一章

第1話

「はぁ~あ。惨敗だったぜ」


 気だるげに帰って来る誠司せいじを、僕は「お疲れ」とねぎらってやった。

 体育の授業中。種目はバスケットボール。

 今は試合形式でゲームをやっていて、ちょうど誠司の出番が終わったところだ。

 彼はそこそこ運動ができる方なのだが、相手チームにバスケ部が二人もいたため無残にもボコボコにされていた。

 最初は向こうのバスケ部たちも遠慮していたのに、誠司が「おいおいバスケ部っつっても大したことねーなぁ!」とあおるからだ。数分後には14点差が見事にひっくり返り、華麗な逆転負けを決めた形である。


 まあそれは置いといて。


 次は僕が試合に出る番だ。

 あまり自信はないのだけど、手を抜くのもポリシーに反する。

 それで万が一活躍出来たら儲けものと考えよう。

 軽くストレッチをしてコートへと歩み出す。

 その時、誠司が僕の肩を叩いて、


「一発かましたれ」


 不敵な笑みを浮かべてそんなことを言ってきた。

 胸の内から湧き上がるものを感じ、僕は奮然ふんぜんとこう返す。


「おう! 任せろ!」



     *



 ――とは言ったものの。


「悔しい……」


 結果はふつーに敗北。

 特に活躍をすることもできず、それどころかチームの足を引っ張っての敗北だった。


「なはは! 良いモン見せてもらったぜ」

「お前な……」


 慰めることなく煽ってくる誠司に、僕は恨みのこもった目を向けた。

 僕は球技が苦手だ。

 その多くで身長や体格が求められるから、チビの僕は致命的に不利なのだ。

 それでも誠司が期待してくれたから頑張ろうとしたのに、この結末である。


「あー。試合前に焚きつけておいて正解だった。ユウちゃんってば、ちょっと期待されたらすーぐ舞い上がっちゃうんだもんなー」

「……僕は今、本格的に誠司の副会長解任を考えている」

「お前たまに思考がえげつない方向に行くよな。そういうとこ直した方がいいと思うぜ? いやマジで」


 そんな醜い応酬おうしゅうを繰り広げながら、僕たちは体育館を出た。


「冷てーっ!」

 外に設置された水道で、誠司はバシャバシャと頭に水をぶっかける。


「お前この後どうするんだよ……。タオルとか持ってんの?」

 呆れて僕が訊くと、彼は「ねえ」とばっさり切り捨てた。


「髪かき上げときゃいいだろ」


 そう言って、誠司は手櫛で水分を拭う。

 しかしその毛先からはポタポタと雫が……。


「あーあー。言わんこっちゃない」

「へへ。水もしたたる良い男、ってね」

「言ってろ」

 僕は小さく笑って、彼の腹を小突く。


 横山よこやま誠司。

 彼を一言で表すならば、軽薄。それに尽きるだろう。

 お喋りかつお調子者で、クラス内外男女問わず知り合いが多い。それゆえ少々ナンパなところがあり、ひとたび恋の炎を燃え上がらせてはことごとく轟沈ごうちんしている。まったく、毎度毎度慰めなきゃならない僕の立場にもなってほしい。

 だが、まあ……一緒にいて退屈しない愉快な男であることも確かだった。



     *



 給水タイムを終えて僕たちが体育館に戻ろうとすると、


「「「きゃーーー!」」」


 黄色い声が耳をつんざく。


「なんだなんだ?」

 誠司が野次馬やじうま根性を発揮してそちらに吸い寄せられ、僕も後に続いた。

 入り口から中を覗く。

 体育館を二分割しているネットの向こう側では、女子がバレーボールをやっていた。

 手前側のコートの中央に立つのは、すらりした長身女子。


「お、小峰こみねさんだ。毎度のことながらスゲー人気だな」


 誠司がうなる。

 どうやら次の試合が彼女の出番のようだ。


「「「小峰さん頑張ってーーー!」」」


 そんな見物の女子からの歓声を浴びて、


「ありがとう。頑張るよ」


 振り向きざま、小峰は困ったように苦笑した。

 そのうれいを帯びた表情に、これまた体育館が沸く。

 艶やかな黒のショートカット。三日月を思わせるシャープな瞳。アスリートよろしく鍛えられたしなやかな肢体。そして185㎝という規格外の身長。

 そんな中性的な容姿から、彼女につけられた異名は「王子様」だ。

 小峰は女子たちの熱烈なコールを受け、試合開始のホイッスルが鳴った。


 ポコポコとボールが真ん中のネットを挟んで行ったり来たり。たまにミスが起きて点数が入るというなんとも冗長じょうちょうな試合。まあ素人だらけの体育の授業なんてこんなものだ。

 試合前は大声援の的だった小峰も、今は堅実けんじつにパスを返している。


「あれ、小峰さんってめちゃくちゃバレー上手いんじゃなかったか?」


 その様子をいぶかしんだのか、誠司が呟いた。


「誠司と戦ったバスケ部と一緒だよ。セーブしてるんでしょ。バレー部があの身長で本気出したら、他の女子吹き飛ばしちゃうって」

「なるほどね」


 そうやって観戦しながらちょいちょい誠司と話し合っていると、

 ダンッ!


「「「きゃーーー!」」」


 女子たちからひときわ大きい喝采かっさいが起こった。

 小峰が得点したのだ。

 点数的に相手側がかなりリードしていたため、彼女がほんのちょっとだけ力を解放したらしい。

 かなり抑え気味のスパイクだったが、それでも女子たちは大興奮だった。


「ひえー。えげつねぇな」


 誠司は顔を引きつらせて言う。

 僕も、この圧巻の光景にはただただ閉口するばかりだ。

 サーブもレシーブもミスしない。

 手を伸ばして少し飛べば軽々ブロック。

 そしてスパイクは防御不可能の高さから。

 まさに無双。彼女が点を稼ぐごとに、女子の声援は大きくなっていく。

 さらに小峰は、チームメイトにアドバイスまでし始めた。


 ――「レシーブの時は腕を振るんじゃなくて、膝を曲げればうまくいくよ」

 ――「ブロックはもうちょい溜めて跳んだ方がいいかな」

 ――「大丈夫。サーブミスってもわたしが取り返すから。安心して」


 女子にしては低めの声。

 落ち着いた王子様ボイスを直で聞いたチームメイトたちは、とろんと恋に落ちたような甘い表情で小峰を見つめる。

 結局、試合は小峰のいるチームが勝った。

 コートでは、彼女を中心に女子たちが勝利の余韻に浸っている。


「小峰さんって女子から『王子様』とか言われてるけどよ――」


 観戦を終えた誠司が漏らした感想は、これだ。


「意外とおっぱい大きいんだな」


 ……否定はしないけどさ。

 スパイクで跳んだ時とかぶるんぶるん揺れてたけどさ。

 ボーイッシュな顔立ちに発育の良い身体は、なかなかにリビドーを刺激するものがあった。

 だけど――


「お前な……僕ら男子がそういうこと言うから小峰だって――」

「っべ。すみませーん!」


 ダムッ、と、ボールが床を跳ねる。

 男子側からバスケットボールが飛んできたみたいだ。

 ネットの隙間をうまいことくぐり抜け、女子の側に侵入する。

 それを拾ったのは――


「ありがとうござ――ひっ……」


 小峰だった。

 ボールを追いかけてきた男子が硬直する。

 ずい、とボールを渡す小峰の顔が、阿修羅あしゅらのごとき様相をていしていたからだ。

 不機嫌オーラをバリバリに出して、「早く取って失せろ」と言わんばかりの気迫。

 おびえた男子は猛犬の前に落ちた物を回収する時みたいなスピードで、


「す、すみませんでしたーっ!」


 と、取りざま逃げるように帰って行った。

 彼女の百合ゆり疑惑がまことしやかにささやかれるのは、これも要因となっているのだろう。


 ――いわく、小峰明日香あすかは極度の男嫌い。


 これに関しては僕も認知していた。

 実際に、彼女が男と話しているところを見たことがない。

 男子から話しかけようとすると、さっきみたいに露骨な嫌悪感をかもすのだ。

 それゆえ、男子の大半は彼女のことを恐れていた。


「ま、小峰さんなら百合百合ハーレムを築けるだろうから関係ねーんだろうな。男と話さなくたって」


 その様子を見ていた誠司は、諦念ていねんのこもった目で言う。


「そんなことはないだろ。小峰も、こっちから親身に話しかけたらきっと心を開いてくれるさ」

「まーた小峰さんの味方してら。そんならユウ、ちょっくら話しかけてくれば?」

「いや……それは……」


 はばかられる。

 小峰のような大きい女子に睨まれたら、僕も先ほどの男子みたいに縮みあがってしまいそうだ。元々小さい身体がこれ以上縮むのはごめんである。


「小峰さんを好きな気持ちはわかるが、諦めるこったな」


 だからそんなんじゃないってば。

 僕の否定の言葉は、砲声のような体育教師の招集でかき消された。

 挨拶を経て授業が終了する。

 体育館を出ていく生徒の流れに乗ってタラタラ歩いていたら、人垣の向こうに小峰の姿を認めた。

 当然のことながら女子たちと歩く彼女の背中を見つめながら、僕は口惜しさを感じていた。


 そうだ。

 僕は別に、小峰のことが好きなわけじゃない。

 ただ、このまま卒業まで小峰と話せないのは。

 それは少し、残念だと思ったのだ。



 ――この時までは。



     *



「もがが……」

 それが一体どうしてこうなったのだろう。

 僕の顔面は今、小峰の胸の谷間に埋もれていた。

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