第32話
「ったく手間取らせやがって……」
店を出て、僕はついついぼやいてしまった。
今日は文化祭の片づけ日。
とはいえ僕たちのクラスはやることがなかったため、この時間は生徒会室の大掃除に充てていた。
昨日の件があったためジッとしていられなかったのもある。
そうして、同じく暇をしていた
「あれ、床ワックスねーじゃん」
「棚の下の引き戸に入ってない?」
「ない。ってかいろいろ物が不足してんな」
「そういや僕らが就任してから備品の発注とかやってなかったな。この機会に買い出し行っとくか」
「だな。でも買い出しつってもそこの雑貨屋だろ? どっちか一人が行けばよくね?」
「ならじゃんけんで負けた方が行こう」
というわけで、まんまと敗北した僕は掃除用具
学校近くの雑貨屋に行くもそこでは全ての品を揃えられなかったため、歩いて数十分ほどのところにあるホームセンターまで足を延ばして、ようやくミッションをコンプリートした次第である。
「こんなことになるなら誰かに自転車借りるべきだったな……」
荷物を持って学校まで歩いて帰らなければならないとなるとなかなかに気が重い。
僕は
すると、ポケットに入れていたスマホが震えた。
着信だ。相手は誠司。
――なんだ? まだ買ってきて欲しいものでもあったのか?
そう思って通話に出ると、
「もしも――」
「ユウ、今どこにいる」
彼にしては珍しく切迫した声が聞こえてくる。
「駅の先行ったところにあるホームセンター。今出たからもうじき帰るよ。なにかあった?」
「ああ、それがよ――」
誠司が告げた内容はこうだ。
さっき、1年の教室で
喧嘩沙汰や暴言が吐かれたわけでもなく唐突に泣き出してしまったらしい。
原因がわからず1年生たちは当惑し、「まさかあの小峰が」ということで噂は2年生まで広がったそうだ。
「――ってことなんだけど……ユウ、なんか知らない?」
「……いや、思い当たる
が、全くないとは言い切れなかった。
小峰は完全無欠の王子様でも、感情の
表情豊かで、なにかあるとすぐに
彼らにとっては「小峰が泣いた」というのは
しかし、これが一大事であることは変わりなかった。
依然として理由は定かではないし、なにより彼女の安否が心配だ。
「状況はわかった。すぐに戻る」
「お、おう!」
そうして僕は通話を切った。
学校までの道のりを走り出す。
日中で混雑する駅前の通り。通行人とぶつかって、肩越しに謝りながら先を急ぐ。
だが、ここからだと帰るのにもかなり時間がかかりそうだ。
おまけに僕は体力に自信がある方でもない。
ずしりと重みのあるレジ袋が指に食い込む。
――クソッ……なんでこんな時に限って!
タイミングの悪さに
その時だった。
「お困りのようね!」
横から飛び込んできたのは、聞きなじみのある声。
弾かれたようにそちらを向くと、そこには姉さんが不敵な笑みを浮かべて立っていた。
僕は思わず駆け寄って、
「姉さん! なんでここに」
「外回り中にユウくんを見かけたから後をつけてたの」
路肩に停めた車には、思いっきり姉さんの勤め先のロゴが入っている。
「それよりユウくん、なにか困ってるんじゃないの?」
「え……。う、うん! 実は小峰が……」
「なんですって!
「まだなにも言ってないけど⁉」
「お姉ちゃんには弟の考えることなんてなんでもお見通しなのよ。――さ、お喋りしてる暇はないわ。乗りなさいユウくん」
「で、でも……」
「いいのよ、ユウくん。困った時はいつでもお姉ちゃんを頼りなさい」
「姉さん……」
家族の優しさに、僕は胸がじんわりと暖かくなるのを感じる。
「明日香ちゃんが待ってるんでしょう? さあ早く! お礼はユウくんの脱ぎたてパンツで構わないわ!」
「うん、絶対にあげないけどありがとう姉さん! 助かるよ!」
そうして、僕は姉さんが運転する車に飛び乗った。
*
トイレの個室でひとしきり涙を吐き出したら、気分はかなり晴れやかになった。
というか完全に吹っ切れたって感じ。
わたしはかっこいい王子様。それでいい。
女として見てもらわなくたって構わない。
もう諦めた。
求められてないのだ。わたしに、そういうのは。
なんか最近気張っていたけれど、これでだいぶ楽になった。
どっちつかずだから良くなかったんだと思う。
これからはもう、みんなの王子様でいよう。
そう決意を固めて個室を出る。
わたしのすすり泣く声を聞いてみんな気味悪がったのか、トイレを利用している生徒は誰もいなかった。
ちょっと申し訳ないなと思いながらも、わたしは手洗い場の鏡の前に立つ。
――ひどい顔。
涙で中途半端に流れたメイクが、まるでホラー映画に出てくるお化けみたいだ。
水をジャバジャバ出して顔を洗う。それだけではメイクが完全に落ちきらなかったので、今度はハンカチでゴシゴシと
顔を上げると、そこには無様で
デカい図体に不細工な顔を引っさげている、勘違いも
「……」
不意に
ぱっちり二重の瞳に、長いまつ毛。男の子とは思えない愛らしい顔だ。肌ケアもメイクもなにもしてないのにあんなに可愛いなんて、
「ズルいなぁ……」
そう思うのは一度や二度じゃないが、やっぱり
ま、どうでもいいや。
欲しがっても手に入るものじゃないし。
片桐くんのことは好きだったけど、もう諦めたし。
彼のことなら、放っておいてもじきに素敵なカノジョさんが見つかることだろう。
わたしは「わたしらしい」生き方をするだけだ。
これからも部活頑張って、教室ではむっつり黙り込んで。
でもそれに価値を見出してくれる女の子がたくさんいるんだったら、それでいいじゃんか。
そういう風に生まれてきたんだろう。わたしは。きっとたぶん。
*
トイレを出て1年の後輩のいる教室に向かう。
片づけの手伝いに来たのに騒ぎだけ起こして逃げたんじゃ、とんだ足手まといだ。
わたしの姿を認めると、先ほどわたしを囲んでいた女子たちが戸惑いながらも駆け寄って来た。
「あ、あの……小峰先輩……さっきはごめんなさい……」
「大丈夫ですか……?」
「私たち、なにか気に障るようなこと言っちゃいましたか……?」
不安そうに、上目遣いで訊いてくる彼女たちの頭を、わたしは順に撫でてやった。
「大丈夫。君たちはなにも悪くないよ。わたしが少し体調を崩しちゃっただけ」
それでも彼女たちは怪訝な表情を浮かべていた。
目元を
言葉ではなんと取り
だから、そんな汚名を返上するために、わたしはいつにも増してキビキビと働いた。
「それよりとっとと片づけちゃおう。これ、ゴミ捨て場まで運べばいいかな?」
「え……でも重いですよ?」
「平気平気。わたし、そこら辺の男の子より力あるから」
言って、わたしは解体された木材をゴミ捨て場へと運び、
「先輩、この貸し出された備品どこに持っていけばいいですかね?」
「ああ、それは実行委員の詰め所に返してきて。場所わかる?」
「はい、大丈夫です! ありがとうございます!」
質問されればそれに答え、
「これは一人だと危ないから二人で持った方がいいかもね。そこの君、手ぇ空いてる? ちょっと手伝ってもらえないかな」
「わ、わかりました!」
このクラスの生徒でもないのに、わたしはすでに中心となって動いている。
1年生はまだ勝手がわからない部分も多いのだろう。
最初はわたしのことを心配そうに見ていた生徒たちも、次第にわたしを頼るようになっていった。
こういうのだよ、こういうの。
これこそがわたしの求められてるキャラクターなんだ。
その感覚に薄ら寒い安心を覚えながら仕事を進めていく。
頑張りの甲斐あってか、教室はかなり早い段階で片づけ終わった。
最後は廊下の天井に貼りつけられた装飾を
脚立を持ってきてそれに上ろうとする生徒を止め、
「わたしやるよ?」
「え、でも、あたしたちのクラスのことなのに先輩に手伝ってもらってばかりですし……」
「いいのいいの。わたしの方がデカいからさ」
そう言って、わたしは強引に仕事を奪い脚立の上に立った。
天井から吊るされた花や星の形をした装飾をもぎっていく。
腕の届く範囲を全て回収して、移動のため脚立を降りようとした。
瞬間――
「っ!」
右足にズキリと痛みが走った。昨日
――やばっ。バランスが。
そう思った時には、
「あ」
ぐらりと身体が傾いた。
とっさに手を伸ばしたが、掴めるものなどあるはずもなく空しく宙を掻く。
走馬灯のようにスローモーションで動く世界。肩越しに落下予測地点を見ると、近くにいた生徒たちが慌てて逃げ出している。
現在進行形で絶体絶命にもかかわらずわたしは、
――そうだよね。こんなデカい女が降ってきたんじゃ誰も助けたがらないよね。
なんてことのんきなことを考えていた。
そしてリノリウム床に直撃する――
全身を走る衝撃。
だけど想像していた以上の痛みはない。
それどころか、優しく包み込むような温もりを感覚するくらいだった。
違和感に恐る恐る目を開ける。
真っ先に視界に飛び込んできたのは……
「っ――! だあああぁぁぁぁぁあああああっっっ!」
「か、片桐くん⁉」
「ふぐっ……! お、おう小峰……大丈夫、か?」
信じられないことが起きていた。
わたしの大きな身体は、片桐くんの細い腕の中に収まっていたのだ。
これっていわゆる……。
――お姫様抱っこ⁉
だが、今のわたしにはそんな夢にまで見たシチュエーションを
「か、片桐くん! 降ろしてよ!」
「ちょ、お前暴れんな!」
わたしはみんなの「王子様」なのだ。
お姫様抱っこなんて、する側であってもされる側であってはいけない。
必死で彼の腕から逃げようと
そんなわたしを、片桐くんは
「いいから……大人しくしてろ」
低く険しい声で言う。
この体格差だ。本気で逃げようと思えば簡単に逃げられる。
なのに、その言葉だけで、わたしはもう抵抗することができなくなってしまった。
「……うん」とだけ頷いて片桐くんの腕に身を預ける。
みんながこっちを見てる。
恥ずかしすぎて死にたくなる。
だけど同時に、彼の胸に顔を埋めて、わたしは気が狂いそうなくらいの
「う……あぁぁぁぁっっ……!」
片桐くんは踏みしめるように前へと進む。
無理もない。わたしは片桐くんより30㎝も大きいんだから。
体重だって、きっと10㎏以上は重い。
目いっぱい広げた彼の腕からはわたしの足がでろんとはみ出しているし、たぶんめちゃくちゃしんどいはずだ。
それでも、彼は決してわたしを降ろそうとはしなかった。
小さな身体で、細い四肢で、わたしを抱いて、一歩一歩。
重い足取りでたどり着いたそこは、1年生の教室が並ぶ区画から少し外れた部屋――生徒会室だった。
開けっ放しだった室内に入ると、わたしの身体はそっと革張りのソファに寝かされる。
「あ、ありがとう………………ごめんね、わたし、重かったでしょ?」
身体を横たえたまま言うと、片桐くんは肩で息をしながら答えた。
「はぁ……はぁ……別に…………羽のように、……軽かったけど……?」
そんな彼の反応に、つい笑みがこぼれてしまう。
ふと、ここでわたしはあることに気づいて、片桐くんの腕に視線を向けた。
最初見た時、女の子のようだと思った。
白くて、繊細で、滑らかな腕。
そんな彼の腕には、一本の、男らしい
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