第20話

 週明けの月曜日。


「いいじゃない。やっぱりプロの演技を見せた甲斐があったわ」


 そう言って、奥平おくだいらは満足そうに頷く。

 演劇の練習場となっている空き教室。

 僕たち演者班は本番に向けて最終調整を行っていた。


「お待たせー。衣装の準備できたよー」


 練習中、空き教室の扉が勢いよく開き、クラスメイトの女子が入ってくる。

 僕を含めた演者の生徒たちが「おおっ」とどよめいた。


「それじゃあ男子は一旦教室に戻って。女子はここに残って衣装合わせするから」


 奥平の号令で、僕ら男子は連なって部屋を出る。

 本番まであと五日。今週の土日が文化祭当日である。

 ようやく衣装ができ上がって、今日はステージ練習が行われる予定だ。

 教室に戻ると、僕は衣装班の女子からドレスを渡された。


「ほぉー。よくできてんなー」


 横から覗き込んできた誠司せいじが感心したように言った。

 僕も同意して深く頷く。

 それは、ネットで買った安衣装を改造したとは思えない出来だった。

 生地はたしかに安っぽくはあるが、細かい箇所まで凝った意匠いしょうが全体の印象を瀟洒しょうしゃにまとめている。

 ぶっちゃけ女物の服、ましてこんなドレスに身を包むなんて普段の僕なら死んでもしないと思うが、衣装班が頑張って作ったと思うとその想いを無下むげにはできない。


 僕が衣装班の面々に礼を言うと、彼女たちは「いいからいいから。早く着てみて」と急かしてきた。

 うながされるまま、パーテーションで仕切られた区画で着替えを済ませる。


「ど、どうかな……」


 恥じらいを覚えつつもみんなの前に出た。


「え、すっごーい! 片桐かたぎりくんちょー似合うじゃん」

「めっちゃ可愛いー! ウチらがこれ着るより絶対可愛いって」

「ねえねえ、写真撮っていい?」


 微妙な心境の僕は、「なにがあってもSNSにあげないって約束してくれるならいいよ」と言って撮影を許可した。女装を褒められるのは少々せないが、良い仕事をしてくれた彼女たちへのむくいだ。

 その後、ヒートアップした彼女たちの手によって、僕は念入りにメイクをほどこされた。


「なあ、俺たちの衣装はー?」


 その様子を傍から見ていた誠司たち男子演者は、呆れた様子で訊く。


「あ、アンタたちのはそこに置いてあるから」


 衣装班の女子が指さした方向。

 教室後方にどけてあった机の上には、彼らの衣装が取り込んだばかりの洗濯物のように山になっていた。


「おい! 俺らとユウで扱いが違いすぎんだろ!」


 誠司は激昂げっこうするが、彼女たちはいたって冷めた目で、


「いや、アンタらの衣装なんてあれで十分でしょ」

「つーか男が女の衣装着るとか普通に考えてキモいし」

「ちゃんと作ってあげただけ感謝しなさいよねー」


 スマホをいじりながらダルそうに言う。


「クソ……!」


 誠司たち男子は取り付く島もない、といった様子で泣く泣く衣装に着替えた。

 

「ええい! 行くわよアンタたち!」


 ヤケクソ気味に肩をいからせる誠司を先頭に、僕たちは体育館に向かう。

 女物の衣装を着た男たちが校内を闊歩かっぽする様はさながら百鬼夜行ひゃっきやこうだ。

 廊下の真ん中を歩いていた女子生徒たちが、こちらを見て「ひっ」と悲鳴を漏らし端に避けていた。



     *



 体育館に着くと、ステージではまだ別のクラスが練習をしていた。中は本番同様ライトが落ちていて薄暗い。舞台を照らす照明の光だけが燦然さんぜんと輝いている。

 僕たちは彼らの番が終わるまで、邪魔にならないよう体育館の後ろで待機する。

 今練習しているのはどうやら1年生のようだ。

 彼らも文化祭で演劇をやるらしい。

 終わり際だったからどんな内容かはよくわからなかったが、素人目に見てもなかなか完成度が高かった。


「やるわね。1年のくせに」

「おお、奥平」


 いつの間にか、僕の横には奥平が立っていた。

 その後ろから遅れて来た男装女子たちが次々と入ってくる。

 僕は、その中にひときわ大きい影を見つけて歩み寄った。


小峰こみね

「あ、片桐くん」


 小峰は相好そうごうを崩してこちらに向き直った。辺りが暗いせいで気をゆるめているようだ。

 青のベストに深紅のマントを羽織った王子様の衣装は、長身の彼女にこれでもかというくらい似合っていた。


「うわぁ……すっごく可愛い……」


 小峰はため息交じりに僕の全身を眺める。そしてハッとした表情になって、


「あ、ごめん。可愛いって言われるの嫌なんだっけ?」


 たしかに普通のクラスメイトとかにそう言われたらちょっと複雑な気分になる。

 でも、小峰に言われるんだったら――


「いや。悪い気はしない」


 そう告げると、彼女は「そっか。それなら良かった」と愁眉しゅうびを開く。


「小峰も、その衣装似合ってるよ」


 彼女は「うーん……」と顎に手をあててから、


「わたしはやっぱり可愛いのが着たかったかな」

「なら僕のドレス着てみる?」

「無理無理! 背中裂けちゃう」

「ぷっ」

「あっ。片桐くん今、わたしがそれ着てるとこ想像して笑ったでしょ。ひどー」

「あはは。悪い悪い」

「ま、どうせわたしがそんな可愛いの着たって似合わないだろうけどね」


 小峰は自嘲じちょう気味に呟く。


「僕は見てみたいけどな」

「え」

「小峰がこういうの着てるとこ、見てみたい」


 僕が言うと、彼女は困ったような、照れているような表情で頬を掻いた。


「……ふ、ふーん。片桐くんが言うなら……まあ、挑戦してみなくもない……けど」


 そこまで言って、小峰は「そうだ」となにかを思い出したように目を見開いた。


「わたし今度、めぐみさんと出かける約束したじゃない?」

「ああ、言ってたな。そんなこと」

「その時片桐くんもついてきてよ。どうせわたし、恵さんに可愛い系の服選んでもらう予定だったし」


 姉さんのことだ。

 僕もついて行くと言ったところで、二つ返事でオーケーしてくれることだろう。


「そんなら是非ご同行させてもらおうかな」

「えへへ、約束ね」


 そう言って、彼女は小首を傾げて柔らかく微笑んで見せる。

 そんなさりげない表情にもドキッとしてしまい、「ああ、やっぱり僕はこの子のことが好きなんだなぁ」と実感させられた。



     *



 しばらくすると、ステージ脇の出入口から1年生たちがゾロゾロと出てくる。

 ようやく彼らの番が終わったみたいだ。

 奥平主導のもと、僕たち2-Bの生徒は準備を始める。


「貴重なステージ練習よ。一秒でも気ぃ抜いたやつは私がシバきに行くから、覚悟しなさい」

「「「はいっ!」」」


 ビシッと整列して返事をする2-B一同。この程度の連帯など慣れたものである。

 今回はステージを使える時間は限られているので、劇を一回通してやるだけ。リハーサルのリハーサルみたいなものだ。

 準備を終え、ナレーターの言葉に合わせて幕が上がった。


 ――『むかしむかし、あるところに、それは綺麗なおきさき様がいました』


『白雪姫』のストーリーを全く知らないという人はあまりいないだろう。

 物語は、白雪姫の継母ままははであるお妃様のこんなセリフから始まる。


『鏡よ鏡。この世で最も美しいのはだぁ~れ~』


 妃役を務めるのは誠司だ。元天才子役を自称するのも納得がいく、迫真の演技だった。

 この白雪姫の美しさに嫉妬した妃が、あの手この手で白雪姫を殺そうとするのが、大まかな話の流れである。


 今回僕たちが演じる『男女逆転白雪姫』の展開もほとんどグリム童話の原作をなぞらえているが、一部変更箇所があった。

 それは物語の終盤。

 白雪姫――つまりは僕――が毒リンゴを食べて死んでしまい、ひつぎで眠っているシーン。

 一緒に暮らしていた七人の小人がその死を嘆き泣いていると、隣の国の王子様――を演じる小峰――がやってきて白雪姫の美しさに一目惚れする。

 本来であれば、その後王子が白雪姫に蘇らせてハッピーエンドとなるのだが、この脚本はひと味違った。


 王子が来たとの噂を聞いて駆けつけてきた妃は、ゴマをすって王子につけ入ろうとする。

 しかし、それでも白雪姫の死体に目を奪われている王子に、妃は激昂するのだ。


『おのれ白雪姫! 死してなおワタシより美しいとは~~~! お前たち! 白雪姫の死体をズタズタに引き裂いておしまい!』


 妃の言葉に、舞台袖から剣を持った手下が複数登場する。

 一斉に白雪姫めがけて襲い掛かってきたところで――


『させるかっ‼』

 

 王子が腰に携えた剣を抜いて立ち向かう。

 いわばアクションシーンだ。

 王子様の活躍する場面を作りたいという奥平監督の意向により書き加えられた一幕である。

 僕はそれを、棺の中で身体を横たえたまま、半眼はんがんで見ていた。


 キィン!


 本番同様の効果音や、小峰の元の身体能力の高さも相まって、王子の殺陣たては非常に見ごたえがあった。

 王子は鮮やかな体捌たいさばきで剣を振るい、バタバタと妃の手下を切り伏せていく。

 ひりつくような鋭い眼差し。軌跡きせきのごとく舞った汗が照明でキラキラと輝く。

 まさにイケメンという言葉がふさわしい戦いっぷりだった。

 練習が始まる前の、ふにゃふにゃと笑っていたのが嘘みたいだ。

 ステージの下で劇を見ていた女子たちもすっかり彼女に見惚れていた。


 だが、そんな彼女の活躍を見て。

 僕の胸の内には、濁流のような劣等感が押し寄せていた。


 ――……やっぱ小峰はかっこいいよな。


 背が高くて、中性的な顔立ちをしていて、運動神経が抜群。

 小峰はなるべくしてなった「王子様」なのだ。

 本人のポテンシャルを最大限に活かした配役。

 そんなのわかりきったことだろうに。

 それでも、僕はどこか気後れするような気持ちを抑えられずにいた。


 

     *



 ステージ練習を終えて僕たちが撤収作業をしていると、


「キャー! 小峰せんぱーい!」

「わあ、カッコイイー! 写真撮ってください!」

「わたしもお願いします! ファンだったんです!」


 後輩の女子たちが男装の小峰に群がっていた。

 僕は小道具を運ぶ足を止め、その光景を遠巻きに眺める。

 どうやら先ほど僕たちの前に練習していた1年生のようだ。小峰の演技が見たくて体育館にとどまっていたらしい。

 後輩女子に人気があるのは知っていたが、ファンがいるほどだったのか。

 キャーキャーという黄色い声に揉まれて、小峰は「あはは……」と困ったように笑っていた。


 ざらついた感情が膨れ上がっていくのを感じる。

 僕は小峰のことが好きだ。

 それはつまり、男女の仲――恋人関係になりたいと思っている。


 だけど――


 小峰はかっこいい。……きっと、僕よりも。


 自分の姿を見下ろす。

 華奢きゃしゃな身体。弱々しい細腕。155㎝という、男子とは思えないくらい小さな背丈。

 小峰とは30㎝もの身長差がある。


 こんなチビが、彼女に受け入れてもらえるだろうか。

 油断しているとネガティブな考えがふつふつと湧き上がってくる。

 そんな思考を断ち切るべく、僕は片づけに専念した。

 今はとにかく、このヒラヒラのドレスを脱ぎたくて仕方なかった。

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