騎士と側近の章
第51話 神の嘆き、届かない願い
朽ちかけた祭壇に立つ美しい少年が手を掲げると、宙に巨大な水球が現れた。
少年はこの世界の創造神デミウル。世界の生みの親であり、世界を見守る者である。
デミウルの創り出した水球に、ここではない別の場所の風景がぼんやりと映し出された。
◇◇◇
守護竜の像が見下ろす王宮の一画。王太子宮の庭園では、白いリコリスが咲き乱れている。その中心に建つ蔦のからまる東屋で、一組の男女が見つめ合っていた。
宮の主である王太子ノア・アーサー・イグバーンと、その婚約者のオリヴィア・ベル・アーヴァイン。休日にふたりはひとときの逢瀬を交わしていた。
「ノアさま……」
「どうした? 僕の可愛いオリヴィア」
「だ、だからそういう……」
「ん? よく聞こえないな。もっと近くでその美しい声を聴かせてくれ」
「~~~もうっ! だから、そういうのをやめてくださいと申し上げているんです! 恥ずかしくて死にそうです! あとさっきから見つめられ過ぎて、顔に穴が開きそうなんですー!」
ベンチで横並びに座ったふたりだが、オリヴィアの手はノアに握られ、腰を抱き寄せられ、隙間なく密着していた。喋るときは耳元で、見つめるときは唇が触れあうほど近く。いまにも押し倒されてしまいそうな雰囲気に、オリヴィアは限界を感じ叫んでしまった。
昼下がり、太陽はまだ高いところで輝いている。こんな明るい時間から、人目も憚らずイチャイチャできる神経は持ち合わせていない。先ほどから離れたところに控えている侍女やメイドたちの視線が気になって、居たたまれないのだ。
だが人の視線に慣れ切った王太子が自重することはない。オリヴィアの頭に口づけを落としながら「見られたところで何か困ることでも?」としれっと言う。
オリヴィアが恥ずかしがっていることに気づいていながら、その反応を楽しんでいるのだ。
「こういうことは、せめてふたりきりのときにするべきですっ」
「ではいますぐふたりきりになろうか? 僕の寝室まで抱いて連れて行く?」
「そそそそういう意味で言ったのではありません!」
「そういう意味ってどういう意味?」
にっこりと完璧な笑顔を作ったノアに、オリヴィアはじとりとした目を向けた。
「……ノアさま、わかっていてわざと仰っているでしょう」
「バレたか」
「すぐそうやってからかうんですから!」
「からかってるんじゃないよ。心から可愛がってるんだ」
照れ隠しにオリヴィアがノアの胸を叩くと、青い瞳がとろけるような甘さで見つめてくる。だめだ。この瞳に見つめられると、心も体も吸いこまれてしまいそうになってしまう。
唇が重なりかけたときだった。強い風が吹き、白い花びらが風に吹かれ一斉に舞い上がったのは。
「わあ……!」
婚約式でのフラワーシャワーを思い出し、オリヴィアは自分たちの幸せを祝福されているように感じた。ノアは何やら「いいところで……」と苦々し気に呟いていたが。
古より火竜の守護を受けると伝えられるイグバーン王国にはいま、束の間の平和が訪れていた。つい最近、魔族の襲撃で王宮が一部瓦礫と化したとは思えないほどに。
一度目の人生で、聖女を害そうとした罪で牢に入れられ毒殺されたことは、それよりさらに遥か遠い過去に感じた。
創造神デミウルの憐みにより、再び侯爵令嬢オリヴィアとして二度目の人生を与えられてから様々なことがあった。時間を巻き戻すと同時にデミウルから贈られた、前世の記憶と毒スキル。それらを駆使し、再び毒殺される危機を乗り越えなんとかここまで生き延びてきた。
同じく毒殺される運命だった王太子を救い、なぜか婚約者になってしまったり。聖女と勘ちがいされた揚げ句、ヒロインである本物の聖女の登場で偽聖女扱いされたり。一度目の人生と同じく聖女毒殺未遂の疑いで投獄されたかと思えば、今度は神子などと崇められるなど、想定外な出来事だらけではあったが……。
とりあえず、一度目の人生で自分を虐げてきた継母は魔族に体を乗っ取られ消滅し、義妹は聖女毒殺未遂の真犯人として修道院に送られ、侯爵家からは脅威は去った。これからも細く長く生きるという目標は変わらない。
だがノアに出会い、ひとりで長生きするだけでは足りなくなった。隣にノアがいなければ意味がない。願わくば、ノアと一緒に生き延びて幸せな人生を送りたい。
そんなことを考えながらオリヴィアがノアと笑い合っていると、メイドがティーセットを運んできた。恐らくノアがそれに手を伸ばしたとき、オリヴィアの頭にピコーンと電子音が鳴り響く。
ハッとして、オリヴィアはノアの手を止めた。
「ノアさま、飲んではいけません」
そっと首を振るオリヴィアに、ノアの笑顔が固まる。
「……まさか?」
「はい。その紅茶は——毒入りです」
◇◇◇
きっぱりと言い切ったオリヴィアの姿が、水球から消える。
代わりに浮かんだのは小瓶を受け渡しする商人たち、次は魔物の増えた森、その次は魚が激減し変色した湖、荒廃した畑。
次々と切り替わる景色に、創造神デミウルは憂いの表情を浮かべた。
「穢れが急速に広がっている……」
呟く様子は、オリヴィアの知るマイペースショタ神とはかけ離れた姿だ。すべての生みの親として過去といまと未来を見通すデミウルは、慈愛と威厳に満ちた目をしている。
「デミウルさまぁ」
デミウルの傍らで水球を見上げていた白い神獣が、どこか不満げな、そして心配そうな声を上げた。
「オリヴィアに教えなくていいの?」
「いずれ嫌でも知ることになるよ。そういう運命だからね」
水球には、遥か上空から見たイグバーン王国が映し出される。
緑あふれる美しい景色だが、デミウルの憂いの表情は晴れない。
「過酷な運命を背負った少女よ……どうかイグバーンに救済を」
水球に再びオリヴィアの姿が映し出される。神として、人の世に深く干渉することの叶わないデミウルは、加護を与えた己の神子にそう願った。
それを見ていた神獣シロは(勝手に神子にされてたオリヴィアにそんなこと願っても、届くわけないのになぁ)と、こっそりため息をつくのだった。
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