第64話 王妃と父


 王妃宮にある、色とりどりの花が咲く温室。

 その中心にあるテーブルを挟み、一組の男女が向かい合っていた。


 豊かな白髭を貯えた貫禄のある貴族の男は、イグバーン王国四大貴族の内の一角、ハイドン公爵。現国王とは対立関係にある貴族派の筆頭で、次期国王に第二王子を推すことを公にしている人物である。

 もうひとりはこの温室の主である、イグバーン王国の王妃エレノア。シックなドレスに身を包んだ王妃は、艶やかな笑みを浮かべながらカップを傾ける。ハイドン公の苛立ちなど気にも留めない様子ではあるが、その内心は読めない。



「……近頃、王都が騒がしいようですが、王妃様はお聞き及びでしょうか」



 沈黙を破りハイドンが尋ねると、王妃は「何のことかしら?」と小首を傾げた。

 成人近い子どもがいるとは思えない、若さを保つ魔性の女。王妃の持つ毒々しいまでの美貌を目にする度、ハイドンは薄ら寒いものを感じ、己の選択は本当に正しかったのかと自問したくなる。



「この通り、私は王宮から出ることはほとんどありません。市井の事情には疎いのです」



 まるで用意していたセリフのように淀みなく言った王妃に、ハイドンは太い眉をピクリとさせた。

 白々しい、とハイドンの鋭い目が言っている。王妃は気づいているのかいないのか、微笑みを崩さない。


 ピリピリとした空気が温室に満ちた。一見険悪とも思えるふたりだが、彼らは血の繋がりのある親子である。老いても雄々しいハイドンとは、まるで似つかない美しい娘。しかし中身の食えなさは確実に自分譲りだとハイドンは考えている。

 自分の妻でありエレノアの母親だった女は、いまはもうない小国の姫だった。見かけが美しいだけの、泣いてばかりで弱いお姫様。利用価値はあったがそれだけだ。エレノアは外見こそ母親に似たが、非常に狡猾で強欲だ。己の手で側妃から正妃の座を勝ち取るくらいには。



「……王太子が動いているようです」

「あら。王太子自らが動くようなことが王都で?」



 まるでいま初めて聞きました、とでもいうような王妃の態度。わざとらしいそれにハイドンは顔を険しくさせる。



「王妃様は誰よりよくご存じなのでは?」

「どうかしら。心当たりが多すぎて」



 冗談めかした王妃の答えに、ハイドンは額に青筋を浮かべテーブルを叩いた。

 ハイドンのカップが倒れ、テーブルに紅茶がこぼれる。



「いい加減にしろ、エレノア」



 我慢ならないとばかりに、臣下から一気に父親の顔になったハイドン。

 だが王妃エレノアの毒のある微笑みは変わらない。

父親の怒気にもまるで動じた様子はなく、余裕を感じさせる。それがまた腹立たしい。



「まあ、怖い。急にどうされたのです?」

「しらばっくれるな。王都だけでなく地方の至る所で被害を出すなど、何を考えている。国を潰すつもりか」



 怒りで声を震わせるハイドンをじっと見つめたあと、王妃はカップを置き「お父様」と呼び方を変えた。

 同時に王妃の表情が変わる。毒のある微笑みは消え、底冷えするような冷たい顔を見せた娘に、ハイドンは一瞬気圧されたのを感じた。



「至る所ではございません。場所は選んでおります」



 当然だと言うような王妃の口調だが、ハイドンは納得がいかない。

 被害が出ている地域は、ハイドンにとってどこも重要な場所なのだ。



「……偏りがあるのはわかっていた。それには意味があると?」

「もちろんですわ」



 きっぱりと答える王女だが、それ以上語ろうとしない。

 味方である実の父にさえ口が堅い。面白くはないが、だからこそ信用ができる。

 実の娘ながら、誰より敵に回したくない存在だ。



「もちろん。けれど、予想より早く王太子が勘づきましたわね」

「どうする気だ。そろそろ本気で消しにかかるか? 王太子が婚約し、いま勢いづいているだろう」

「そうですわね。アーヴァイン侯爵令嬢をギルバートに宛がえなかったのが残念でした」

「神子などというあやふやな娘など必要ないだろう。それならば他国の姫を娶るほうが理想的だ」



 他国の姫、とハイドンが口にしたとき、エレノアの目が冷たく光った気がしたが、一瞬のことですぐに消えてしまう。

 気のせいか、とハイドンはすぐに意識の外に追いやった。



「他国から干渉されるような隙は作りたくない。そうおっしゃったのはお父様では? だから聖女をギルバートの婚約者に、という話になったはずです」

「聖女はまだいい。建国史や歴史書に多く記載され、教団にも存在が認められている。だが神子などという存在は、過去一度も歴史上現れていないだろう」



 ハイドン公爵家はイグバーン王国で最も古い家門のひとつだ。現王室よりも先にこの地にあった由緒ある公爵家の当主であるハイドンは、何より歴史を重んじる。

 そんなハイドンを嘲笑うかのように、王妃は「アーヴァイン侯爵令嬢が歴史初の神子というだけです」と淡々と答えた。



「それに聖女より尊い存在として既に認知され始めているようですし」

「では聖女をギルバートと婚約させることに意味はないと言いたいのか」



 再び怒りをあらわにするハイドンに、王妃は口の端を歪めた。

 それが笑みだと気づくのに、ハイドンは時間がかかった。



「聖女は神子がいなくなれば、最も尊い存在となりますわ」



 その言葉の意味に、ハイドンはごくりと喉を鳴らした。

 恐ろしい娘だとは思っていた。必要とあらば実の親でもあっさりと切り捨てる非常な女だと。

 王妃という地位を手に入れるため何人もの命を奪ってきたエレノアは、神すら畏れることはないらしい。



「王太子については、これまでもそれなりに本気でした。ですが存外しぶとくて」

「……だからわしが代わりに消してやると言ってきただろう。王宮内より学園が狙い目だな。もしくは移動時に事故に見せかけるか」

「ええ、いずれは。ですがいまはまだ、少し早いですわね」



 素っ気ない物言いに、ハイドンの眉が寄る。



「少し早い? 一体わしをいつまで待たせる気だ。ギルバートが王位に就く前に天から迎えが来てしまうぞ」

「仕方ありません。美しい花を咲かせるには、しっかりと土を耕して、栄養を含ませねばなりませんのよ」



 辺りの毒花たちに目をやりながら、王妃は嫣然と笑った。

 温室に咲くどの花よりも、エレノア自身がいちばんの毒花だ。ハイドンは実の娘をそう評価した。



「ではどうする。放っておくのか」

「そうですわね……ちょろちょろと動かれるのは目障りですから、わざわざ餌をくれてやることはないでしょう」


 テーブルクロスに広がった紅茶の染みをじっと見下ろし、エレノアは再び嫣然と笑った。


「毒が回りきる前に、“あの子”に処理を頼まないと」



 実の父親がゾッとするほど冷たい目で笑った王妃は、これまでの会話などなかったかのように優雅にまた紅茶を飲むのだった。


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