ハイエナとライオン

夕藤さわな

第1話 ハイエナ

 玄関のドアが開く音にハッと顔をあげた。

 もう、そんな時間か。


「結構……集中できたかも!」


 思い切り伸びをして、ペンタブを机に置いた。


 画面に映し出されているのは参考資料のハイエナの写真。

 その隣にはデフォルメされたハイエナのイラスト。


 キリッと格好いいハイエナ、おどけた表情のハイエナ、色っぽくしなを作るハイエナ……。

 ブチハイエナ、シマハイエナ、カッショクハイエナ……。


 いろんな顔つき、いろんな種類のハイエナが何十匹も所狭しと描かれている。

 私が描いたイラスト。企業への売り込みやSNSでの宣伝用に描いたサンプルイラストだ。


 ハイエナは悪者のイメージが強いけど、そんなことはない。

 獲物を奪ったり奪われたりは自然界なら当たり前のこと。ハイエナの狩りの成功率はかなり高いし、ハイエナの方がライオンに獲物を奪い取られることだってある。


 ハイエナの格好良いところやお茶目で可愛いところも知ってもらいたい。

 そんな気持ちからハイエナをモチーフにイラストを描き続けていた。

 ハイエナ以外のイラストのサンプルも用意したら? と、専門学校時代の友人には言われたけど、やっぱりハイエナがいい。


 だって、可愛いじゃない。

 ちょっと短めの鼻とか、メスの方が強くてカカア天下なところとか。


 画面に映ったハイエナを指で突いていると――。


「何、にやにやしてるの?」

「……っ」


 後ろから抱きしめられて、私は声にならない悲鳴を上げた。

 ハイエナの写真やイラストを眺めて、またぼけっとしていたようだ。

 慌てて顔をあげると礼央れおが私の顔をのぞきこんでいた。


「お、おかえりなさい!」

「ただいま。……って、何回も言ったのに、なかなか気付いてくれないんだもの。ひどいなぁ」


 そう言いながらも礼央の微笑みは優しい。

 ごめん……と、謝ると礼央は目を細めてますます笑みを深くした。


 礼央とは付き合って二年、同棲して半年になる。

 礼央が大学四年生、私が専門学校に入ったばかりの頃に知り合った。


 ライオンのことをラテン語でレオと言う。名は体を表すとは良く言ったものだ。

 私服姿の大学時代も、スーツ姿の今も変わらない。

 整った顔立ちといい、ピンと伸ばした背筋といい、悠然とした立ち居振る舞いといい、礼央には王様の風格みたいなモノがある。

 百獣の王と呼ばれるライオンみたいな、王様の風格が――。


 どうして、こんな人が私なんかと付き合った上、同棲なんてしてるんだろう。

 時々どころか、いつだって不思議に思ってる。


 ぼんやりと礼央の顔を見上げていると、


「……ぶにゃ!」


 唐突に鼻をつままれた。


「な、なに……!?」

「またぼんやりしてたから。……はい」


 引っくり返った私の声を聞いて、くすくすと笑ったあと。

 礼央はすっとスマホを差し出した。


 見上げると、礼央は私の目をのぞき込んで優しく微笑んでいた。

 礼央の微笑みに背中を押されるようにして私はスマホを受け取った。


 ***


 専門学校に通っていた頃――。

 まわりのみんながそうしていたように、私もSNSで自作のイラストを公開していた。

 卒業が見え始める頃には営業用のメールアドレスやチャットツールも使い始めた。


 でも、どうにも……性格的に合わなかったらしい。


 SNSにあげたイラストに反応や感想が届いていないか。

 DMに仕事の依頼が届いていないか。

 メールやチャットツールで企業に送ったサンプルイラストへの反応が届いていないか。


 気にしないようにと思っても気になって。

 SNSを開いて、閉じて。メールを開いて、閉じて。チャットツールを開いて、閉じて。また、SNSを……。


 ぐるぐるぐるぐる……。


 そんなことを繰り返しているうちに全く絵を描き進められなくなってしまった。

 そんな私を見兼ねて、一足先に社会人になっていた礼央が言ってくれたのだ。


「同棲しよう。同棲して、俺が会社に行く前の五分間と帰ってきた後の五分間だけ見るようにしよう」


 そう、言ってくれたのだ。


 ***


 SNS、メール、チャットツール……。

 順番に確認した私はため息を一つ、礼央にスマホを返した。

 イラストが出来上がってSNSに上げる日ならともかく、反応や返信があったかを確認するだけなら五分も掛からない。


 私の表情を見て何の反応も連絡もなかったことを察したのだろう。礼央は私の頭を黙って撫でた。

 毎朝、毎晩――こうやって礼央が頭を撫でてくれるから、何の反応もなくてもそこまで落ち込まないでいられる。

 絵だって集中して描けるようになった。


「ありがとう、礼央」


 だから私は、礼央に笑顔を返した。


「やっぱりハイエナ以外のイラストも描いてみようかな。今、人気なのは……モルモットとかマヌルネコとかかな?」


 ……なんてお道化た口調で言ってみたけど、モチーフが原因じゃないことは薄々わかってる。

 たぶん、私には才能がなのいだ。

 絵が上手い――より上に行くための才能が。


「どうだろう。真琴まことが目指してる世界のことを俺はよく知らないから、何とも言えないけど……」


 そう言いながら礼央は私の肩越しに腕を伸ばすと、画面を指さした。


「目をキラキラさせながら好きなものを描いてる真琴が俺は好きだよ。……いいじゃない。一途な、偏った愛」


 画面に映っているハイエナのイラストを――。

 私が描いたイラストを――。


 礼央は真っ直ぐに指さした。


「……っ」


 男の人にしては細い礼央の指が指し示すものを見つめて。

 画面に映り込んだ礼央と目を合わせて。

 私はきゅっと唇を噛みしめた。


 うつむいて、嬉しくて泣きそうになるのを必死に堪えて、こくりとうなずく。

 頭上で礼央がくすりと笑うのが聞こえた。それから、頭をそっと撫でる感触も。


 手の甲で目元を拭って、


「今日の夕飯はオムライスです! 何をお描きしましょうか?」


 私は笑顔で振り返った。


「じゃあ……このお道化たハイエナで」

「ハイ兄さんだね、任せて!」

「ハイエナの……ハイ?」


 安直だな……と、くすくすと笑う礼央につられて笑いながら、私はキッチンへと向かった。

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