⑵カストル

 大通りから一本道を逸れると、薄暗く雑多な路地裏へ行き着く。区画整理されたジェミニの街に暮らせない貧民層が肩を寄せ合い、擦り切れそうなテントを並べている。


 その日の食事に有り付くだけでもやっとのことで、成り上がろうだなんて考える余裕も無い。体力のある男は奴隷のように肉体労働に従事し、女子供も馬車馬の如く駆り出される。

 未来に希望を抱くこともなく、己を卑下することもなく、一日一日を懸命に生きている。他者の利益を搾取し、私腹を肥やすことしか頭に無い愚かな富裕層と、どちらがマシで、人間らしいのだろう。


 航は、路地裏を歩いていた。

 辺りは泥と汗の臭いに満ち、昼間とは思えない程に薄暗い。


 二人揃うと勝手な行動をするとの理由から、湊とは別行動だ。抗議しても良かったのだが、湊が何も言わなかったので、黙っていた。


 隣には、見窄らしい乞食が歩いている。

 ウルだ。貧民街に溶け込むように、まやかしの魔法を掛けている。航にも同様の魔法が掛かっているらしいが、鏡が無いので、自分がどのような姿になっているのかは分からない。





「秘密の特訓は、もういいのか?」




 茶化すように、ウルが言った。

 航は突っねようとして、止めた。




「今は、いい」




 何かあった時に、湊の側にいられないのは、しんどい。

 レオの村の一件で、航は恐怖の底に叩き落とされた。湊が助けを求めていると分かっていたのに、届かなかった。絶望と焦燥が押し寄せて、生まれて初めて、誰かに助けを求めた。


 自分が死ぬかも知れないことよりも、湊を失う方が怖かった。きっと、湊も同じ気持ちだったと思う。


 あの時、湊は村人を切り捨てようとしていた。航が止めなければ、最小の犠牲で済んだのかも知れない。


 ……違う。

 湊は自分で選んだ。最悪の事態を想定して、最善を尽くした。航もそうだった。分かっているのに、納得出来ない。

 他人が幾ら死んでも構わない。誰がどんな風に傷付き野垂れ死のうと知ったことではない。ーーでも。


 思考は嫌な方向に落ちて行く。ずっとそうだ。

 俺が巻き込んだんじゃないか?


 その時、乾いた掌が頭を撫でた。




「お前、あんまり背負い込むなよ」




 ウルが、言った。払い除けてやりたいのに、顔を上げることが出来なかった。


 革命軍の動向を把握する為に、ウルは貧民を装って気安く人々の輪に入って行った。警戒心の強い航には絶対に出来ない芸当だ。

 あっという間に輪へ溶け込み、巧みな話術で必要な情報を引き出して行く。流石は元諜報部員だ。自分達とは踏んで来た場数が違う。


 下世話な話に興味を示すウルに、薄汚い男が言った。




「噂話なら、俺たちよりもストリートのクソガキ共の方が詳しいだろう?」




 ちぢれた無精髭ぶしょうひげを揺らし、男がげらげらと笑う。

 昼間から安酒を煽る様は、如何にも下衆で不潔な浮浪者だった。生理的な嫌悪感が込み上げて、航は側に近寄ることも出来ない。


 ウルが身を乗り出した。




「ストリートのクソガキって、拠点を移したんだよな。西だったか?」

「いや、相変わらず橋の下さ」

「そうだったか。今頃は出払ってるんだろうな」

「リーダーは常駐してるだろうさ。全く、しっかりした組織だ」




 自然な流れで拠点を聞き出し、ウルはそっとその場を離れた。結局、航は一言も口を利かないままだった。


 ストリートチルドレン。

 都市の路上で生活する子供たち。人間界でも、社会問題になっている。治安の悪さや地域環境の劣悪さの象徴でもある。

 父は第三世界での人道援助に力を入れていたが、航は知識としてしかその存在を知らなかった。


 浮浪者の群れには、航とそう変わらないだろう年齢の少年少女が混ざっていた。野良猫の群れに子猫がいたとしても、傍目には分からない。




「俺は孤児院出身だから、アンダーグラウンドにはそれなりに詳しいぜ」




 ウルが得意げに言った。

 己を卑下する響きは無い。航は鼻を鳴らした。




「人間って、図太い生き物だな」




 そんな感想しか言えなかった。

 ウルが豪快に笑ったので、航はそれ以上の追及はしなかった。








 17.青い炎

 ⑵カストル









 情報収集の効率化の為に、ウルと航は連れ立ってストリートチルドレンの根城へ向かった。薄っぺらい露天商の店先に並ぶのは、質の悪そうな魔法具と、布を縫い合わせただけの衣服と、食べカスみたいな食料品ばかりだ。

 ジェミニの街は富裕層と貧困層が二極化し、生活区域がきっちりと分けられている。


 ストリートチルドレンたちは、橋の下を拠点にしているらしい。話に聞く限りでは、恵まれなかった子供なりに徒党を組んで逞しく生きているらしい。

 そんな彼等がどんな風に生計を立てているのか、想像するのは容易かった。仕事を選ぶことも出来ず、大人に良いように使われて、労働力として酷使される。


 擦れ違う子供の顔付きは昏く、双眸はよどんでいた。

 ウルは孤児院出身だ。ストリートチルドレンから王直属の諜報部員にまで成り上がった彼は運が良かったのだろう。では、そうではなかった子供たちは?


 件の根城に到着すると、下水道の入り口みたいな洞穴の前に、棒切れを担いだ少年が座っていた。

 門番なのだろうか。深く被ったフードの為に顔はよく見えない。ウルと航に気付くと、棒切れを向けて威嚇した。




「何の用だ」

「仕事を頼みたいんだよ」

「変装して来るような奴は入れるなって、言われてる」




 ウルは肩を竦め、魔法を解いた。

 見慣れたウルの姿に安心する。そういえば、彼は何歳なのだろう。劣悪な環境で生きて来た彼が正確な年齢を把握しているとは考え難いが、見た目は十代後半から二十代前半くらいの青年だ。対する航は十五歳の子供である。

 少年は警戒を解いたのか、棒切れを下げた。もしかすると、それも魔法効果を付与した武器の一種なのかも知れない。




「付いて来いよ」




 少年が顎でしゃくった。

 航とウルは顔を見合わせて、後を追った。


 洞窟や洞穴には、嫌な思い出しかない。

 生活排水の流れ込む横穴は、謂わば下水道である。湿気と腐臭が立ち込めていて、とても人の生活出来る場所とは思えなかった。

 通路にはオレンジ色の灯火が点在し、内部を薄く照らしている。壁は苔で覆われ、何処かで鼠のような鳴き声が聞こえた。最悪の環境だ。


 蛇行し、迂回し、少年は闇の向こうまで導いてくれた。その奥に何があるのかは分からないが、良い予感はしなかった。


 やがて、通路は袋小路に差し当たる。

 派手に篝火かがりびを焚いた空間は、何処か物々しく見えた。幹部だろう少年少女に囲まれて、一人の少年が空き箱の上に座っていた。その堂々とした佇まいから、彼がリーダーだと悟った。




「要件を聞かせてもらおうか」




 烏のような真っ黒な頭髪と、血に飢えた獣のような赤い瞳。頬は痩けているのに、身体はバランス良く筋肉に覆われている。


 子供特有の全能感。相手に足元を見られない為の虚勢が、航には既視感を覚えさせた。

 魔法界に来たばかりの頃の自分たちに似ている。信じるものも縋るものも無く、責任だけを背負って、前にも後ろにも行けない。覚悟と責任の鎖で雁字搦がんじがらめだ。


 ウルはリーダー格の少年を真っ直ぐに見据えた。




「革命軍の情報が欲しい。どんなことでも」

「北方の村を襲って、村人共々全滅したこととか?」




 少年の切り返しに、ウルは驚いたように目を瞬いた。

 北方で起きたことは、誰にも知られていないはずだ。自分たちを除いて、生存者はいなかった。ましてや、東方のストリートチルドレンが知っているはずも無い。


 少年は、目を伏せて喉を鳴らした。

 年齢に見合わない皮肉っぽい乾いた声だった。




「革命軍は、俺等のお得意様だぜ」




 革命軍ーー。

 生き残りがいたのか?

 航は混乱した。




「俺等は客を選ばねぇ。報酬によっては、相応の働きはするぜ?」




 王様のように踏ん反り返る少年が、したり顔で言う。周囲を固める少年少女は臨戦態勢だ。

 偉そうな態度は気に食わないが、こういう人間は一時の情で流されない。信念とプライドを持っている。




「革命軍の動向を知りたいんだ」

「ははっ。スパイになれってか?」

「そんな時間は無ぇ」




 スパイなら、こんな子供よりもウルがこなした方が良い。時間が許すのなら、ウルだって革命軍に潜り込んでいただろう。


 少年は膝に肘を突き、挑戦的な笑みを浮かべた。




「いいぜ、情報提供してやっても。報酬に応じた情報をくれてやるよ。ーーだが、さっきも言ったが、革命軍は俺等のお得意様だ。簡単にはやれねぇな」




 資金と言うなら、キャンサーのカジノで湊が荒稼ぎした金がある。恐らくきっと、彼が求めるものは、違うのだろう。


 湊を連れて来れば良かった。

 しかし、いないものは、仕方が無い。




「お前等の要求は何だ?」




 航が問うと、少年は指を鳴らした。




「今、このジェミニの街で子供が襲われている。昨日で六人が死んで、十七人が消えた。帰って来た奴はいねぇ」




 歯噛みするように、少年が吐き捨てた。




「犯人の目的が何なのか、消えた奴等が何処に行ったのか、調べて欲しい。奴等は俺等にびびって隠れてやがるが、余所者なら、尻尾を掴めるかも知れねぇ」

「働きに見合うだけの情報をくれるんだろうな」

「もしも、お前等がこの条件を呑むなら、俺の知る限りの革命軍の情報を全部教えてやるよ」




 航は曖昧に頷いた。

 初対面の相手を信用することは出来ないが、いざとなれば湊を連れて来れば良い。情報の真偽は分かるし、革命軍と取引があることも事実なのだろう。




「いいぜ。やってやるよ」




 航が答えると、ウルが肘で小突いて来た。

 勝手なことをするなと忠告しているのだ。だが、立ち止まっていても、意味が無い。自分たちは、子供が連れ去られるという謎の概要さえ掴めば良いのだ。解決する必要は無い。




「交渉成立だな」




 にやりと笑った少年が、立ち上がる。

 航の目の前まで来ると、片手を差し出した。




「俺の名前はカストル。ストリートチルドレンの纏め役さ」




 カストルは、赤い瞳を嬉しそうに細めていた。

 航は手を取った。




「俺は航だ」




 名乗るべき所属や役職なんてものは無い。

 握手を交わしながら、航はカストルの瞳を見ていた。篝火の為なのか、その瞳は炎のように揺れて見えた。


 その時、後ろから複数の足音と罵声が聞こえた。

 振り返ると、暗い通路の向こうから、薄汚れた少年たちがやって来ていた。叩き付けるように足を鳴らし、眉を釣り上げている。その中央には縄でぐるぐる巻きにされた中年の男がいた。


 リーダー。

 航とウルを押し退けて、先頭の少年が呼び掛ける。




「浄化部隊の一人だ」




 カストルは訝しむように目を細めた。


 浄化部隊ーー或いは、死の部隊。

 人間界の第三世界では、社会秩序の維持と銘打って、市民の暗殺を行う白色テログループが存在する。浮浪者やストリートチルドレンがその標的となることも多い。




「証拠は掴んだのか?」

「ポルックスが付けた十字傷がある」




 少年は、男の左手を掴んで見せた。

 骨ばった男の手の甲は、鋭利な刃物で切り付けたような十字傷があった。


 カストルは静かだった。

 赤い瞳に、鬼火にも似た静かな炎が見える。

 カストルは黙って立ち上がると、男の前に掌を翳した。




「お前等が連れ去った俺の仲間は何処だ?」

「待て、止めろ、助けてくれ!」




 男の懸命な命乞いに、カストルは眉一つ動かさなかった。深い憎悪と諦念が瞳の奥で轟々と燃え盛っている。


 金色の魔法陣が浮かび上がり、掌に吸い込まれて行く。カストルの手を包み込んだ光は、その指先で灯火のように揺れていた。




「どうして、俺等を狙う?」

「知らない! 俺は関係無い! 騙されたんだ!」




 暖簾のれんに腕押しだ。会話すら成り立っていない。

 湊を連れて来れば良かった。航は後悔する。


 銃のような形を取ったカストルが、人差し指を男の眉間に向ける。航は奥歯を噛み締めた。




「死んで詫びろ」




 破裂音が鳴り響いた。

 男の身体がゆっくりと後方へ倒れ込む。眉間の風穴から鮮血と脳漿が噴き出した。床に崩れ落ちた男はぴくりとも動かない。


 カストルが顎をしゃくると、少年たちは死体を引き摺って去って行った。


 航もウルも、何も言わなかった。

 彼等の世界にはルールがある。部外者である自分達が介入する理由は無い。


 足元には血で出来た川が流れていた。

 航は冷ややかに見下ろして、問い掛けた。




「ポルックスっていうのは、お前の仲間か?」

「俺の兄だ」




 カストルは苦く言った。




「俺とポルックスは、街の東西に分かれて活動していたんだ。三日前、死んだけどな」

「死んだ?」

「浄化部隊と名乗る奴等が俺の仲間を襲って、抵抗したポルックスを殺したんだ。ポルックスは死ぬ間際、敵の手の甲に十字傷を付けたと言っていた」




 カストルは、一切の迷いも無く言った。


 面倒なことになって来た。

 航は溜息を飲み込んだ。何でもかんでも救える訳じゃない。これは彼等の問題だ。


 カストルは不敵に笑った。




「頼んだぜ、航」




 航は答えずに背を向けた。これ以上この場にいると、余計なことにまで気を回してしまいそうだった。

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