第65話 騎士は騎士
迎えに来た王宮の馬車に乗っていたのは、ノアだけだった。
ユージーンは先に治癒院に向かい、ノアを出迎える準備をしているらしい。
私たちを乗せた馬車が動き出す。小窓からは、王太子の護衛騎士たちに混ざり、黒い馬に騎乗するヴィンセントが見えた。
「ノア様。治癒院では、ヴィンセント卿を外で待機させておいても構わないでしょうか」
私が尋ねると、向かいに座っていたノアは曖昧な笑顔を見せた。
「出来れば専属騎士は、常に傍に置いておくほうがいいと思うよ。治癒院で危険が及ぶことはほぼないだろうけど……何かあった?」
「何かあったというか……」
何かがありそうだから言ったのだ。
ユージーンと顔を合わせたら、また半魔だなんだとヴィンセントが中傷を受けかねない。
表情の変化が乏しいヴィンセントだが、感情がないわけではないのだ。自身の生い立ちに引け目がある分、きっと赤い瞳に関することには傷つきやすいはず。
出来ればユージーンとの接触は極力避けたかった。
「ヴィンセントと上手くいってない?」
「いえ! そういうことではないのですが……」
ふと、ノアはユージーンとヴィンセントの関係を知っているのか疑問が沸いた。
自分の側近を選ぶに当たり、ユージーンのことは調べ尽くしているはずだ。
では、ヴィンセントのことは?
婚約者の騎士を決めるときも、ノアなら念を入れて生い立ちから何から調べ上げただろう。何せオリヴィア業火坦なのだ。もしかしたら、自分の側近を決めるとき以上に事細かに調査したかもしれない。
だとしたら、なぜ——。
「ノア様」
「何だい、オリヴィア」
「なぜ、ヴィンセント卿を私の専属騎士に選ばれたのですか?」
ノアは星空の瞳を瞬かせ、私の顔をじっと見た。
「それは、彼が最も信頼できる騎士だと思ったからだ」
「ヴィンセント卿が、一番強いからということですか」
「実力はもちろん、内面的な部分でもだよ。彼は僕を裏切ることはないだろう」
私は忠実な大型犬のようなヴィンセント卿の姿を思い出し、頷いた。
「確かに、ヴィンセント卿が裏切ることはあり得ませんね。とても誠実で、真面目な方ですから」
少々真面目過ぎる気もいたしますが、と私が笑うと、なぜかノアがムッとした顔になる。
「どうやら、ヴィンセントとは上手くいっているようだね」
「そうですね。たぶん……良好な関係は築けているかと思います」
何せ、聖なる騎士の誓いを立てられてしまったのだ。
馬を走らせるヴィンセントを小窓から見つめる。
残念ながら私に見えるのはステータスのみで、パラメーターを見ることはできないが、恐らくヴィンセントの好感度ゲージは五十パーセントを超えているだろう。イベント『聖なる騎士の誓い』の発動条件がそれだからだ。
「まさか、ヴィンセントのことが気になるのかな?」
突然低くなったノアの声に、私はハッとして小窓から顔を離した。
星空の瞳は真っすぐに私を見ていた。ノアは微笑んでいる。微笑んではいるが、それは決して温かな表情ではなかった。
(な、なんか怒って、る……?)
馬車の中の空気が一気に冷えていくような気がした。
なぜ突然ノアの機嫌が急降下したのかわからない。オロオロする私に、ノアは冷たい笑みを浮かべたまま小首を傾げた。
「僕の質問に答えられない?」
「え、ええと……何の話でしたっけ……」
「ヴィンセント卿が気になるのかと聞いたんだよ」
「そうでしたね! き、気になるというか、純粋に、どうして彼だったのか不思議で」
これは話題を変えたほうがいいだろうか。
ノアの意図をどうしても知りたかったわけではない。知らなくてもヴィンセントとは上手くやれるだろうし、ユージーンとのことも摩擦が最小限で済むよう気を配ればいい。
ここは不自然にならないよう、治癒院に着いてからの流れでも確認しよう。そう思ったとき、ノアが「もしかして」と呟いた。
「ヴィンセントの瞳のことを言っているのかな?」
私はハッと顔を上げ、ノアと視線を合わせた。
「やっぱり、ノア様もご存知だったのですね」
「もちろんだ。だが、彼は噂されるような危険人物ではない。それは僕が保証しよう」
やはりノアは知っていた。私に黙っていたのは、余計な不安を与えない為だったのかもしれない。
「ヴィンセント卿のことを不安に思っているわけではありません。彼は瞳の色が赤いだけで、普通の人です。それを言うなら私の髪や瞳の色も珍しいですから」
「そうだね。僕の瞳もそうだ」
王の瞳。星空を閉じこめたようなその不思議な瞳を、ノアはわずかに細めて言った。
王族の証明でもある瞳と、魔族と同じ赤い瞳を同列に語るのは愚かなことだ。ヴィンセントの境遇がそれを物語っている。私もノアもわかっていたが、お互い敢えて自分たちも同じだと言った。そう言いたかったのだ。
「私が気になるのは、ヴィンセント卿とユージーン公子の関係です。なぜ側近のユージーン公子と不仲であるヴィンセント卿を騎士に選んだのか。ノア様に何かお考えがあるのか聞きしたかったのです」
私の言葉に、ノアは目を見開いた。
「なぜ……ヴィンセントがユージーンとのことを話したのか?」
「話した、というか……話さざるを得なかったというか……」
あなたの側近が突っかかって来たからです、と正直に言うのは躊躇われる。
言葉を濁す私に、ノアは小さくため息をついた。
「そうか。それで事情を知った君は、ヴィンセントを心配したわけだな」
「……私の騎士である限り、ヴィンセント卿はノア様の側近であるユージーン公子との接点がどうしても増えます。ですから、特別な理由がないのであれば、ヴィンセント卿でなくとも……っ!」
言いかけた私の唇は、ノアによって塞がれた。
不意に頭を引き寄せられ、続く言葉はキスに飲みこまれた。
ゆっくりと唇を離したノアは、甘く微笑みながら私の瞳を覗きこむ。
「オリヴィア」
「……はい」
「専属でも、騎士は騎士だ。あまり肩入れしないように」
「ですが……」
言い返そうとしたが、ノアの目が切なげに見えて、何も言えなくなってしまう。
そんな顔をするのはずるい。逆らえないではないか。
「君は僕の婚約者なんだから、心を砕くのは僕だけにしてほしい」
「……私がお慕いしているのは、ノア様だけです」
私の返答に、ノアは「当然だ」と返し、もう一度口づけてきた。
強引で、独占欲が強くて、どうしようもなく可愛い人。そんな風に思ってしまう私も大概だ。
けれど、ノアの口づけに応えながらも、ヴィンセントの寂しげな赤い瞳が頭から離れなかった。
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