⑷既視感

 人の叫び声に似た風の音が、曇天の下で虚しく響き渡る。昴は馬車が揺れる度に肩を跳ねさせて怯えていたが、やがては何も感じなくなっていた。


 人間とは、思うよりも図太く出来ているらしい。銅像のように動かないロキの横で、昴の意識は喪失と覚醒を行ったり来たりしていた。


 エレメントは睡眠も食事も必要としないらしいが、疲労は感じるようだ。回復の方法を知らない昴から見ると、それは果たして利点と言えるのか疑問になる。ロキが空腹を訴えたり、疲労困憊ひろうこんぱいしたりする姿は想像も付かないが、人間と同じような感情を表現する彼は、何を感じながら生きているのだろう。


 取り留めも無いことを考えながら微睡んでいた。そして、気付くと、ウルの操縦する馬車が目的地に到着するまで、昴は泥のように眠っていた。


 着いた先は灰色の岩石地帯だった。見上げても頂上の見えない高い岩山のふもとには、まるで巨人が押し広げたかのような割れ目がある。ウルは馬車をその側に停めた。


 ロキがひらりと馬車から飛び降りる。昴はウルの後を追った。

 割れ目の先は細長い洞窟になっていた。薄暗い内部では冷たい隙間風が笛のように鳴って、形容し難い不安感を煽る。ウルは勾配の急な暗闇の中をすいすいと進んで行く。


 洞窟には、良い思い出がなかった。

 鈍る足を叱咤しながら、昴は注意深く歩いて行った。


 自分が今上っているのか下っているのかも分からない。ロキがありになった気分だと悪態吐く。


 どのくらい進んだのか、ウルは突然、足を止めた。闇に慣れて来た昴の目には、薄ぼんやりと扉が見えた。ウルが掌を翳すと、扉に刻まれていた子供の落書きみたいな文字が発光する。


 相変わらず解読は出来ないが、恐らくはルーン文字と呼ばれるものなのだろう。苦い記憶が蘇る。

 軋みながら扉が開いた。その奥はぽっかりと拓けた空間があった。


 所々にはカンテラが吊るされ、火取虫が群がっている。逃げ場を失った闇が隅でわだかまり、辺りは不気味に生暖かい。空間を取り囲む岩壁には見た事も無い美しい宝石が飾られ、隅には木箱から溢れた金貨がきらめく。箪笥たんすや棚等の家具の類は大きさに合わせて几帳面に並べられていた。


 ウルは扉を閉めると、大きく背伸びをしながら何処からかカップを三つ持って来た。




「まあ、座んなさいよ」




 そう言って、ウルはすすけた木箱へ促した。どうやら椅子の代わりらしい。


 素直に昴が腰掛けると、木箱から空気の抜けるような間抜けな音がした。驚いた昴が慌てて立ち上がると、ウルは指を差して大笑いしていた。


 ウルが、目の端に涙すら浮かべながら腹を抱えて笑う。それが彼の仕掛けた悪戯いたずらの一種だと知り、馬鹿正直に従った昴は赤面した。ロキばかりが、侮蔑ぶべつしたように呆れている。


 何なんだ、この男は。


 昴が注意深く座ると、今度は何事も起こらなかった。

 ウルは軽薄に謝罪すると、カップを差し出した。中には薄く白濁した液体が湯気を立てている。

 ウルが飲んだ後で、昴は恐る恐るとそれを口にした。


 石を舐めているような無機質な白湯さゆだった。温かいだけで、何の味も無い。それどころか不純物の混ざった液体は舌の上でざらざらとしていた。




「まずい」




 昴の率直な感想に、ウルが笑った。

 ヒーローが淹れてくれた蜂蜜レモンティーが恋しくなる。思えば、魔法界に来てからろくなものを口にしていない。


 人間界の食事に慣れたら困るのはお前だと、ロキが言った。その意味を今更に思い知る。つくづく、恵まれていたのだ。


 ウルは白湯を啜り、気を抜いたようにくつろぎ始めた。




「此処は俺のアジトだ。取り敢えずは安全だよ」

「君自身が安全なのか疑問なんだけど」




 先程の子供染みた悪戯を根に持って、昴はじとりとめ付ける。壁に背を預けたロキが、冷めた目で言った。




「そいつは雑魚ざこだから、大丈夫」

「酷いな」

「警戒に値しないという意味では、雑魚という表現はこれ以上無い程に適切だと思うが?」

「もっと良い表現はある筈だろ」




 ウルは不満げに鼻を鳴らして、また白湯を飲んだ。

 昴はそれ以上口にする気になれず、カップを掌で包み込む。




「結局、君は何者なの?」

「トレジャーハンターかな」

「コソ泥の間違いだろ」




 ロキは指摘して、悪童のように笑った。

 彼は人を馬鹿にしている時に生き生きとする。人としてどうなのだろうと思ったが、ロキがエレメントであることを思い出して、その考えは放逐した。


 ウルはこの地域を拠点に活動する泥棒の一種らしい。他人の家から金目の物を盗んだり、旅人を襲ったり、はっきり言って碌な人間じゃない。けれど、悪人にも見えなかった。


 小汚い格好の割には、住処は小ざっぱりと手入れが行き届き、職業に反して顔の造作も整っている。首や耳にはアクセサリーが揺れ、街に溢れていた浮浪者よりはまともな生活をしていると分かる。


 そして、先程の追っ手を撒いた手際を見る限り、それなりに場数を踏んで来た魔法使いなのだろう。


 昴は、あの耳をつんざくような高音を思い出した。あれは何だったのだろう。

 ウルはまばたきをして、人差し指を立てた。




「風魔法の一種だよ」




 そう言ったウルの指先で、小さな風が渦を巻いた。目に見える程に密度が高く、ひゅうひゅうと鳴っている。




「音は空気の振動だ。周波を調整すれば、ああ言う音も出せる。目は閉じれば見えないけど、耳は塞いでも聞こえる。逃げるには打って付けだろ?」




 風の魔法。

 昴は曖昧に頷きながら、街で感じた微風そよかぜを思い出していた。王の軍勢から逃げられたのは、あの風の流れを感じたからだ。


 問えば、それはウルの仕業だったらしい。空気の流れで探索と逃走経路の確保を図っていたのだ。

 あの逃走劇でも、風の魔法が使われていたのだろう。王の軍勢は、その探索能力で昴とロキの行く手に回り込んで来たのだ。




「派手なだけが魔法じゃないぜ。大切なのは使い方さ」




 ウルが得意げに言った。

 確かに、ロキのような派手な攻撃魔法は相手の戦意を奪う。けれど、他者を巻き込まないようにしなければならない市街戦では、彼の使う魔法は効率的で有利だった。


 使い方か。

 昴は胸の内で呟いた。


 ロキの使う魔法は絶大な威力を持つが、殺生に制限が掛かるが故にその真価を発揮出来なかった。昴の魔法は犠牲を必要とする非効率的なものだ。

 昴は、ウルの言葉に新しい価値観を見たような気がした。


 自分は魔法のことを殆ど知らない。

 ロキやシリウスの使う凄まじい攻撃だけではなく、ウンディーネのような精神に干渉する魔法もある。そして、ウルのような万能的な使い方もあるのだ。


 自分には何が出来るのだろう。

 昴は、魔法のことをもっと知りたかった。




「僕にも使えるかな」

「適性があればね」




 ウルが言った。

 何のことか分からずに首を傾げると、黙って聞いていたロキが補足した。




「人には向き不向きがあるってことだよ。そのコソ泥は風魔法の適性があった。魔法を構成する四元素の何に適性があるかは、生まれた時から決まっている」




 昴は相槌を打ちながら、その意味を知る。

 生まれ持った才能による徹底した実力主義社会。それが魔法界だ。どんな適性があったとしても、能力値が低ければ意味が無い。そして、その上限は鍛錬たんれんや努力では埋められない。強者は生まれた時から強者であり、弱者は死ぬまで弱者なのだ。


 果たして、自分はヒエラルキーの何処にいるのだろう。




「僕には何の適性があるの?」

「さあ」




 ロキが、演技掛かった動作で肩を竦めた。




「能力の有無を判断基準にすると、選択肢は極端に少なくなる。お前の場合は、適性や能力の優劣ではなく、何を成すかを考えるべきだと思うが」

「……何を成すか、か」




 戦乱ならば、ロキのような魔法は重宝される。だが、太平の世ならば、ウルの魔法は需要がある。恐らく、自分の持つ魔法は戦乱であるから求められるのだろう。そうでなければ、忌避きひされるべき能力だ。


 自分に何が出来る?

 何をするべきなのだろう。

 昴は先も見えない袋小路に行き当たったように途方に暮れてしまった。だが、その闇の中で、懐かしい声が聞こえた。


 本当に必要なのは救済ではなくて、それを求めなくても済む環境を作ることなんだよ。


 かつて、ヒーローが言った。

 ああそうか。昴は胸に空いた穴に、何かが転がり落ちたように納得した。




「ロキ、僕は分かったよ」

「何を?」




 ロキはふくろうみたいに首を傾げた。




「僕がしなければいけないのは、僕の魔法が必要とされない世界を創ることなんだ」




 そして、それは途方も無く高い山を丸腰で登るような理想論なのだ。けれど、一歩一歩登って行くしかない。


 本当に――。

 本当に和輝と葵は、自分に必要なことを丁寧に教えてくれていたのだ。人種や価値観の壁を越えて、一銭の得にもならないことを、昴の為に。


 二人の顔を思い出し、昴は感謝で胸が塞がれたようだった。そして、それは彼等の元へ導いてくれたロキにも同様だった。


 黙り込んで涙ぐむ昴を見て、ウルは不思議そうに目を丸めた。少し冷めた白湯を飲み、彼は独り言みたいに呟く。




「何だか、訳ありみたいだな」




 カップを膝の上に置いて、ウルが言った。




「俺に力になれることがあれば、言ってくれ」




 微笑みを浮かべて、ウルが胸を張った。

 彼の素性はようとして知れないが、悪い人間ではないのだろう。良い人ばかりではないけれど、悪い人ばかりでもない。それも、二人が教えてくれたことだ。


 彼等は呼吸をするように惜しげも無く厚意を零すから、昴は当たり前みたいに享受し、何と無く聞き流していた。だが、もう一度、見詰め直したいと思った。例え、もう二度と会えないとしても。









 7.逃走劇

 ⑷既視感









 昴はこれまでに魔法界で起きた事を思い返すようにして、ウルへ説明した。貧困に喘ぎ、埋葬すらされない人々や、追走する王の軍勢の大規模な攻撃。話す事で態度を変えるかも知れないが、彼は信頼に値する人間だと思った。


 ウルは昴の話を黙って聞いていた。馬鹿にしたり、否定したりする事も無く、丁寧に相槌を打って、疑問があれば問い掛けた。会話と言うものが、自分本位では成り立たない事を理解する。話す事では無く、聞く事に意味があるのだ。ウルを見ていると、そう思う。


 ロキは口を挟まなかった。何を考えているのか分からない顔で、壁にもたれ掛かったままじっと昴の話に耳を傾けている。


 話を聞き終えたウルは、途端、風船がしぼむように息を吐き出した。




「成る程ね」




 独りで納得したように頷いて、ウルは秘密を打ち明けるようにそっと続けた。




「実は、お前が王都から追われている重罪人だって知っていたんだ」

「知っていたのに、助けてくれたの?」

「いや、助けたつもりは無いんだけど」




 成り行きだよ。

 そう言って、ウルは快活かいかつに笑った。




「逆らったら殺されそうだったし」




 ウルはロキを一瞥した。

 ロキが負う制限については話さなかった。隠したというよりも、それも成り行きだ。




「お前が何者なのかは分かった。それで、ロキは何者なんだ?」




 当然の疑問だ。昴は何と答えるべきか迷い、ロキへ目を遣った。

 ロキは溜息を一つ零した。




「必要があれば話すよ」




 ウルは曖昧に返事をして、追及しなかった。

 荒唐無稽な昴の話を何処まで信じたのかは分からないが、ウルはそのまま立ち上がって、背伸びをした。そして、洞窟内にある最低限の設備をつらつらと説明すると、ボロ切れのわだかまったような寝床ねどこに勢い良く倒れ込んだ。


 昴は目が点になってしまった。

 ウルは無防備に横になったまま、それぞれの寝床を指し示す。




「詮索されたくないことくらい、誰にだってあるだろ」




 その言葉に、昴は既視感を覚えた。

 ウルは、和輝と葵に似ている。外見ではなく、価値観や考え方、裏表の無い態度がそっくりだ。

 それに気付くと、昴は緊張感の糸が切れてしまったように肩の力が抜けた。


 昴は促されるまま寝床に入った。

 冷たい石にボロ切れを敷いただけの寝床は、動物の巣みたいだった。だが、疲労感が体中に伸し掛かって来て、寝心地の悪さは気にならなかった。

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