第52話 過去の記憶、未来の選択
「私に専属騎士、ですか?」
ティーカップを置いたタイミングで思ってもみないことを言われた私は、まじまじと向かいに座るノアを見た。
「ああ。正式に僕の婚約者となったんだ。専属騎士はつけるべきだろう」
微笑む星空の瞳にパチパチと瞬きを返し、納得する。私と一緒に父を王太子宮の応接室に呼んだのは、そういうことだったのか。
私の隣に座る父・アーヴァイン侯爵は無表情で「必要性はあまり感じませんが」とノアに冷たく返した。
「殿下と婚約したとはいえ、オリヴィアはまだ学生の身分です」
「逆だろう、侯爵。学生であっても、オリヴィアはイグバーン国王太子の婚約者という重要な立場になったのだ」
「しかし学園の警備は万全であり、王都の屋敷は腕の立つ衛兵を配置しております。外出時は私の選出した護衛もつけておりますし、専属騎士などなくとも問題ないのでは?」
父の発言に、いつの間に護衛などつけていたのかと驚いた。王宮の馬車を使うときには騎士がもれなくついてきたが、私用で出かけるときも知らないうちに守られていたとは。
「……というか、私の専属騎士の話ですよね? 私の意見は?」
会話に入りづらい空気ではあったけれど、構わず口を挟む。前世アラサーの私は空気を読むことも、敢えて読まないことも可能だ。自分のことなのだから、思ったことはきちんと言葉にするべきだろう。
だが、ノアも父も、ちらりと私を見ただけで、まるで聞こえなかったかのように「それで……」と会話を続ける。ひどい。婚約者を、娘を無視する気だ。
「問題ないと本気で思っているのか? 侯爵家の私兵と王宮の近衛騎士を同列に扱われては困るな」
「もちろん私も国に仕える騎士ですから、近衛騎士を軽んじているわけではございません。ただ、我が家の兵士たちをその辺の私兵と一緒にされるのは心外です。アーヴァインの兵士は私が自ら鍛えておりますので」
「ほう。第二騎士団団長殿自ら鍛えているから、近衛騎士には負けないと?」
ノアから笑顔が消える。部屋の温度が一気に下がった。
ハラハラする私を他所に、父の態度は変わらず落ち着いている。
「少なくとも、私やオリヴィアへの忠誠心と献身は比べるまでもありません」
「王宮近衛騎士には忠誠心が足りないと言うのか」
「すべての近衛騎士が信用に足る人間か、というのが問題です」
婿と舅が互いに一歩も引かず火花をバチバチ散らしている。
もっと仲良くしてくれてもいいのに、とは思うものの、これもふたりなりのコミュニケーションなのかもしれない——と、いうことにしておく。そのほうが平和だ。
「というか、私の意見……」
不貞腐れたような気持ちでふたりのやり取りを眺めていると、意外にも先に折れたのはノアだった。
「……わかった。本来なら未来の王太子妃の騎士隊を作りたいところだが、まだ学生であることと、成婚には至っていない点を配慮し、専属護衛騎士ひとりのみをつけることで手を打とう」
そう言ってノアが息をつくと、ピリピリとした空気が霧散し柔らかくなる。
王太子という立場から、婿という立場に変え一歩引いた形に感じた。
「ひとりならわざわざ騎士をつけることもないのではありませんか」
「学園内に出入りできる騎士をつける」
「それは、学生……ということですか。見習い騎士ではそれこそあまり意味がないのでは。学園の衛兵で事足りるかと」
「衛兵こそ信用ならない。王妃の息がかかった者もいるだろう。実際、先日の聖女毒殺未遂の際も、僕の制止や言い分を聞かずオリヴィアを連行したのは衛兵だった」
ノアの言葉に、父が押し黙る。
あのとき問答無用で私を拘束した衛兵は、王妃側の人間だったらしい。王妃の手が及ばない場所など、この国にはないのだろう。彼女に金と権力がある限り、つまり王妃という立場である限り、私やノアはいつ如何なる場所でも危険と隣り合わせなのだ。
「人柄、実力ともに申し分ない人物がひとり思い当たる。僕がここまで譲歩したんだ。侯爵もひとつ僕を信用し任せてくれないか」
「……殿下にそこまで言われてしまっては、私もこれ以上意地を張るわけにはいきません。承知いたしました。ただし、殿下の選出された者が信用できないと判断したときは——」
「そのときは、成婚に至るときまで、オリヴィアの護衛に関しては侯爵に任せよう」
ノアと父が頷き合うのを見て、ようやく私も肩から力が抜けた。
「私の意見は……まぁいいか」
なんとか話がまとまったらしい。正直私も、専属護衛騎士なんて仰々しいものは必要ないと思っていたけれど、ノアの言い分ももっともだ。
ノアは王太子として忙しい身であり、学園にいないことも多い。学園内ですら安全ではないのだから、ひとりくらい信頼できる味方に常に傍にいてもらうのもいいかもしれない。
(私にはシロがついてるから大丈夫って言いたいところだけど……)
ちらりとソファーの後ろを見ると、だらしなく床に寝そべり惰眠を貪っている神獣さまがいた。その白い腹はぽっこり膨らみ、横にはデトックスクッキーの食べこぼしが散らばっている。
働きたがらない怠惰な神獣は、やるときはやるが、やらないときはまったくやらない。つまり、あまり当てにするのは危険だということだ。
その専属騎士が、信用できる人物ならいいなと思う。王族ではなく、私に忠誠を誓ってくれる騎士であれば、この上なく心強い。私が生き延びる確率もぐんと上がるはずだ。最近は聖女セレナと普通に接触してしまっているので、気を付けなければ。
セレナやギルバートなど、乙女ゲーム【救国の聖女】の登場人物や攻略対象キャラとは、極力接触を避けなければいけない。それが私が生き延びるための道だ。だが神子という肩書を名実ともにつけられてしまったいま、聖女との関りを断ち切るのは難しい。それに……。
(セレナって本当にいい子なのよね。主人公らしく健気で一生懸命で可愛いし)
私を慕ってくれているのに冷たくするのは心苦しいし、私もセレナとは仲良くしたいと思っていた。
一度目の人生と同じく、聖女の世話はギルバートがしている。私がギルバートを狙わず、聖女に嫌がらせをしなければ、悪女断罪ルートには入らないはずだ。そうやってセレナ以外とのゲームキャラとの接触を控えれば、何事もなくやり過ごせるにちがいない。
(でも、ルートと言えば、結局ヒロインのセレナはどのルートを選ぶのかしら……?)
私がイレギュラーな行動をしたせいで、明らかに一度目の人生とはちがう展開になっている。ゲームの時系列とも大きなズレが生じていた。ここからは本当に、どんな出来事が待っているのかわからない。
いまのところセレナはギルバートルートに入っている気もするが、そうならない可能性もある。他のルートについても考慮しなければならないとは思うのだが、なぜか最近前世の記憶、特に【救国の聖女】に関する部分が曖昧になっているのだ。霞がかかったようにぼんやりとして、うまく思い出せないことが増えた。
「オリヴィア? どうかした? 君も専属騎士をつけるのは不満なのかな」
「いえ……真面目な方だといいなと思っただけです」
「真面目か。その点は安心してくれて構わないよ」
ノアに微笑まれ「良かった」とにっこり返す。
ゲームでは登場することのなかったノアの為にも、細かなイベントなど洗い直して不安要素は取りのぞいておきたいところなのだが……。
成長するにつれ過去の記憶を忘れていくのは、ある意味正常なことなのだろうが、私は一抹の不安を覚えるのだった。
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