ミッドナイト・エンクレイヴ
水原麻以
ミッドナイト・エンクレイヴ
真夜中にクレープを食べる。そんなプチ贅沢をしたいと佳代子は思った。自分は苦学生。コンビニスイーツ代も節約しなくてはいけない。実家の両親は二人ともリストラされて無職。佳代子もコロナ禍でシフトを削られ今期の学費が払えるかどうか怪しい。しかしここで退学しては三年間の苦労が無になる。夜中にクレープが食べれる程の収入が欲しいと思った。
しかし仕事がない。ペラッペラの求人誌は准看護師、ベテラン営業職、重機オペレーター、溶接工、長距離トラック運転手、スペシャリスト急募のオンパレードだ。時代は安くこき使われる即戦力を欲しがっている。佳代子の出番はない。思考はカロリーを消費する。お腹が減った。甘いものが食べたい。でもお金がない。そのループに眠りに落ち掛けていた。
そこで、佳代子は昔からコンビニスイーツが苦手で、これからは、こういうスイーツ以外を食べるのだと自分を奮い立たせた。
「私は小さなお子さんが生まれるときってクレープが苦手なのよね〜」
ということ近所の主婦がぼやいていた。それを思い出した。
その晩はマンションの近くのスーパーへ行きクレープレシートを買い家路に着いた。
そしてスイーツ関連のZOOMに参加した。実家には二年以上帰ってない。
「今日はお母さんの手作りケーキ作り、頑張ってみたわ!」
「今度こそまた一緒にケーキ食べにいきましょうね〜」
参加者はいつもこんな調子だ。佳代子の母だけが今日はおかしい。デコレーションケーキをやたら推してくる。クレープ一択の人をどう洗脳したらこうなるのだ。
「あのさ、私、なんか変な人と勘違いしてない?」
「大丈夫よ!お姉ちゃんのケーキに似せて作ってあげただけだからさ〜」
「そう……」
母は嬉しそうにオンライン茶会を楽しんでいる。姉が追突されてからはケーキを供えることすらしなかった。洋菓子メーカーに恨みはないの一言に怨念が籠っている。
「あんたのLINEにもURLを送ったから」
どういう事だ、と思いながら自分ののスマホを探る。「ケーキ」の文字が検索画面に表示されているが、これも何かの間違いだと思う。
「私のケーキはこれ〜。私がおばあちゃんにもらったの」
参加者たちはそれぞれ自慢のおやつを披露する。ケーキ特集かよ、と佳代子は毒づいた。
「あらまあ、それはいいケーキじゃないの?」
母の言う通りじゃなかった。姉の大嫌いなモンブランを褒めている。それは加害者の主力商品で見たくもない筈の物だ。
佳代子は気のせいじゃないと思い始めていた。
異変が起きている。
『あの〜、他に誰かいらっしゃいませんか?』
司会者がスイーツの偏りを正そうと配慮している。
「私、イチゴのショートケーキを作っているの」
あいにく今日はケーキ一色のようだ。
母はすっごく嬉しそうな顔をしている。
『ケーキですか?お子様用ではなく、自分が作るという物ではないことをお間違いなくごさいませ…』
会議は司会者の手に負えなくなっている。そもそも今日のテーマは「育休ママのワンオペおやつ」だった。いつのまにかケーキ自慢大会になっている。
「ケーキの代わりに今日お母さんが作っているケーキケーキ」
小学生がはしゃいでいる。
『どうぞ。お買い物しない時もこんなハイクオリティなケーキを作ってくださっていたのですか?』
司会者が困惑気味にツッコむ。どうみても市販品を盛りつけただけだ。
「まぁね」
『こんなケーキはなかなか作れません。せめて子供たち用のおやつぐらいは作ってください。お子さんには内緒ですからね!』
司会者はチャットで冷凍食品の流用をたしなめた。
「あ〜、そういうことになるね」
本人は悪びれる様子もない。服装は派手でいかにも夜の盛り場勤務だ。
『ご心配なさらずに。そんなみっともない人は、とっとと私のお店に来てもらえませんかご心配になってしまいます。』
司会者も司会者だ。露骨に挑発する。そこまで言うからにはどんな高尚人かと思ってぐぐった。どうやら自然食品を用いたおやつを販売しているらしい。そういう事か。
怖いもの見たさで炎上商法に乗ってみた。ここは巣鴨駅から十分ほど歩いた住宅。築三十年程の居ぬきに幟が立っている。引き戸を閉じれば居酒屋だ。
「…そういうとお母さんは私が出て行く前にお店に来たじゃん」
佳代子が知らない母だけの秘密があった。どことなく司会者に姉の面影がある。母がこっそり店に出入りする理由がばつがわるかったからだ。加害者を憎むあまりケーキを嫌悪しておきながらケーキ職人と懇ろになるのはつじつまがあわない。それでも司会者は長女を喪った母親の悲しみを受け止めてくれた。悪い人じゃない。
『お客様のことをお客様扱いしてはいけないのでは?』
司会者は顔をほころばせる。母はすっかり姉よばわりするほど打ち解けている。
「だってゆうー、お客様って言っても私にとってお姉ちゃんは家族。あ〜あ、お母さんに今日もケーキを作ってくれて〜♡いつもありがとう♡」
佳代子も司会者の店に馴染んでいる。
『はぁ〜い、お姉ちゃん大好き!』
「うん、ありがとう。私もケーキを作ってくれてありがとう〜〜♡♡」
母親もミーハーである。洋菓子メーカーに対する憎悪は寂しさの裏返しだった。
『はい、今日のケーキを作ほどた感想をお伝えいただけますか?』
「ちょっとお値段が」
佳代子は言いにくい事を正直に伝えた。自分にご褒美程度なら良いが週一でリピートするには贅沢すぎる逸品だ。
「はい、いつも通りこのくらいのものにしました。お母さん、この価格帯でもケーキを買ってくださるみたいだから。」
根は善人かもしれないが商魂はたくましい。「商売熱心ね」と佳代子は言った。
『はい、はい、ありがとうございます。それでは今日もお客様の為に今日もケーキを作ってまいりますね。お品物はもう決まったのですか?なければリクエストも賜りますが』
「はい。お母さんがLINEに送ってくれたこのレシピを見てもらって…」
佳代子はスマートフォンを見せた。
『はい、わかりました。ではレシピのオーダーをお請けしますね。』
「はい」
佳代子と母はガラス張りの厨房を見学して待つことにした。
しばらくしてケーキが焼きあがった。
『ケーキからはチョコレートを練った粉とチョコレートを砂糖で作った物を入れています。チョコレートケーキとは違って卵と砂糖だけで作ります。』
「お母さん、私もチョコレートケーキ作りたいんです。」
見ているうちに自分も参加したくなる。調理の「あるある」だ。
司会者はにっこりして冷蔵庫から生地を取り出す。要望が多いのだろう。
『かよならきっとできるよ』
「あの〜、ケーキってケーキってチョコレートなんですよ。お母さん、チョコレートケーキ作りたいの?」
『あぁ〜、チョコレートケーキはお姉ちゃんが作った得意料理の一つですよね。私が作ったお母さんのレシピを見てもらいましたから、お母さんも私の作ったお料理を食べてくれるのを楽しみにしています』
佳代子のあずかり知らぬ間に母と司会者は絆を深めていたようだ。胸がぐっと熱くなる。お姉ちゃんが残した無形の愛がこんな形で生きているなんて。
「え〜、お料理って楽しみにしてるけど、私が作ってるの食べてもいいの?」
佳代子は少し不安だった。菓子職人に試食してもらうほどの腕はないからだ。
『あぁ、いいですよ。チョコレートケーキの方が美味しいですから食べます。』
「え〜、本当?」
「本当です」
ショートケーキって素晴らしい。佳代子はとりこになってしまった。クレープ派が浮気してもいいよね。
「えっ、これ……」
佳代子がコンビニを訪れると、どう見ても普通のクレープでは無かった。普通はホットケーキや焼き菓子を包むはずの大きなレジ袋が詰めていて、その中身を見なくても、「ありゃ、クレープを買ったのか」と解る。
「どうしたの?」
母がスマホのZOOM越しに驚く。
「それ! ……マジでクレープ?!」
「……、え?」
佳代子は驚き、手には付いているパンケーキを見た。それはクレープとは別の、お腹を壊してもお腹が痛くならないような、小さなパンケーキのことで、よく似ているが別の品種だった。
「……いや、こんなのクレープじゃん……」
「私ね、これだけはね、絶対に普通のクレープではないんだ!」
「どういうこと? 私、何かやらかしたの?」
「それは……」
「何やったの?」
「……、え?」
そこで初めて、佳代子は自分が何をしようとしていたかを知ることになった。
「……、お金、お給料から……今月、大丈夫なの?」
「あー、そっか。そういうことかぁ~」
佳代子は昨夜のヤケ酒がまだ残っているのだろうかと思った。不随意運動はアルコールのせいだ。いや、それにしてはただならぬ気配を感じる。この間だって透明な作用が自分をチョコレートケーキ教に入信させた。何者かの介入は母子間で話題にはなっていた。母は一笑に付したが。
「でもなんで? 何か私にやらせたいことがあって、それだけじゃないし、他に理由が……」
「理由って、……なんでだろ?」
「……え?」
「……、……理由……?」
そこで佳代子は気が付いた。もしかしたら今日、買い物でクレープを買って、家に帰らずに外出しようとしていたのではないかと。しかし、ここまで来て「理由」がなにかも解らなくても、今日、佳代子はなにかするはずだ。何をするのだろう。
(……、今日は何かが起こる予感するんだ)
そうは言っても漠然とした不安にさいなまれていたら、毎日が幸せでなくなってしまう。佳代子はその不安から逆に今日、何をすべきかどんどん考えていった。
(私はお金を稼いで、私の好きなことをして、幸せに……。そして、私の好きな人たちと出会って、好きになって、付き合っていくんだ。そうすれば、私は本物の幸せに会える……)
幸せになれる方法はきっとある。そう思い言葉に乗る。『私も好きになって彼女達ともっと幸せになろう。そうすれば、きっと』そう続けて。
「それから……」佳代子はそこで急に言葉を止めるとそのまま固まった。「え?」
(これは幸せになったことによるものなのかしら? それとも別の何かなの……)
それを思い出した佳代子は戸惑いあいまいながらもやきもきした気持ちでいっぱいである。
(私も……好きになって……。好きになってあげるから……)
そう心を決めた佳代子の頬をうっすらと紅色に染めて、それでも幸せそう、それでいて嬉しそうな笑みを浮かべながら。
「ねぇ、幸せになれた?」
懐かしい声に呼ばれた。誰だろう。聞き覚えがある。
「……はい!」
佳代子は元気にそう返事すると、そのまま目を閉じて意識を集中し始めた。そうしていて、不意に
「……誰?」
と小さく呟いた。
(……?)
その小さな声に佳代子は顔を上げて、そっと佳代子の様子を伺った。
佳代子が見上げるその空。その空は、何かが降ってきていなくても今にも降り出してきそうなほどに曇っていて、とてもじゃないがこの世で一番、晴れに近い空でしかなかった。
(あ、降ってきちゃったのかしら……)
ぽつ、ぽつ、と透明なしずくが肩を濡らす。道行く人は降り出した雨に気を留める様子もない。これは佳代子だけが感じる特別な天気。
(ああ、『降って来たんだ』)
佳代子は今までに何度か降ってきていることに思いだしていた。けれども今回は降ってくることは思わなかった。
(また……、降ってきてしまったのね。私のせいで……)
そんな思いがして、佳代子は思わずため息を吐く。
(またこんなに降ってくるのか……)
佳代子は嫌な予感がした。
(また、嫌な未来しか思い浮かばないわね……。)
露骨に不満を口にすると姉の想いが降ってきた。
(チョコレートケーキ、おいしかったでしょ?)
(やっぱり、貴女の仕業だったんだ。うん、まぁまぁ)
(ああやっとこの気持ちを理解してくれた、好きになってくれた……。そんなんじゃ駄目よね?)
姉は昔から不器用でストレートじゃなかった。以心伝心や不文律や忖度を日常会話にしていた。七回忌が過ぎてなお霊障で語りかけてくる。通例の法要はこれでおしまいとされている。十三回忌まで出てくるつもりだろうか。
佳代子はあきらめムードで姉の降りにつきあうことにした。
(ねぇ、佳代子、覚えてる?)
おぼえてるも何も、今日は姉の月命日だ。
(そういえばあの人、きっと喜ぶはずだわ、絶対……。私に対してこんなに降ってくるんだから、あの人にも降ってあげて)
佳代子はZOOMの司会者を思い浮かべた。姉の後継者をよそっているほどの人だ。きっとしあわせになれる。してくれるはず。
(お姉ちゃん。クレープも好きになってよね)
佳代子は買い物袋を一瞥した。
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