我が家の腹黒メイドが俺の高校に転校してきた結果、天使のフリしていつのまにか学園のアイドルになってやがるんだが

あきらあかつき@5/1『悪役貴族の最強中

第1話 柊木日向は腹黒メイド

 なんて心地よい朝だ。


 ベッドで横になって俺、熊谷一二巳くまがいひふみは徐々に覚醒していく頭で春の到来を自覚する。


 こんなにも、さわやかな朝は一年でも数えるほどしか味わうことができない。


 小鳥のさえずり。


 南風に揺れる新緑の中から瞼をチラチラと照らす木漏れ日。


 エアコンを使っていないのに暑すぎず寒すぎない室内の温度。


 そして、腹部を突如として襲う凄まじい鈍痛。


 ドスンっ!!


「ぐおっ!! ゲホッ!! ゲホッ!!」


 清々しさが一瞬で吹き飛ぶような痛みに俺は眼球が飛び出すほどに大きく瞳を見開いた。


 視界に映るのは見慣れた自室の天井、そして、その天井の一部を遮るようにベッドの上に立つメイド服姿の美少女。


「おはようございます。ご主人様。今日は春の到来を感じるような素晴らしい朝ですね」


 そう言って俺の顔を冷めた目で見下ろす彼女。そんな彼女の膝上丈のスカートから伸びた右脚は何故か俺の腹部を踏んづけている。


「お、おはようございます……ゲホッ!! ゲホッ!!」

「おはようございます。ご主人様」

「ところで柊木日向ひいらぎひなたさん。一つ聞いてもいいでしょうか?」

「はい、なんでしょうか?」

「どうして、僕の腹を踏んづけているのですか?」


 俺は腹部の鈍痛に耐えながら、フリーキックを待つエースストライカーのような彼女に素朴な疑問をぶつけてみた。


 彼女はそんな俺の質問に、相変わらず冷めきった表情で首を傾げた。


 あ、この子もしかして今踏みつけているのが自分のご主人様だってことに気づいていない? いや、でもさっき俺のことご主人様って言ったよな……。


「もちろんご主人様を起こすためですが」

「どうしてもっと優しく起こしてくれないのですか?」

「昨晩、ご主人様が今日は日直なので叩き起こしてくれとおっしゃっていましたので踏んでみました。それとも叩いた方が良かったですか?」

「いえ、けっこうです……。おかげさまでもう十二分に目が覚めました……」

「ご主人様のご期待に応えられて嬉しいです」


 そう言って彼女は無駄にあどけない笑みを浮かべると、サービスと言わんばかりに踵でぐりぐりと俺の腹部を圧迫した。


 い、痛いよぅ……。


「嬉しいですか?」

「いえ、嬉しくないです……ててぇ……」

「てぇてぇですか?」

「てぇてくないです……」


 一見あどけなく見えるが、その奥にどす黒い何かを感じながら俺は思い出す。


 そうだ。俺は彼女と一つ屋根の下で生活をしていたんだった。


 そんな当たり前のことをこのさわやかな朝のせいで忘れていた。


 熊谷家の六畳間にはさわやかな朝なんて訪れるはずがない。いくら地球が全力で俺をさわやかな気持ちにさせようとしても、彼女の奥の暗黒エネルギーは全てを灰色に染めてしまう。


 俺の腹をタバコの火でも消すように踏み踏みする彼女のニーソックス越しの脚を眺めながら俺は希望を全て捨てた。



※ ※ ※



 全ての元凶は一年ばかり遡る。


 中学三年の冬、俺はどうしても県外の高校に進学したいと両親に直談判をした。別にどうしても入りたい高校ではなかったのだが、俺は親元を離れて一人暮らしがしたかったのだ。


 なんというか俺の家は、客観的に見て大金持ちだ。幼い頃から家には家政婦が何人もいたし、漫画みたいな話だけど、幼い頃の俺は家政婦たちからおぼっちゃまと呼ばれていた。


 もしかしたら俺は人がうらやむような生活をしていたのかもしれない。


 だけど、俺はそんな自分の生活が窮屈で仕方がなかった。もちろん、自分が恵まれていたことも自覚しているし、両親に感謝をしている。


 だけど、俺は普通の高校生活が送ってみたかったのだ。贅沢な悩みと思われるかもしれないけど、俺はおぼっちゃまや、お嬢様の通う社交界のような高校ではなくて、普通の高校生活に憧れていた。だから、俺はどうしてもあの大邸宅を離れてごく普通の高校を受験したかった。


 もちろん、両親は首を縦に振らなかったさ。そりゃそうだよな。特に親父からしてみれば俺に帝王学を叩き込みたかったはずだ。だけど、俺はそんな父親に粘り強く説得をして、大学生になったら実家に戻ることを条件に、県外の高校へと進学する許可をもらった。


 晴れて受験に成功し、入学式一週間前、親父が用意してくれた六畳間のアパートのドアを開けた俺はその子と出会った。


『初めましてご主人様、今日からご主人様の身の回りのお世話をさせていただくことになりました柊木日向と申します』


 どうやら彼女は親父が送り込んだメイドだったようだ。俺はすぐに親父にメイドなんて必要ないと訴えたが、親父は『お世話になりなさい』の一点張りだった。それでも必死に抗議をした俺だったが、挙句の果てには『そうか。じゃあ、彼女は明日から職を失って路頭に迷うな』と言われて渋々彼女との同棲を受け入れることになった。


 寝耳に水だった。しかも聞けば日向は俺と同い年らしい。正直なところ、親父がわざわざ同い年のメイドをアパートに送り込む意図はわからなかったが、とにかく彼女は俺の専属メイドになった。


 その予想外の展開に俺は困惑したが、彼女が『よろしくお願いします』と深々と頭を下げる姿を見て、不本意ながらも少し心が躍った。


 なんというか彼女はとんでもない美貌の持ち主だったのだ。大きな瞳に通った鼻筋、おまけに肩まで伸びた艶やかな黒髪は、思春期の男にとっては少々刺激が強すぎた。


 おまけに仕事を完璧にこなす彼女は、一度はメイドは不要だと口にした俺の気持ちが揺らぐほどの魅力の持ち主だった。


 彼女は最高のメイドかもしれない。


 少なくとも、高校に入学して一ヶ月ほどは心の底からそう思っていた。


 が、そんな夢のような日常はある日、もろくも崩れ去った。


 いつもように日向が腕をふるって作ってくれた夕食に舌鼓を打っていた俺、そして、そんな俺を満足げに眺めていた日向は不意にちゃぶ台の上にバンッ!! と勢いよくそれを置いた。


 その突然の彼女の行動に俺は目を丸くするとともに、テーブルに置かれたそれを見やった。


 そして、飲んでいた味噌汁を拭いた。


『メイド様と奴隷様』


 それはエロ漫画だった。そして、俺はその漫画に見覚えがあった。


 そのエロ漫画は紛れもなく、俺が購入した物だった。


 そんなものを突然ちゃぶ台に置くメイドの姿に俺は箸を持った手を震わせながら尋ねた。


『日向さま……どういうことですか?』

『ご主人様は、メイドにイジメられるのが好きなのですか?』


 俺の質問にそう尋ねる日向の目はどこまでも冷めきっていた。今まで見たことのないような汚物でも見るような日向の目。そんな目を向けながら彼女は俺に言った。


『これはご主人様が三日前にブックスオフで買ったものです。ご主人様は隠し通しているおつもりでしたが、ガスメーターの中だとバレないとでもお思いでしたか?』

『い、いや……それは……』

『ご主人様は私と一緒に生活をなされながら、私に欲情していたのですか?』

『い、いや、違うっ!! これは一時の気の迷いだっ!!』

『そうですか? 気の迷いで、毎日、私が買い物に出かけている間にこの漫画を読みながらお楽しみになられていたのですか?』

『なっ……』


 と、開いた口が塞がらない俺に彼女は不意に本棚を指さすと『ご主人様、油断は命取りですよ?』と言う。そして、彼女は立ち上がると俺の本棚から親父が送り付けてきて以来、放置していた六法全書を手に取った。彼女が六法全書を開くと、くり抜かれた全書の中から小さなカメラを取り出した。


『この中のデータは既に安全な場所に保存してあります。私の身に何かがあった場合は、友人がこの動画をアダルトサイトに投稿することになっています。熊谷家の御曹司のあんな姿が全世界に配信されてしまっては、お父様やお父様の会社に多大なご迷惑がかかってしまいますね』


 と、恐ろしいことを淡々と口にする日向。

 明確な俺への脅しだった。


『目的はなんだよ……』

『秘密です。ですが、ご主人様にご迷惑をおかけするつもりはありません。それにご主人様もメイドから虐められるのは嫌いでないようですし。これからは私の言うことを聞いてお利口さんにしていただければ、私は何もしません』


 なるほど……ならばWINWINだ……ってそうじゃないっ!!


 いやいやヤバいだろっ!! あんな姿を全世界に配信されたら俺の人生は終わる。なんというかあの漫画を買ったのは気の迷いだっ!! それ以上でも以下でもない。ただ魔が差しただけなのだ。さすがの俺も空想の世界をリアルに持ち込んだりはしない。妹モノのアニメが好きでも妹を性の対象に見れないのと一緒だ。


『ご主人様は変態ですね』

『へ、変態じゃないっ!!』

『そうですか? 本当は私を見て発情しているんじゃないんですか? いいんですよ? 別に私をいやらしい目で見ても』

『いや、だからっ!!』

『まあどちらでも構わないです。とにかく、先ほど申し上げたことに嘘偽りはありません。もしもご希望でしたら再生しますが?』

『いや、それだけはやめてください……』


 かくして、俺の夢見た普通の高校生活はもろくも崩れ去った。


 それが一年前の話だ。



※ ※ ※



 あの腹黒メイド柊木日向に踏み起こされた俺はいつもよりも早く高校に到着して、日直の仕事を無事終わらせた。そして、他の生徒たちが登校してくるのを机に座って眺めていると後ろの席の男子生徒が不意に俺の背中をペンで突いた。


「いってえなぁ……なんだよ……」


 振り返って後ろの席に座る田上たがみを睨むと、田上は何やらニヤニヤしながら俺を見つめていた。


「聞いたか? 転校生の話」

「は? 転校生?」

「さっき中谷が見たらしいんだよ。転校生らしき女の子が職員室で担任の島田と会話してるところを」

「おお、よかったな」


 と、適当に返事をして再び前を向こうとするが、田上はそんな俺の肩を掴む。


「おい待てよ。その転校生がめちゃくちゃ可愛いらしいんだよ。何でも桜井と勝るとも劣らない逸材らしいぞ?」


 田上の言う桜井というのは桜井未菜瀬さくらいみなせのことだろう。桜井未菜瀬はこのクラスの一番後ろの席でクラスメイト達と談笑する女子生徒の名前だ。


 そして彼女はこのクラス、いや学園の男子から絶大な人気を誇る学園のアイドルだ。


 もちろん俺も好きだ。その彼女と同等の美少女というのは確かにかなりの高レベルな女子なのだろう。田上が有頂天になるのも無理もない。


 腹黒メイドのせいで朝から灰色だった俺の学園生活にわずかに色がついたような気がした。


 と、その時、


「おい、ホームルーム始めるぞっ!! 早く席に戻れっ!!」


 と、出席簿を持った島田が教室に入ってくる。それと同時に生徒たちが渋々自分の席へと戻っていった。


 が、席についた生徒、特に男子生徒は何やらそわそわしている。どうやら転校生の噂は教室中に広がっているらしい。そして、島田もまたそんな男子生徒たちのそわそわに気づいたようだ。


「なんだ。お前たち知ってるのか? なら早い。実は今日からお前たちに新しい仲間が増える。おい、入ってきたまえ」


 と、島田が教室のドアを見やった。すると「はいっ」と廊下から返事が聞こえてきて制服姿の女子生徒が教室に入ってきた。


 そして、その女子を見た瞬間、俺の心臓は凍りついた。


 教室に入ってきた美少女に、俺は驚くほどに見覚えがあったから。その美少女は島田の横に立つとにっこりと微笑んでから頭を下げた。


「みなさん、初めまして。今日からこの高校に通うことになった柊木日向です。これからよろしくお願いしますね」

「「「「「「「うおおおおおおおおおおおおおおおおっ!!」」」」」」」


 男子生徒たちのけたたましい雄たけびが教室に響く。


 おい、待て……頭が追いつかん。ってか転校ってなんだよっ!! あいつ、高校何か通ってたっけ?


 俺は目を充血するほどに擦って何度もその美少女を見やった。が、何度見ても彼女は紛れもなく我が家のメイド、柊木日向だった。


 そして彼女はクラスの生徒たちに天使のような愛らしい笑みを浮かべている。


 おい、みんな聞いてくれ。こいつは違うんだよ。


「席はそうだな……」


 おい騙されるなみんなっ!! こいつの笑顔は偽物だっ!! 


「おお、そういえば熊谷の隣が空いているな。しばらくはあそこの席を使ってくれ」

「はい、わかりました」


 柊木日向がこちらへと歩いてくる。俺は口をぱくぱくさせたまま彼女を眺めることしかできない。そして、彼女は俺の隣の席に腰を下ろすと俺を見やった。


「熊谷くん……で、いいんだよね? これからよろしくね」


 彼女はまるで俺と初対面のようにそう言うと、相変わらず天使のような笑みを浮かべていた。


 そんな彼女を見て俺は思った。


 俺は蟻地獄のようにじりじりと地獄へと引きずり落とされていっていると……。

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