⑵死に至る病

 野営二日目の朝は、澄み渡るような蒼天であった。


 初日は兎も角、翌日は流石に王の軍勢もやって来ないだろうと算段を立て、二人は外套を被って街の中へ入った。


 街の中は相変わらず陰鬱いんうつとした雰囲気に包まれ、家屋を吹き抜けた風が虚しく鳴っている。

 舗装ほそうすらされない白い道を、やつれた人々が幽霊のように進んで行く。余所者である筈の二人にも関心すら無いようで、彼等は呟くように、王家への祈りを口にしていた。


 目の前に困っている人がいる。

 けれど、自分には何も出来ないのだ。


 ロキにも同じことを言われた。

 お前にそれが救えるか、と。


 食糧も無く、蓄えも無く、王家へ生贄いけにえを立てることでしか身を守れない弱い人々。これを無視して、救済を必要としない世界なんて創れるのだろうか。


 その時、活発な子供たちが、声を上げて走って行った。久しく聞かなかった笑い声に、昴は吸い寄せられるようにして目を向けた。


 ボロ布を纏った人々とは異なる、上質な白亜の服を着ていた。金色の髪がさらさらと乾いた風に流れて行く。

 元気な子供というものを、随分と久しぶりに見た。けれど、あの子の衣装は、恐らくきっと――。




「次の生贄なんだろうな」




 ウルが、冷たく言った。

 街の為に、犠牲になる子供だ。だから、今の内に充分な生活をさせようとしている。

 昴には、何も出来ないのだ。次に王の軍勢が来た時には、この子供も連れて行かれる。その先に未来は無い。王家の魔法は犠牲の数だけ、力を増す。彼等の命はかてとなり、人々を支えるのだ。


 けれど。

 愛する家族を生贄にして得られた生活が、この程度なのか?


 昴は拳を握った。

 魔法界の現状など分からない。けれど、助けてやりたいと、思う。誰もがみんな、安心して生きられるような世界に――。




「暗い顔してんなよな」




 呆れたようにウルは言った。

 そして、突然、ウルはその場に胡座あぐらを掻いた。


 何をするのかと昴が目を向けると、ウルは悪戯っぽく笑って見せた。


 ウルは地面に水色の魔法陣を広げた。通り過がりの人が足を止め、家屋から興味本位で顔を出す。

 魔法陣が一瞬発光したかと思うと、一筋の風が泣き抜けた。


 口笛のような微かな音が尾を引いて響き渡る。そして、その風は家屋に置かれていたバケツを倒した。続け様に吹き抜けた風は高音と低音を見事に織り交ぜながら、音楽を奏で始めた。


 即興で始まった風のメロディに、人々が集まって来る。ウルはかかとを踏み鳴らし、時折、何かを倒してドラムのような音を混ぜる。街中から溢れる音が調和し、見事な音楽になっていた。


 高級な楽器の揃うオーケストラとは違う。だが、ウルの作り出す風は確かに、美しい音楽だった。


 何時しか集まった人々は肩を揺らし、有り合わせの演奏にうっとりと聴き入った。自然と手拍子が起こり、街中の人間を巻き込んで、お祭りみたいな賑やかさになっていた。


 その中心にいるのは、ウルだ。

 風魔法の探査能力を使って、周囲の凡ゆる情報を集め、演奏へ利用している。手拍子の中で、空のバケツを叩く男もいた。即興で踊る女もいた。活気に満ちた街路で、昴も手拍子を打ち始めた。




「辛気臭いのは、嫌いでな」




 そう言って、ウルは白い歯を見せて笑った。

 演奏が終わると、人々は時も忘れて拍手を送った。それまでのやつれた顔付きはがらりと変わり、生気に満ちている。


 アンコールを求める人々を笑顔でかわし、ウルは店じまいだと手を振った。

 名残惜しむ人々が、感謝の言葉を掛けながら、一人、二人と消えて行く。人々がいなくなると、昴は何かを思い出したように勢い良く拍手を送った。




「すごい! ウルは、すごいよ!」




 あの陰鬱な雰囲気を、僅かな時間で変えて見せた。昴には出来ない芸当だ。

 手放しに賞賛する昴に、ウルは照れ臭かったのか顔を背けた。




「王家の庇護無しに、一芸いちげいじゃ生きていけねえ」




 得意げにウルが言った。昴は何となく嬉しくなった。

 しかし、ウルは浮かない表情で、去って行った人々の背中を見ていた。




「こんなもん、その場凌ばしのぎさ。この街の人間が心から笑える日が来るとしたら、それは何時なんだろうな」




 遠い目をして呟いたウルに、何が見えていたのかは分からない。きっと、ウルもまた、昴と同じように漠然ばくぜんとした不安を抱えているのだろう。


 王族による独裁。無力な民衆。危険に溢れる魔法界では、身を守る為に誰かを人柱ひとばしらにしなければならない。


 その時、何かが昴の服を引いた。

 見えない糸で引っ張られるようにして振り向いた昴の目には、小さな少女が見えた。


 褪せた金髪と、煤に塗れた黄色の肌。うつむき涙を拭う少女が、昴のすそを引いて啜り泣く。胸が潰れるような痛みを覚えて、昴はその前に膝を突いた。


 街の子供だろう。頬には薄っすらと雀斑そばかすが浮かび、無性に庇護欲を駆り立てる。


 彼女に、何が出来るのだろう。飢餓と貧困に喘ぐこの街に、何が。




「大丈夫だよ」




 昴が諭すように言った、その瞬間だった。

 隣にいたウルが弾かれたように腰の短剣を引き抜き、ほとばしるように叫んだ。




「離れろ!!」




 切羽詰まったウルの声に、昴は振り向いた。




だ!」




 少女は昴の裾を掴んで離さない。

 油の切れた発条ぜんまい人形みたいに、昴は恐る恐ると振り返った。目元を隠した少女の掌に、ぎゅっと力がこもる。まるで、逃がさないと言うように。




「君は――」




 何者だ。

 昴が問い掛けようとしたその瞬間、少女の前には魔法陣が光った。


 小さな身体は破裂するようにして霧散する。凄まじい暴風の中、昴はその場に倒れ込んだ。風は街中を駆け抜け、家々の外壁を引き剥がし、人々を薙ぎ払う。


 動揺と悲鳴が木霊こだました。ウルの掌に展開された水色の魔法陣から、突風が吹き抜ける。風の本流が衝突し、唸りを上げて吹き抜ける。


 ウルは苦い顔をして、暴風の通過を堪え凌ごうとしている。昴は尻餅を着いたまま、呆然とそれを見ていた。


 風が吹き抜けて行く。

 収まったのか、と胸を撫で下ろす間も無かった。野次馬の一人が口元を押さえ、咳き込んだ。その指の隙間から、凝固した真っ赤な血液がどろりと零れ落ちた。


 そして、一人、二人と血を吐き出して膝を突く。

 耳を劈くような悲鳴が上がった。




「誰か、助けてくれ……」




 血に染まった男の手が、昴へ伸ばされる。

 だが、昴はそれを取ることが出来なかった。助けを求めた男の目は白く濁っている。そして、一度大きく咽せ返ると、そのまま崩れ落ちた。


 地面に飛び散る血液の塊が、日光に照らされ、やけに生々しく見えた。


 ウルが腕を引いた。




「離れるぞ!」




 否定も肯定も、出来はしない。

 倒れた男を踏み付けるようにして、血を吐き出す人々が押し寄せて来る。皆一様に助けを求め、命を零しながら、縋り付く。


 その血液が足元まで迫り、昴は痙攣けいれんするようにして身体を縮こませた。




「何なんだよ、これ……」




 ウルは苦い顔をして、答えた。




「死に至る病だ」




 ウルは掌を足元に向けた。

 砂地に浮かぶ魔法陣から噴き出した風が、二人の身体を押し上げる。病に侵された人々が、浮き上がる昴に向かって手を伸ばす。


 その手に、魔法陣があった。

 見えない風の糸が昴の足に巻き付いて、浮上出来ない。ウルは舌打ちを漏らすと、指先で空を切った。途端、昴の身体は上空へ吹き飛ばされていた。


 血塗れの手を伸ばす人々――。

 その手で打ち鳴らした拍子も、口ずさんだ歌も、全ては嗚咽おえつと嘆き、呪いの言葉に変わってしまった。


 激しく回転する世界の中、昴とウルの身体は川の向こうへと弾き飛ばされていた。









 9.閉塞

 ⑵死に至る病









 川の向こうで起きた悲劇に、人々は怯えていた。

 血を吐き出しながら倒れて行く彼等の目は、対岸にいる自分たちを睨んでいた。


 昴は酷い息苦しさを覚え、必死に呼吸を繰り返した。鼻の奥に、あの鉄臭さが染み付いて離れない。見えない糸の巻き付いた足首には、赤黒い鬱血うっけつが残っていた。


 ウルは呻き声の響く対岸を見ながら、悔しそうに歯噛みする。昴は先程、彼の言った言葉を問い掛けた。




「バンシーって何」

「魔獣だよ」




 魔獣と言って連想されるのは、空をも覆う巨体を持ったリンドヴルムというドラゴンだった。それに比べて、あの時の少女は余りにも小さく、人間に見えた。


 ウルは遣り切れないと、額を押さえて悪態吐いた。




「バンシーは死を告げる妖精だ。神出鬼没と言われているが、街中で見たのは初めてだよ」




 通常、バンシーは家の中に現れ、その住民の死を宣告するという。これから死ぬ者の為に、両目を真っ赤に充血させ、熟睡していても飛び起きる程に凄まじい泣き声を上げる。


 魔獣としてのバンシーそのものは殆ど脅威に値しない。彼女等は直接的に死を与えるのではなく、家人の死を宣告するだけで、それは逃れようの無い未来である。わば、残り少ない生命を伝え、後悔を残さぬようにさせるデス・テラーだ。


 しかし、例外がある。

 魔獣は気紛きまぐれに行動を起こすことがある。バンシーはまれに家を訪れ、全ての住人を対象とした死の魔法を放つ。それは風魔法の一種であり、人間界で言うところの伝染病だった。


 バンシーのもたらす伝染病を、人々は恐怖から死の病と呼んだ。

 治癒魔法の効かないそれは、呪いに近い。




「昔、バンシーが複数出現して、大勢の魔法使いが病に侵された。その時、被害を食い止めたのは王族の魔法だった」




 犠牲を必要とする魔法。

 王族は病に侵された人々を救う為、別の生贄を犠牲にした。甚大な被害を齎したその一件は、王族信仰に拍車を掛けたと言う。




「だが、あれは特例だった。病に侵された魔法使いの数が尋常じゃなかったからな」




 知っている――。

 一つの命を救う為に、昴は二百人以上の人間を犠牲にしたことがある。命を救うには、それ以上の犠牲が必要なのだ。




「じゃあ、街の人は……」




 ウルは拳を握り、答えなかった。

 その時、住民の祈りを聞き付けたかのように空に複数の影が浮かんだ。咄嗟に昴とウルは外套を被った。


 銀色のエンブレムに五芒星を刻んだ、武装した魔法使い――王の軍勢。

 彼等は昴たちの前に舞い降りると、対岸の観察を始めた。救いがやって来たとばかりに喜ぶ人々には、対岸の呻き声は届かない。




「王家が、守って下さる……」




 ボロ切れのような老婆が、膝を突いて祈りを捧げる。

 王の軍勢は手際良く人混みを整理し、混乱を収めて行く。


 王の軍勢の隊長格らしき男たちが、声を潜めた。




「被害が広がる前に、食い止めよう」

「そうだな。どうせ、あいつ等は視肉だ」




 視肉?

 昴はその単語を、聞き流せなかった。


 魔法社会は実力主義だ。力の無い者に人権は無い。この街の住民は自衛の手段も無い弱い魔法使いの集まりだ。犠牲者を献上することでしか、身を守れない。


 だが、それを、視肉だと?

 昴の中で、何かが静かに燃え広がる。

 彼等は、生きている同族を肉の塊としか考えていない。


 王の軍勢は再び空へ浮かび上がった。

 病に喘ぐ対岸の街を取り囲み、魔法陣を広げる。


 真っ赤な魔法陣――炎だ。彼等は、病に侵された魔法使いを街諸共焼き払う気だ。


 まだ、生きている。まだ、助かる者がいるかも知れない。ヒーローならば、一人でも多くの命を救おうと奔走しただろう。だが、彼等は民衆を視肉とあざけり、何もかもを消し去ろうとしている。


 昴は堪え切れず、声を上げた。




「まだ、生きてる! 助かる人がいるかも知れない!」




 隊長格らしき男が眉根を寄せて、冷ややかに見下ろした。




「どうせ、死ぬ」




 その瞬間、昴の頭の中で何かの千切れるような音がした。目の前が真っ赤に染まり、衝動を抑えられない。




「ふざけんなよ」




 昴は掌を広げた。

 真っ白な魔法陣に、光の結晶が降り注ぐ。


 能力の違い、種族の違い、身分の違い。けれど、昴にとっては、どれも掛け替えの無い一個の命だ。民衆を守るべき王族が、助けられるかも知れない人々を見捨てるのか。




「それでも、王の軍勢か!」




 魔法陣に気付いた男の目が驚愕に見開かれる。




「お前、まさか」




 昴は止まれなかった。


 犠牲とする対象を選ぶことが出来る。昴が選んだのは、街そのものを焼き払おうとする王の軍勢だ。

 彼等の僅かな命で、どれだけの命が救えるのかは分からない。だが、それでも、何もしないよりは、マシだ!


 他者を嘲り、弱きをくじく。そんな王族ならば、いない方がマシだ。強く願った瞬間、昴の腕は取られた。




「止せ!」




 手を取ったのは、ウルだった。

 節榑ふしくれ立つ指先に、力が込められる。昴が躊躇したその一瞬、真っ赤な魔法陣から紅蓮の焔が滑り落ちた。


 業火に包まれる街から、悲鳴が上がる。

 病に侵され、助けを求めた人々が、生きたままに焼かれて行く。昴はその様に、嘗て見たシリウスの過去の思い出さずにはいられなかった。


 肉の焼ける嫌な臭い。燃え盛る家。

 炎の中、喘ぎ苦しむ人々がもだえ、まるで、踊っているように見えた。


 数刻前の祭囃子まつりばやしが耳の奥に蘇る。

 仕方が無いことなんだよ。

 自分に言い聞かせるみたいに、ウルが掠れた声で言った。

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