⑵共通認識

「魔法って、インターネットに似てる」




 鮮やかな溶液に満ちた棒状の何かを手にして、和輝が唐突に言った。葵には理解不能だった。


 和輝の行動が馬鹿げていることは、重々承知の上である。


 山があれば登り、壁を見れば体当たりする。困っている人がいれば手を差し伸べ、悪者と知れば退治しようとする。困難には立ち向かい、納得出来ないことには徹底抗戦する。


 それが彼のアイデンティティで、ヒーローたる所以ゆえんなのだろう。理解は出来るが、全く共感出来ない。


 そんなヒーローは、てがわれたベッドに腰掛けている。手には得体の知れない何かを持ち、締まりのない顔で笑っていた。


 追及する気も起きず、葵は側に据え付けられたパイプ椅子にどかりと座った。


 棒状のポリエチレン製の袋の中に、着色された溶液が満ちている。それは中程でくびれ、丁度、ソーセージの形状に似ていた。和輝はチューペットと呼んでいるが、地域によって呼称は異なるらしい。


 母国の親友から送られて来た見舞いの品らしい。和輝が言うには母国ではポピュラーな駄菓子らしいが、葵は食べたことが無かった。どのように食べるのか訊くと、和輝は冷凍庫の中から凍り付いたそれを取り出して見せた。


 和輝は手にしたチューペットをひざで半分に折った。小気味良い音と共に二つに分かれたそれは、氷菓の一種なのだろう。


 さも当然のようにその半分を手渡されたが、葵には食べ方が分からなかった。和輝は構わず、折れた部位に口を付けて凍った溶液をすすっている。何とも貧乏臭びんぼうくさい姿だった。


 真似をしようかと思ったが、目の前の和輝が余りに間抜けな格好だったので、躊躇ためらわれる。そうこうしている内に、溶けるぞ、なんて警告された。


 未知との遭遇そうぐうだな。

 葵は覚悟を決めて、口を付けた。

 ひんやりとした溶液は、薄まった人工甘味料の味がする。黄色い溶液は、安っぽいパイナップルの風味がした。


 正直、美味いとは思えない。何処かに捨ててしまいたかったが、和輝が眉一つ動かさずに咀嚼そしゃくしているので、葵もそれにならった。


 何をしているのだろう。

 葵は我に帰った。


 病室のベットの上で、いい歳した男が二人揃って小さなアイスにかじり付いている。馬鹿みたいだが、冷静になったら精神の敗北のように思えて、葵は思考放棄した。


 魔法使いを名乗るロキという男の話を聞いて、理解は出来るのに納得出来ないという不測の事態から、脳が爆発するような感覚にさいなまれた。葵は早々に白旗しろはたを振ってその場を離れた。


 兎に角、冷静になりたかった。昨夜からの非現実的な出来事が重なって、精神的に限界だった。煙草を吸いたいと思うが、六年前から禁煙している。今更になって肺を汚すのも愚かしい。


 気を落ち着けることの出来る場所を探していたところ、退屈を持て余して院内を彷徨さまよう和輝と会った。


 浮かない顔をしているね。

 良いものがあるからおいで。

 まるで麻薬の密売人みたいな言葉を吐いて、和輝は葵を病室へ連れ帰った。


 二人で謎の氷菓をかじるという訳の分からない状況下で、背後から水を掛けられたかのように急に冷静になる。望んだ状況ではなかったが、目的は達成されている。


 葵は溜息を吐いて、ロキから受けた話を噛み砕いて説明してやった。和輝は何を考えているのか分からない顔で一頻ひとしきり聞き終えると、先程の意味不明の言葉を吐いたのだった。




「何で、インターネット?」

「だってほら、魔法もインターネットも、あるから使うだろ。無ければ無いで別に困らないのに」




 相変わらず、この男の思考回路はおかしい。

 言わんとしていることは分かるが、物差しが狂っている。




「物を壊したり、燃やしたりするくらいなら、道具を使えば俺にだって出来るよ。それなら、俺も魔法使いさ」

「やってみろよ」

「今は気分じゃない」




 気分の問題か?

 さらりと問題発言をして、和輝は笑った。

 頭の中を埋め尽くしていた自然力学の法則や無数の計算式は、目の前の和輝が噛み砕いた氷菓と共に呆気無く霧散してしまった。




「俺はインターネットも使える。でも、使い方がよく分からないから、積極的には使わない」

「社会人失格だな」

「情報伝達の手段はインターネットばかりではないのだよ、ワトソンくん」




 誰がワトソンだ。

 ふとベッドのサイドテーブルを見ると、読み掛けの本が置かれていた。コナン・ドイルの緋色の研究だ。何処から持ち込んだのか知らないが、あっさり影響を受けている。




「問題なのは、魔法が実在するかどうかではなくて、どうしたら対抗出来るかってことだろ?」

「戦うことは前提なんだな」

「戦うつもりは無いよ」

「説得出来る相手とは限らない」

「やらないより、マシさ」

「死ぬぞ」

「死なないよ。お前を残して、死ぬ気は無い」




 うすら寒い台詞は聞き流す。

 それも本の引用なのだろうが、生憎あいにく、推理小説は好きではないのでよく知らなかった。


 その時、扉の方から微かな気配がした。葵と和輝は揃って顔を向けた。其処には、昴がいた。所在無さげなその姿は、まるで置いて行かれた迷子のようだ。

 和輝が軽く手を上げると、昴は遠慮がちに中へ入って来た。




「よう、昴。何してんの?」

「何をしたらいいのか分からなくて、困ってた」




 素直に昴が言った。

 そりゃそうだろう。葵は思った。


 彼は身元不明の精神病患者だ。入院先が崩壊して、居場所を失くしている。担当医の和輝が入院している以上、彼は他の施設にたらい回しにされても当然だった。あのロキという青年が身元保証人になれるとも思えない。


 和輝は問い掛けた。




「昴は、どうしたい?」




 昴は肩を丸めていた。このまま消えてしまいそうに見えた。

 彼だって現状を正しく認識出来てはいない。突然、訳の分からない騒動に巻き込まれて、死に掛けたのだ。ロキというあの青年も信用出来ない。

 それでも、彼に選ばせようとする和輝は残酷なのか、優しいのか。


 昴は、独り言を零すような小さな声で言った。




「僕は、誰にも傷付いて欲しくない」

「そうか」

「蜂谷先生を巻き込みたくない。――でも、僕が信頼出来る人は、蜂谷先生しかいない」




 その次の言葉が予測出来るような気がして、葵は席を立ってその口をふさぎたい衝動に駆られた。


 言うな。

 その言葉を、こいつに言うな。

 言ってしまったら、こいつは何に代えてもそれを達成しようとするだろう。


 葵が伸ばした手は、和輝に掴まれた。氷菓を握っていたせいで、ひんやりと冷たかった。


 昴が、言った。




「助けてくれ」




 嗚呼。

 葵は舌打ちを零した。こうなることは、分かっていた。

 和輝はそれを待っていたとばかりの輝くような笑みを浮かべて、頷いた。




「助けるよ」









 2.レゾンデートル

 ⑵共通認識








 昴の分のアイスが凍っていなかったので、和輝の提案で院内の売店へ向かった。


 別に昴がアイスを欲しがった訳でも無かったが、和輝としては心苦しかったのだろう。その癖、金が無いからと言って一番安い棒付きアイスを三本選んだ。薄水色のソーダ味のアイスのパッケージには、インパクトのある母国語が刻まれている。この売店の謎のラインナップに首をひねっていると、昴は会計する和輝の背中を見ていた。




「あれは、何をしているの?」

「アイスを買ってんだろ」

「買う?」




 そんなことすら、知らないのか。

 葵は呆れながら、説明してやった。


 物を手に入れるには金がいる。食料や様々な物品は金で売買されるからだ。そして、金を手に入れるには労働が必要だ。金が無ければ生活出来ない。


 馬鹿にも分かるように説明したつもりだが、昴の持っている知識がどの程度のものなのか分からなかったので、葵はそれ以上の説明をすることは出来なかった。


 ほくほくとした顔でアイスを持って帰って来た和輝は、本当に馬鹿みたいに見えた。友人であることを隠したいくらいだ。だが、犯罪的に若作りの彼は、周囲には十代の青年くらいに見えているのだろう。


 それぞれにアイスを配り、和輝は誰より先にパッケージを破いた。アイスに突き刺さった棒にはアタリとハズレがあるらしい。それを早く確かめたいのだろう。


 昴はそれに倣ってパッケージを破いた。横で葵も同様にアイスを取り出していると、昴が言った。




「お金は大切なんだね」




 和輝は、よく分かっていないような顔で肯定した。




「お金は大切だよ」

「お金が無いと、生活出来ない。お金さえあれば、何でも出来るの?」



 和輝はがりがりとアイスをかじり、嚥下えんげしてから言った。




「お金は大切だけど、全てではないよ」




 昴は意味が分からないというように眉を寄せた。

 和輝は咀嚼そしゃくを再開する。




「資本主義を否定するつもりはないけど、貨幣かへいなんて、ただ紙切れだ。貨幣そのものに価値があるのではなくて、その貨幣に価値があると、みんなが共通の認識を持っていることに価値がある」




 言いたいことは分かるが、彼は教育者には向いていないと思う。昴の知識のかたよりをかんがみれば、もっと適した言い方があった筈だ。




「お金で何でも買える訳でもないしね」

「買えないものもあるの?」

「そう。――例えばさ」




 和輝はすっかり食べ終えたアイスの残った棒を見せて、笑った。




「アイスはお金で買えるけど、たまたま食べたアイスのアタリに喜ぶこの瞬間を、金では買えない」




 にんまりと笑った和輝は、再び売店へ戻って行く。

 アタリが出たら、もう一本貰えるらしい。


 腹を下さないかと余計な気を回していると、昴が不思議そうに目を丸めていた。




「和輝は、アタリが出ると嬉しいんだね」

「大抵の人間は嬉しいんじゃないか? 得をした気分になるから」

「ふうん」




 昴には分からないだろうな、と思った。正直、葵にも分からない。だが、嬉しそうな友人を見ているのは、悪い気はしない。


 すぐに戻って来た和輝は、先程とは味違いのアイスを手にしていた。この男の胃はどうなっているのだろう。魔法もオカルトも理解不能だが、質量保存の法則をくつがえす彼の胃袋も不思議だ。


 昴はソーダ味のアイスを舐めながら、思い出したように言った。




「和輝は、ヒーローなの?」




 唐突な質問に、和輝は面食らったかのようにせ返った。そのままじとりと睨んで来たが、毛程も怖くはない。

 昴は何の感情も無いような伽藍堂がらんどうの目で、問い掛ける。




「ヒーローって、何なの?」




 和輝は呼吸を落ち着けながら、それでもアイスを食べ続ける。


 

 それは、この馬鹿な友人の目指すものだ。彼の口からそれを聞くのは、随分と久しぶりのように思えた。葵が黙っていると、和輝は軽く咳払いをして、勿体もったいぶるみたいに言った。




「勇気を配る人のことかな」




 抽象的ちゅうしょうてきな答えだった。

 当然、昴には理解出来ないだろう。


 哲学者のプラトンは著書の中で、ソクラテスの勇気を『恐るべきものと恐るべからざるものとを識別することなり』と考察している。

 和輝の思考が何処まで及んでいるかは分からないが、彼の指すヒーローとは、知識を与える者――、或いは、境界線を引く者だ。


 それは駄目なんだよ。

 いけないことなんだ。


 己の利潤りじゅんも打算も無くそう言ってくれる人が、葵には必要だった。そして、それは昴にとっても必要な人間だった。


 美味そうに氷菓を頬張ほおばる和輝は満足そうに微笑んでいた。昴ばかりが、狐に摘まれたような顔をしている。


 昼下がりの日差しの中で、彼等の姿は何処か懐かしく、まぶしく見えた。和輝と同じように感じることは出来ないが、其処には金では買うことの出来ない価値があると思った。そして、葵もそれで構わないと思った。此処に価値があると共通の認識を持っていることに、価値があるからだ。


 魔法はインターネットと似ている。

 和輝の思考回路が漠然ばくぜんと見えて来て、葵はそれを理解出来る自分にうんざりしてしまった。

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