第6話

 正しい世界の住人はいつだって輝いて見える。

 可愛い顔をしていて可愛い服を着て可愛い仕草で日々を送っているものだから、当然のように恋人は出来るし、デートでお金を使うから学校が終わったらバイトなんかをして、余ったお金は服と美容につぎ込む都合、ますます可愛くなっていく。

 そんな可愛いスパイラルに身を置く正しい女子高生たちは、わたしには一生手の届かない羨望せんぼうの対象だ。


 わたしは人よりデカいというだけで、簡単に正しい世界から弾かれてしまった。

 この身長を羨ましがる人は一定数いる。

 特にバレーをやっているわたしは、大会なんかに行くと期待の眼差まなざしで焼け焦げそうになる。 

 たしかにスポーツをやる上では有利かもしれない。

 けれど、わたしはやはり、普通の枠組みに収まるくらいの身体生まれたかった。


 中学生の時。

 メキメキとタケノコのように伸びるわたしの身長を、周囲はおもしろがった。

 歩いているだけで「巨人だ」と指をさされたり、力仕事を押しつけられたり、散々な思いをしてきた。


 変なあだ名もつけられた。

 苗字に迂闊うかつにも「ちいさい」という文字が入っていたものだから、その部分を改変して「高峰たかみね」とか「大峰おおみね」と呼ばれるようになり、最終的なわたしのあだ名は「デカみね」に落ち着いた。デカ峰はさすがにひどくない?


 そんな感じだったから彼氏なんか出来るはずもなくつくり方もわからないまま、わたしは高校二年生になってしまった。

 もう自分には恋愛なんて無理なんじゃないか。

 こんな大きな女を好いてくれる男なんているのだろうか。

 そう絶望しているわたしを見かねて、お母さんはよくこんなことを言い聞かせてくれた。


明日香あすかのことを――大きな女の子を愛してくれる人だってきっといるわよ。だからそんなに落ち込まないで。いつか王子様が現れるまで、気長に待ちましょう』


 ――いつか王子様が。


 そう思って生きてはいるけれど。

 未だにわたしの前には、王子様は現れない。

 


     *



 夕飯を食べ終えて自室に戻る。

 ベッドに四肢ししを投げ出すと、床板が嫌な音を立ててきしんだ。

 そんな大きな身体で暴れるな。わたしが中学生になってから、お父さんはしきりにそう注意してくる。自分だってデカいくせに。


 数学の宿題をやらなくてはならないのだがご飯を食べたばっかりでエンジンがかからない。

 わたしはダラダラとベッドに寝転んでスマホをいじる。

 最近のマイブームは可愛い動物の動画を見て癒しを得ることだ。

 布団を被ってゴロゴロしながら、いろいろなペットの動画をはしごする。

 犬、猫、兎、インコ、イグアナ。もふもふしたのとか、ツルツルしたのとか、実際に撫でてみたい、触ってみたいという気分になってくる。


「いいなー……」


 うちはペット禁止なので飼うことはできない。住居に制約とかはないんだけど、お母さんが極度の動物嫌いなのだ。

 画面に映し出された柴犬を見ていたら、既視感きしかんが頭をよぎった。


 ――この柴犬、誰かに似てる。


 誰だろう。記憶の引き出しをあれでもないこれでもないと開けていく。と、一人の男子が想起された。


 ――ああ、そうだ。片桐かたぎりくんに似てるんだ。


 片桐ゆうくん。

 クラスが同じで、生徒会長をやっている男の子。

 全校集会の時にステージの方でちょこまかと動き回っている姿とか、先生や先輩に対してうやうやしくこうべを垂れる姿とか、この柴犬にそっくりだ。


「……」


 わたしはついさっきの帰り道での出来事を思い出す。


『お互いに同じような悩みを持つ者同士、これからも仲良くしていこうぜ』


 そう言う彼は、あどけない顔をしているのにかっこよくて、ちょっぴりドキドキした。


「片桐くん……」


 ぼんやりと天井を見つめながら、彼の名前を口にする。

 高校に入って、初めてまともに会話をした男の子。

 彼がわたしの「王子様」なのだろうか。

 でもなぁ……。


「王子様って言うよりはお姫様なんだよなぁ…………」



     *



 わたしが彼のことを知ったのは、去年の文化祭の時だ。


「え、なにあれ」


『コスプレ喫茶』とポップな字体で書かれた看板をくぐったわたしは、思わずそうこぼしていた。

 教室の一角に、長蛇の列ができていた。しかもそこに並んでいる人たちは異様な熱気に包まれている。

 そんなに繫盛はんじょうしてるんだと思ったら、売り場は別の場所にあった。

 どういうことかと首をかしげていると、一緒にいた部活仲間が教えてくれる。


「握手会やってんだってさ」

「握手会?」

「そ、メイドさんの」

「へぇー」


 わたしは関心を抱いて背伸びをしてみる。この身長のおかげで、ちょっとつま先立ちしただけで列の最奥を上から覗くことができた。


「――っ!」


 息が止まるかと思った。

 その列の向こうには、めちゃくちゃ可愛いメイドさんがいた。

 ハチミツを溶かしたミルクのように白く滑らかな肌。瞳はスファレライトみたいな輝きを放っていて、振り撒く愛想は周りを照らす陽光のよう。ほっそりした腕や足は、わたしなんかが握ろうものならポッキリと折れてしまいそうだ。

 列ができるのもわかる。一つとして欠点のない、完璧な美少女だった。


 ――でも、あんな可愛い子、うちの学年にいたっけ……?


「あれ男だよ」

「……えっ⁉」


 わたしは驚いて友人の方を向く。


「片桐くんっていうめっちゃっちゃい男の子。まさかあんなに女装が似合うとは思わんかったけど」

「あれが男子……」


 わたしは驚愕や賞賛を通り越して、もはや畏敬いけいの念を込めてその片桐くんというおとこを見つめていた。


「わたし並んでくる」

「え? ちょっと明日香⁉」


 そうして、わたしは部活仲間たちを置き去りにドリンクを注文し、片桐くんと握手をしてもらった。

 すべすべの手の感触が今でも忘れられない。

 そこにいるだけで庇護欲ひごよくをそそられるような、可愛らしい男の娘。

 それがわたしの片桐くんに対するイメージだった。

 だからだろう。

 男子とは緊張してうまく話せないわたしでも、彼とだけは普通に話すことができたのだ。

 そんなことを本人に言ったら、確実に嫌がられるだろうけど……。



     *


 

 そろそろ宿題でもして寝るかー。

 と、机に向かったところでスマホが震えた。着信だ。

 ノータイムでそれに出ると、電話口からは明るい声が聞こえてくる。


『もしもーし! 明日香―! まだ起きてた?』

「うん。これから宿題やって寝ようとしてたとこ」

『なら電話してもオッケーだね』

美理みり、わたしの話聞いてた……?」

『あたしの電話出たってことはやる気ないんでしょ? お話しよーよ』


 相変わらず強引な彼女に、わたしは苦笑して「いいよ」と返す。

 電話の相手は遠野とおの美理。わたしの親友だ。

 彼女とは中学時代の同級生で、当時は一緒に女子バレー部に所属していた。

 高校では離れ離れになってしまったけど、今でもこうして電話やメッセージのやり取りを交わす仲である。


『でさー。そこで彼氏が先帰っちゃったの。マジ最悪じゃない?』


 やり取りと言っても基本的に美理の愚痴を聞くだけなんだけど、わたしが体験し得ない話を聞いているのはわりと面白い。

 まったく、以前は美理もわたしと似て野暮やぼったい見た目だったのに、進学した途端急に彼氏なんかつくって垢抜あかぬけてしまった。

 これが高校デビューというやつだろうか。

 いずれにせよ、わたしの朋友ほうゆうが正しい世界に旅立ってしまったことに変わりはない。

 散々彼氏に対する不満をぶちまけた後で、美理は「ところで」と話題を変えてきた。


『明日香は最近どうなん?』

「どうってなに」

『彼氏とかさ』

「わたしにできると思う?」


 自嘲じちょう気味に言うと、美理は『あっはっは!』と快活かいかつに笑った。


『あんたの卑屈っぷりも変わってないね。クラスで好きな男子とかいないわけ?』


 そう訊かれて、わたしの脳内には片桐くんの顔が浮かび上がる。

 だが――


「いない…………かな」


 わたしは言った。

 気になると言われれば気になる。

 でも、気になるというだけで、恋愛にまで波及するかと言えば……という感じだ。

 それに。


「クラスにわたしより大きい男の子、いないし」 

『あー。明日香は、自分より強くて優しくて、いざという時に頼りになる人がいいんだっけ?』

「……うん」


 美理にわたしの好みをそらんじられ、なんだかいたたまれない気分になる。

 彼女とは多感な中学時代を共にしてきたから、ある程度そういう話も共有していたのだ。


『相変わらず乙女みたいな趣味してるんだから』

「みたいもなにも乙女なんですけど……」

『どうせ、漫画に出てくるようなイケメン王子にお姫様抱っこされたーい! なんて妄想して毎晩もだえてるんじゃないの?』


 なんで知ってる。

 図星を突かれたわたしの動揺を悟ったのか、美理は呆れた調子で、


『あんま理想高いと一生恋人なんて出来ないよ? あんたのことお姫様抱っこしてくれる男なんてドンキーコングくらいなんだから』


 ひどい言われようだった。

 勝手知ったる相手だからそういう軽口も許せるものの……うーん……ドンキーコングかぁ……。


『誰でもいいから、とりあえず付き合ってみたら? 案外男出来れば見方変わってくるし』

「そういうもんかなぁ……」


 美理の言葉にわたしは首をひねる。

 誰でもいいなんてのはわたしからしたら絶対にありえないことなんだけど、彼女の論からしたらあながちなくはないのかもしれない。

 正しい世界に住む人間の言うことは、往々おうおうにして正しいのだ。

 最後に、美理はこんな一言を付け足した。


『ま、なんでもやってみるこったね。待ってたって、理想の王子様なんて現れないんだから』



     *



 その日の夜、夢を見た。

 森の中にある結婚式場で、わたしはウェディングドレスを着ている。

 バージンロードを歩いていると、ふいに新郎しんろうがわたしのことをかつぎ上げた。

 わたしは唐突なお姫様抱っこに恥ずかしがりながらも彼の顔を見上げる。

 筋骨隆々きんこつりゅうりゅうの腕。毛むくじゃらの身体。特徴的な赤いネクタイ。白い歯をき出しにして。


 ――ニヒルな笑みを浮かべたゴリラが、わたしの顔を覗き込んでいた。

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