第16話
一週間などあっという間である。
そのことを嫌というほど思い知った土曜日の朝。
普段はつけない
服もいつもと変わらないシャツにジーンズだけど、染みやほつれがないか
昼食を取ってから家を出ると、駅前は大勢の人で賑わっていた。
休日の真っ昼間だ。
天気も良く、
人の波の中から飛び抜けた頭が僕を捕捉し、こちらに駆け寄って来る。
「おはよ
「いいや。僕も今来たところ」
そんなテンプレートみたいな会話を繰り広げながら、僕たちは歩き出す。
小峰の私服はデニムジャケットに細身のパンツというシンプルなものだった。だが、それが逆に彼女の高身長とマッチしている。
今でも、小峰は道行く人たちの視線を集めていた。……その全てが女性からだけれど。
「ねえ見て、あの人かっこよくない?」「すごーい! めっちゃイケメン!」
こちらを見て、ひそひそと話し合う声が聞こえてくる。その言葉が僕に向けられたものではないと一瞬で把握できるのが悔しくて仕方がない。
しばらく歩き、たどり着いたのは街道に面した小さな劇場だった。
受付でチケットを見せて奥へと進む。
場内は薄暗く、黒を
客席には100席ほどのパイプ椅子が並べられており、すでにその半数近くが埋まっていた。
僕たちは二つ並んだ空席に腰を下ろして開演までの時間を待った。
「わたし、こういうしっかりした劇とか見たことないんだよね。ちょっと楽しみ」
小峰は椅子の下で足をパタパタさせながら言った。
「僕は小学校の時に大きな劇場でライオンキング見たのが最後だなぁ。ここも家の近くなんだけど、中に入るのは初めてだ」
「あ、片桐くんの家ってここら辺なんだ?」
「歩いて5分くらいだよ。ちなみに、
「ふうん。片桐くんと奥平さんが仲良いのもそういう理由?」
小峰が
「仲良いってほどじゃないけどな。中学が一緒だったんだ。そんで、高校入ってからしばらくは中学同じだった連中とつるんでたから」
「なるほど」
小峰はなぜかホッとしたように息を吐いて、
「でもあるよね、そういうの。わたしは中学一緒の人いなかったから最初大変だったなー」
「へえ、全くいないってのもレアだな」
偏差値高めの進学校だったらまだしも、僕らの通う高校は至って普通の公立校だ。
「中学でのことがあったからさ、高校は、同じ中学の人が来ないように遠いところ選んだの」
「あー……」
僕は返答に
小峰が言う「中学でのこと」というのは、まず間違いなく高身長をからかわれていたことだろう。
日程決めの段階で彼女の住んでいる場所は聞いていた。
僕の住むこの町からも、高校の最寄り駅からもそこそこ距離のある場所だ。
朝練がある日は5時起きなんだ。そんな
利便性を捨ててわざわざ遠くの高校を選んでまで、中学時代の出来事を
「高校では良い思い出が作れるといいな」
自然とそんな声が漏れていた。
僕の呟きに、小峰は
「高校は今でも十分楽しいよ。うまくいかないこともあるけど、部活の人はみんな良い人だし、クラスの友達も面白いし。それに………………」
小峰は目を細めて
「片桐くんがいるから」
「え――」
「なんでもなーい」
いたずらっぽく言って、彼女は舞台の方に向き直った。
ちょうどそのタイミングで開幕を告げるアナウンスが流れる。
場内が静まり返る。
シン、とした空気のなか、僕は
*
「すごかったね」
「ああ、プロって感じがしたな」
ホールから出て行く人々の流れに任せて廊下を歩く。
道行く人も満足そうに先ほどの劇の感想を語り合っていた。
結果から言うと、大満足だ。
声の出し方、躍動感のある動作、場面に合わせた表情。そのどれをとっても素晴らしかった。最初はメモを取って彼らの演技から技術を吸収しようとしたが、中盤以降は劇に夢中になってしまいメモどころじゃなくなってしまったくらいだ。
僕も今回の文化祭に向けて動画サイトなんかで演劇を見たりしたが、やはり生の迫力は段違いだった。
演者は誰もが生き生きとしていて己の個性を全力で押し出していた。
「このあとどうする?」
劇場を出たところで小峰が言った。
現時刻は午後3時を少し過ぎたところ。
今日の予定は演劇を見るだけだったとは言え、解散するにはまだ早い。
「とりあえず、どっか休憩できるところ入ろうか」
僕が提案すると、小峰も「そうだね」と
ここらで休めるところと言ったらこの先にある喫茶店だな。
そう思って先導しようとした瞬間。
「ん?」
足元に黒い染みが出来る。
ゴロゴロと唸る空。
嫌な予感を感じ取った時には、アスファルトに次々と
「うわぁ!」
「きゃあ!」
ザァッ、とバケツをひっくり返したような大粒の雨が降り出す。
突然のことに困惑しながらも僕は彼女の手を引いて、
「小峰、こっち!」
「う、うん……!」
駆け込んだのは、いつもシャッターが閉まっているクリーニング店の
「うわー。びしょびしょ」
小峰は眉をハの字にしながら服の
かなり激しい雨だったのでこの短時間でも
僕もハンカチで髪や肌を拭き、雨にけぶる街並みを眺める。
地面はすでに水面と化していて、慌てふためく人々がバシャバシャと水を跳ね上げながら駆けていく。
「くしゅんっ」
小峰が小さくくしゃみをした。
「大丈夫?」
僕が訊くと、彼女はすんっ、と鼻をすすってから、
「うん平気。でもちょっと寒いかも」
さっきまで暖かかったから、雨に降られたせいで一気に体温が低下したのだろう。
二の腕をさする小峰を見て、僕は切り出した。
「小峰、よかったらだけど、うち来ないか?」
「えっ⁉」
彼女は目を丸くしてこちらを見る。
「か、片桐くんの家……?」
「ああ。ここから歩いてすぐだから。このまま待ってて風邪ひいても困るだろ? 僕、折り畳み傘持ってるし」
僕はショルダーバッグから取り出した傘を掲げる。
小峰は、ふい、と顔を逸らして、ブツブツとなにか呟いていた。
しばらくしてから小さく
「……じゃ、じゃあ……お邪魔させてもらおうかな」
「おっけ。それならとっとと行こうか」
僕は折り畳み傘をバッ、と開いた。
小峰は雨具の類は持っていないらしく、必然的に二人でこの一つを使うことになる。
瞬間、脳内に稲妻のような
……あれ? これって
心が乱れるのを感じた。
小峰と相合傘をすることに対して明らかな動揺があった。
それを
――平気平気。こんなこと、みんなやってるさ。決して変な行為じゃない。
だが、心臓の鼓動が止まらない。
妙な緊張感に
僕はお互いの頭を
「……」
「……」
「小峰」
「うん」
「恥を
「うん」
「傘、持ってくんね?」
「……うん」
僕の背丈では手を限界まで伸ばしても、彼女の185cmある頭頂を傘の下に収めることができなかったのだ。
クソ……っ! クソ!
僕は、自分に対する
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