影響はないんでしょうね?」


「う~ん。ちょっとはあるかもだけど、死にはしないから平気平気!」



 セレナの姿や声で創造神の喋り方をされると、とても複雑な気持ちになる。

 とりあえずすぐにでも殴ろうとする右手を抑えることに注力した。



「それで? オリヴィアは何の用なの?」


「え?」


「僕に何か用があったんでしょ? だからシロに言付けたんだよね?」



 そうだ。デミウルにそっちから来るよう、シロに伝言を頼んだのだった。

 ずっと聞きたいことがあったのだ。創造神にしか答えられないだろうことが。

 私はセレナの座席の背もたれに、ドンと両手をついて迫った。



「私の記憶が消えかけているんだけど、これってあんたのせいなの!?」


「ちょ、お、落ち着こうオリヴィア。僕は何もしてないって」


「じゃあ何で、乙女ゲームに関することが思い出せなくなってるの? 【救国の聖女】についての記憶が曖昧で、思い出せても断片的で困ってるの。あんたが創造神パワーで何かしたんでしょう!」



 デミウルは、ぶんぶんと首を振り泣きまねをする。

 そのあざとい仕草に毎度腹が立つ。子どもの姿をしていても、実際はこの世界の誰よりも年を食っているくせに、と。



「濡れ衣だって~。神に誓って、僕は君の記憶をいじったりしてない」


「神はあんたでしょ。自分に誓ってどうするのよ」


「あ。そうだった。さすがオリヴィア、的確なツッコミいだだだだっ! 冗談です!」



 セレナの皮を被ったデミウルのこめかみを、両拳で挟んでぐりぐりと攻撃する。

 デミウルは「ちゃんと答えるから」と泣いて訴え、私の拳から逃げた。



「はぁ……悪役令嬢は容赦ないな」


「何か言ったかしら?」


「ウチノミコサマハサイコーダナァ!」


「いいから、さっさと白状しなさい」


 私が席に座り直し拳を見せると、デミウルはさっと姿勢を正した。


「はいっ。……君の記憶が曖昧になったのは、君を中心にこの世界が変わり始めたからだよ」


「私を中心にって、どういうこと……?」


「君の知っている物語ではなくなったから、という意味さ。オリヴィアが頑張ったおかげで、君の知る世界とは別の道を進み始めた。だからもうゲームに関する記憶は必要ないだろう?」



 思い出せても意味を成さない、とデミウルは言う。

 世界に必要のないものはやがて消えていく。デミウルの言葉は、私にはそう聞こえた。

 必要のないもの。役目を終えた悪役令嬢や、ギルバートや王妃のキャラクタを際立たせる為だけに存在した、悲運の第一王子も、世界に必要なくなったから死んだのか。


(だとしたら、私やノアが生きているということは、まだ世界に必要な存在だから? また必要がなくなれば、世界に消されてしまうの?)


 本当の敵は王妃ではなく、この世界なのでは。

 そんな風に考えゾッとしたとき、デミウルが「そろそろ行くよ」と言い出した。



「えっ? もう?」


「これ以上は聖女の体が持たないからね。じゃ、また機会があれば!」


 軽く手を振るデミウルに、頬が引きつる。

 冗談じゃない。今回会うのにどれだけ待ったと思っているのだ。だがセレナの体が淡く光始めたので、慌ててその腕をつかむ。



「待っちなさいよ! ええと、そう、毒! 毒スキルでもわからない毒があって!」


「ええ~? 毒? ムリムリ。もう時間が……」


「毒の正体がわからないとスキルが使えないってシロが!」


「あー。じゃあ、次会うときまでに調べておく、よ……」


「ちょっと! 次っていつ……っ」



 がくりとセレナの体が崩れ落ちるのを、寸での所で受け止めた。

 小さく呻きながら、セレナが長いまつ毛を持ち上げて私を見る。ぼんやりとしていたセレナは、何度か瞬きをしてから驚いたように辺りを見回した。



「お、オリヴィア様!? あれっ? ここは、馬車? わ、私、何か粗相をしてしまいましたか?」



 オロオロとするセレナは、もういつもの彼女だった。

 どこか不遜な雰囲気のあるショタ神の名残は欠片もない。



「オリヴィア様……?」


「……大丈夫です、セレナ様。治癒院でたくさん魔法を使われて、お疲れになったのでしょう。少し眠られていただけです」


「オリヴィア様の前で居眠りを!? 申し訳ありません!」



 何度も頭を下げようとするセレナを宥めながら、私は怒りを通り越し疲れていた。

 もちろん怒っているのはセレナに対してではない。


(次会う時までに調べておくって、その次はいつ来るのよ―――!!)


 前世、誰もが持っていたスマホがあれば……と思わずにはいられないのだった。





 治癒院を慰問した翌日から、ノアとユージーンは揃って学園に姿を見せなくなった。

 どうやら例の事件絡みで、更に忙しくなってしまったらしい。

 もうすぐ学術試験があるのだが、大丈夫なのだろうか。

 私は試験に向け、学園の図書館で親衛隊と勉強会を始めた。

 一度目の人生で既に受けた試験ではあるが、当時は継母や義妹の虐待のせいで、それほど勉学に集中できていたわけではない。ノアの婚約者として恥ずかしくないよう、今回は全力で挑むつもりだった。



「ギルバート殿下も、最近お忙しいようです」



 勉強の合間の休憩中、セレナが少し寂しそうに言った。

 セレナはデミウルを降臨させた後遺症か、治癒院慰問のあと一日休んでいたが、二日目には元気な姿で登校していて安心した。

 ギルバートが忙しいということは、王妃の陣営に何か動きがあったのだろうか。

 そんな風に友人の言葉の裏を考えてしまう自分に自己嫌悪していると、ケイトが小声で話しに入ってくる。



「王宮に勤める父によると、殿下たちの領地視察が検討されているとか」


「まぁ、この時期に? どこかの領地で問題でも起きたのでしょうか」


「そいえば、最近治安が悪くなっていると耳にしましたわ」


「貴族街で何かあったと噂になってましたわね。恐ろしいわ……」



 不安そうな顔をするケイトたち親衛隊に、私とセレナは顔を見合わせた。

 あの毒がらみの事件のことが、貴族の間でも噂になっているようだ。



「……皆。何かあれば、すぐに知らせてね。力になるわ」


「私も、回復くらいしかできませんが、出来ることは何でもします!」


「オリヴィア様、セレナ様……」


「おふたりにそう言っていただけると、とても頼もしいですわ」



 ほっとしたように笑うケイトたちに微笑み返しながらも、私の胸の中では不安の芽がすくすくと成長していた。





 侯爵邸に帰ると、ノアから手紙が届いていた。

 ノアが学園に来なくなり、心配で何度か手紙を出しているのだが、その返事は私をいかに愛しているかという文句のあとは、いつも『問題ない。心配するな』の一点張り。


(心配するに決まってるでしょ。婚約者なんだから!)


 王妃が、世界が、ノアを消してしまうかもしれない。その考えがどうしても頭から離れないのだ。

 手紙ではノアの様子が何もわからない。これ以上は我慢できない。

 私は部屋の入口に待機していたヴィンセント卿を振り返った。



「ヴィンセント卿! 明日、王太子宮に向かいます!」




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