第2話 味方を買う

 まずは落ち着こうと目を閉じ、半透明のウィンドウの存在を視界からも意識からも追い出した。


 私はアーヴァイン侯爵の娘、オリヴィア。

 聖女毒殺未遂の罪で投獄され、食事に毒を盛られて死んだ。そのあと夢の中でか創造神デミウルに会い、幸せになる機会をくれると言われた。唯一無二の知識と力も与えよう、とも。

 そして目覚めると侯爵邸の自室にいて、若返っていたという状況だ。

 おまけに前世の自分の記憶があり、前世でよく目にしたゲームのステータス画面なんてものまで現れている。


「待って。つまり、唯一無二の知識が前世の記憶で、力がウィンドウに表示されていた毒スキルってことなの……?」


 ついでに幸せになる機会というのは、時間を遡りオリヴィアとしての人生をやり直すということか。

 現状を理解した私は、へなへなと絨毯の上に座りこんだ。


「ちがう……そうじゃない。望んだのは全体的にそういうことじゃない……!」


 どうせなら、毒殺の危険などない庶民に生まれ変わりたかった。

 それなら前世の知識やスキルなんてものも必要なかったはずだ。平穏で慎ましくていいと言ったのを、デミウルは聞いていなかったのだろうか。


「あのお気楽な笑顔の創造神、一発殴っておけばよかった」


 思わずそんな物騒な後悔をする自分に驚いた。

 どうやら前世の記憶を得たことで、人格にも多少の影響があったらしい。ひどく腹が立つのと同時に、妙に落ち着いている自分がいる。戸惑いはほとんどなく、むしろどこかすっきりした気分だ。


「神様に話が通じないことはよーくわかった。とにかく、こうなってしまった以上、与えられたものでなんとか生きていくしかない」


 そう決意し、私はステータス画面をチェックすることにした。


 ————————————


【オリヴィア・ベル・アーヴァイン】


 性別:女  年齢:13

 状態:衰弱 職業:侯爵令嬢・毒喰い


 ‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥


《創造神の加護(憐み)》 new!


 毒スキル new!

 ・毒耐性Lv.1 new!


 ————————————


「色々ツッコミどころが多い。っていうか、ツッコむところしかないわ」


 言葉遣いにも影響が出ているのを感じながら、上から順に確認していく。

 オリヴィア・ベル・アーヴァイン。

 前世でプレイした乙女ゲーム【救国の聖女】に出てくる悪役令嬢の名前とまったく同じだ。


「ここは【救国の聖女】の世界そのものなのかな……?」


 次は年齢。十三歳とある。

 投獄され殺されたとき、私は十六歳だった。つまり三年の時を遡ったことになる。自分だけが若返ったわけではないのなら。

 次は状態。衰弱。


「確かにガリッガリだわ。こんなに貧相な身体をしていたんだなあ、私」


 目の前の鏡に映る姿に、泣きたい気持ちになった。

 青白く、まるで潤いのない乾ききった肌。痩せこけた頬に、艶のない銀の髪。手足は骨に皮がくっついただけの棒切れだ。

 唯一、水色の瞳はきれいだけれど、白目の部分がひどく充血していて怖い。

 頭の中で、美容部員だった前世の自分が「直視できない!」と嘆いている。

 

一番気になるのは職業だ。

 侯爵令嬢の横に、毒喰いとあるのは何なのか。

 そんなデンジャラスな職業に着いた覚えはない。恐らく与えられたスキルの影響なのだろう。


 毒スキル。こんなスキルは【救国の聖女】では見たことがなかった。

 デミウルが唯一無二のと言っていたので、私だけのスキルなのだろうけれど……。


「正直、毒スキルって聞こえが悪すぎない?」


 あきらかに悪役のスキルという感じだ。

 貴族の令嬢がこんなスキルを持っていると知られたら……どういう目で見られるかは簡単に想像がつく。


「毒で攻撃するような力はいまの所ないみたいだけど、人には絶対に知られないようにしなくちゃね」


 また、スキルの下にある毒耐性という表示は、恐らくそのままの意味の能力だろう。

 毒で苦しんで死にたくない、という願いにまさか耐性で応えてくるとは。

 そんな変化球はいらなかった。もっと「平凡な村娘に転生」などのストレートさが欲しかった。

 ついでに《創造神の加護(憐み)》の(憐み)の部分、必要あっただろうか。なんとなく腹立たしい。憐れむなら中途半端な加護より穏やかな人生をくれと言いたい。


「毒に強い体になったんだろうけど、それってどの程度なのかな。すべての毒に耐えられるのか、あの創造神のことだから怪しいところだよね」


 でも確かめるにしても、どうすればいいのか。

 自ら毒を口にするなんて恐ろしいこと、できるはずもない。

 悩んでいると、部屋にノックの音が響いた。

 慌てて寝台に戻ると「アンです。昼食をお持ちしました」と声が。ワゴンを押して部屋に入ってきたのは、焦げ茶の髪のメイドだった。


 まだ十代だろう若いアンは、以前から私の身の回りの世話を担当していたけれど、必要最低限の会話しかしたことがない。

 物静かでいつも不安そうな目をしている、陰気なメイドという印象だった。


「起きていらしたのですね。お熱は下がりましたか」

「……ええ」


 どうやら私は熱を出して寝込んでいたらしい。

 アンは特に心配する様子でもなく、淡々と「お食事は出来そうですね」と言ってワゴンを寝台の脇に止める。

 その途端、再びピコンとあの電子音がしたかと思えば、今度は真っ赤なウィンドウが現れた。


 —————————————


【鹿肉のワイン煮込み(毒):べロスの種(毒 Lv.1)】


 —————————————


「ど……っ」


 思わず「毒入り⁉」と叫びそうになった口を手で塞いだ。

 まじまじと皿の料理を見る。毒表示がなければ、普通の美味しそうな料理に見える。

 アンは暗い顔で黙々と手を動かしていた。そばかすの浮いた頬は青褪めて見えなくもない。


「ねぇ」


 思い切って声をかけると、アンの手が止まった。


「……何でしょう、お嬢様」

「この食事は、厨房から直接、あなたが持ってきたの?」


 問いかけた途端、アンの榛色の目がうろうろと彷徨い始める。


「そ、そうですが……」

「本当に? 誰かがあなたに食事を運ぶよう指示したわけではなく、あなたがあなたの意思で持ってきたのね?」


 静かに、けれど強い意思を示すように尋ねれば、アンはガタガタと震えだした。

 その様子を見ながら、私は「実は、食欲がないの」と続けた。


「だから、この食事はあなたが食べてくれるかしら?」

「私が、ですか……? と、とんでもない。そのようなこと」

「私がいいと言っているのよ。遠慮しないで食べて? それとも……何か、食べられない理由でもあるのかしら?」


 追い詰められた様子でアンはその場に膝をつくと、「申し訳ございません!」と涙を流し叫んだ。


「謝るということは、私の言葉の意味がわかっているのね?」


 詳しく話すよう促すと、アンはしゃくり上げながら説明した。

 いつも私の食事は、メイド長が厨房から受け取ること。それを私のいる離れに運ぶ際、アンが運ぶよう指示を受けること。

 そして以前メイド長が食事に何かを混ぜているのを見てしまい、口止めされたことを。


(ふうん。そういうことね)


 メイド長は継母が侯爵家に入る際連れて来た人間だ。私の食事に毒を入れるよう裏で指示したのは、継母で間違いない。

 どうやら私は知らないうちに、随分と前から継母に毒を盛られていたようだ。


「あなた、メイド長に何か脅されているの?」

「実は、病気の妹がいて、薬代を稼がないといけないんです。なのに誰かに喋ったら解雇すると。他のお屋敷でも働けないようにしてやると言われて……申し訳ありません」


 私はちらりと食事を見る。

 真っ赤なウィンドウが表示されているのは一皿だけだ。他は普通の食事のようだから、今回は鹿肉のみ口にしなければいい。


「わかったわ。あなたはいままで通り、侍女長から食事を受け取って」

「えっ!? で、ですが……」


 戸惑うアンの目の前で皿をつかみ、窓辺に寄る。

 窓を開け、皿の中身を思い切り外にぶちまけた。


「その代わり、私はきちんと食事をとったと、メイド長に伝えてくれる?」


 茫然とするアンに、にこりと笑いかける。


「どう? 演技を続けられるかしら?」

「わ、私にはとても……」

「私の味方になってほしいのよ、アン」


 アンは受け入れがたい様子で、目を反らす。

 私はアンの前にしゃがみこみ、赤切れた手を握った。


「お給金とは別に、薬代は私が出す——」

「味方になります!」


 食い気味で叫ぶと、アンは身を乗り出した。

 目が金貨のように輝いている。


「私の罪をお許しくださった上に、薬代まで! お嬢様は女神です!」

「女神というか、私はむしろ悪役令嬢……」

「このアン、一生お金様——じゃなくて、お嬢様について行きます!」

「完全に財布扱いね」


 アンの清々しいまでの現金さに、私は頬が引きつるのを感じた。陰気なメイドはどこに行ったのか。

 とりあえず、死ぬ前はいなかった味方が、ひとりできたらしいが——。


(お金で味方を買ったようなものだけど、良かったのかしら……)


 はしゃぐアンを見ながら、いつか裏切られそうだな、と早速不安になるのだった。

  

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