第55話 薄れゆく記憶
白い湯気に包まれた天井を見上げ、ため息をつく。
侯爵邸の離れに神獣シロさまが作ったありがた~い温泉に浸かりながら、私は今日回廊で会ったユージーンのことを考えていた。
攻略対象キャラであるユージーンは、すでに聖女と接触していた。ゲームでは学園で出会うはずのふたりが王宮で出会っていたのは想定外だけど、私のせいでここまでシナリオが変化しているのだから、多少展開に影響があるのは仕方ない。
重要なのは、今後の展開だ。ユージーンルートでどんなイベントが起こり、分岐によってどういう結末に行き着くのか。それがわかっていれば対処はできる。
ギルバートルートのように、卒業間近のイベントが突然先に来てしまうというとんでもないイレギュラーが起きる可能性もあるが。
さて、ユージーンルートはどんな流れだったか——。
「……待って。どういうこと? ユージーンルートが全然思い出せない」
驚いて身を起こすと、顔に乗せていたキウイたちが次々と湯に落ちた。
料理長に頼んで、料理で使わなかった果物の切れ端で、フルーツパックをしていたのだ。ぺたぺた顔に貼っていると、アンに「今度は何の儀式です?」と奇異なものを見る目を向けられたが。
いや、いまはそんなことよりもルートについてだ。なぜ思い出せないのか。
「前世の私が腹黒鬼畜眼鏡キャラがあんまり好きじゃなくて、やりこんでなかったから? でもギルバートもそんなにやってないけど、はっきりルートは覚えてたのに……」
ユージーン・メレディスという攻略キャラがいたことは覚えている。公爵家の嫡男で、知的で冷たいキャラだということも。最初こそ感じの悪い態度だけれど、どんどん主人公に甘くなっていくのが特徴だということも。
だがそれ以外のルートや設定など細かな部分が、霞がかかったようにぼんやりとして、うまく思い出せない。
「嘘でしょ……じゃあ、他のキャラは?」
ギルバートとユージーン以外のキャラはどうだ。確かあと三、四人いたはずだ。
だがどうだろう。思い出そうとすればするほど、前世の記憶にかかった霞は、霧のように濃くなっていく。
「~~~~~っ! 何で思い出せないの!?」
『んぶっ!?』
私が叫ぶと同時に、それまで温泉に浸かりながら居眠りしていたシロが湯にドブンと沈んだ。
『ゲホッ! も~何だよオリヴィア。びっくりしたよぅ』
「ちょっとシロ! どうなってるの!? 前世のことが思い出せなくなってきてるんだけど!」
シロはきょとんとした顔で首を傾げる。
『前世の記憶が思い出せないって、デトックスのことを忘れてるってこと?』
「え? ……ううん。デトックスのことは覚えてるけど」
『だよねぇ。オリヴィアがデトックスのこと忘れるわけないよねぇ』
良かった良かった、と再びまったり湯に浸かろうとするシロの尻尾を慌てて掴む。
『んぎゃっ!』
「全然良くないわよ! デトックスのことは覚えてるけど、乙女ゲーム【救国の聖女】のことがうまく思い出せないの!」
『わわわわかったから、尻尾はやめてぇ~っ』
尻尾が弱いらしいシロは、涙目で暴れ浴槽の端へと逃げた。じとりと私を睨みながら『僕は何も知らないよぅ』と恨めしそうに言う。
「本当に? デミウルから何も聞いてないの?」
『聞いてないってばぁ。嘘ついてどうするのさ』
「じゃあ……最近デミウルに会ったりしてる?」
シロは呼べばすぐに現れるけれど、いつの間にか姿が見えなくなったりもする。
普通の精霊は呼び出しているとき以外は、精霊界にいるという。だがシロは精霊ではなく神獣だ。神獣なら、普段は神の傍にいるのではないだろうか。
私の知らないところで、デミウルとこの世界についての重要な話をしているのでは。そう疑った私の前で、シロはスイ~っと平泳ぎをし始めた。
犬かきじゃないんかい、なんてツッコミはしない。絶対にするものか。
『オリヴィアはデミウルさまに会いたいのぉ?』
「は……? 会いたいかってそれはもちろん——」
私はそのとき、これまでデミウルと会ったときのことを思い浮かべた。最初の出会いは、逆行前の人生の終わり。毒を盛られ北の古塔で死んだときだ。二度目は確か、ノアに盛られた毒を代わりに口にしたとき。三度目は魔族の毒にやられたときだった。
全部毒で仮死状態に陥っているときにデミウルに会っている。つまりデミウルに会うということは、私は死にかけているということだ。
「……正直、会いたいかって聞かれると、答えは“いいえ”ね。毒で死なないとは言っても、好き好んで仮死状態にはなりたくないわ」
『死なないならいいんじゃないって思うけどなぁ。いいよ。じゃあ、デミウルさまにオリヴィアが会いたがってるって言っとく』
「待って。その言われ方はなんだか癪に障るから、確認しなきゃいけないことがあるからそっちから会いに来いって言っておいて」
『ええ~? 面倒くさいなぁ。人間て妙なことにこだわるよねぇ』
シロは平泳ぎしながら文句を言っていたが、とりあえずデミウルへの伝言は引き受けてくれた。
なんだか誤魔化された気がしないでもない。デミウルとシロ、ふたりで私に何か隠していることがあるのでは。いや、考えすぎか。
しばらく疑いの眼差しでシロを見ていたが、平泳ぎから今度は背泳ぎまで始めた神獣を見ていると、考えるのもバカらしくなってきて思考を放棄した。
まともな方法で会いに来い、と言えばよかったと後悔したのは、温泉でのほてりがすっかり冷めた頃。明かりを消し、眠りにつこうとしていたベッドの中だった。
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