やいてはならぬ

「沢村、おまえ今度の土曜ヒマ?」

「なんすか急に」

 大学の先輩で家主の松橋雅鷹は、基本的に淡々として動じないたちの人間だ。おそらくエネルギー効率のよい思考回路をしているのだろう、喜怒哀楽が乏しい、もとい穏やかなので、ともに暮らしていても何を考えているかよくわからないことが多い。たいていは何も考えていないので、つい空気を読みにいきがちな俺も先輩といるときはその機能をオフにしている。

「いや、なんつーか、言いにくいんだけども」

「なんなんすか気持ち悪いな」

 珍しく歯切れが悪い。もじもじしてる先輩なんてレアすぎて逆にやめてほしい。

「親に呼び出されたんだけど、できたらおまえにも付き合ってほしいんだよな」

「はあ」

 同居人の素性を疑われているのだろうか。話がどうも要領を得ないので問い詰めてみると、ようやく事情がはっきりした。

 松橋の両親が、子どもが手を離れたことで一念発起して郊外に家を新築したのだという。今度の土曜というのが棟上げの日で、完全に舞い上がった両親は餅まきを企画したものの、人が集まらなかったら悲しいのでサクラを用意したい、ということらしい。

「それで俺」

「友達なら誰でもいいって言われたんだけど、年甲斐もなくはしゃぐ親見られるのってちょっときついだろ」

「まあ、そうっすね」

 親子揃っておかしなところで臆病なんだな、とおもう。俺の地元でも餅まきなり振る舞いの文化はあったのでその経験を振り返ってみたけれど、大人も子どもも関係なく大騒ぎしていた記憶しかない。臆病というよりは、祭りに慣れてないのか。

「いいっすよ。特に予定もないし」

「悪い、助かる」

「面白そうだし」

「おい」

 松橋家には世話になっているのだから、顔を見せて挨拶しておくのが筋というもの。それに、上棟式には旨い酒とご馳走がつきものだ。タダメシあるところに沢村和穂あり。この機会を逃す手はないだろう。




 下り電車を乗り継いで二時間たらず。建物の密度は徐々に下がって、合間に雑木林や畑が顔を出す。

 先輩の新しい実家は、なにかの跡地らしい広い敷地をきれいに区分けした一画にあった。到着したのは日がやや傾きかけた時分で、現場はちょうど休憩の頃合い。二人で相談して持ってきた差し入れの大福は、あっという間に彼らの腹におさまってしまった。

「遠いところ悪いな」

「あなたが沢村くん? 聞いてるわよお、お料理上手なんですって?」

「いいから」

〈先輩〉が急に〈息子〉の顔になるのを見てついニヤニヤする。案の定、先輩に強めに小突かれた。

 先輩の両親はあまりくたびれたところのない、きちんとした印象の人たちだった。俺の地元は田舎なので、みな日に焼けてもっと土っぽいかんじがする。故郷を離れて都会に出ると、かえって元いた場所の輪郭がはっきりするから不思議だ。

 せっかくだからと骨組みのなかを案内してもらうことになった。上機嫌の松橋父が図面を広げながらここがリビング、風呂、寝室と基礎をまたぎながら家の中を巡る。敷地は思ったより広く、老後を考えて一階だけで生活できるようにしてあるのだという。田舎の屋敷ほどではないが、立派な家だ。

「先輩んちって金持ちなんですか」

「いや別に」

 そこそこの金持ちというのは総じて自覚がないものである。俺は良識ある大人なので、そのへんは突っ込まない。

 休憩が終わると、およそできていた骨組みが、屋根まで一気に組み上がった。職人たちの息の合った動きで木材が収まっていくさまは心躍るものがある。腕組みして感心する先輩の横で、俺はばっちりムービーを撮っておいた。

「沢村くん、それあとで送ってちょうだい。そうだ、連絡先教えたほうがいいかしら」

「やめてよ、親と同居人がつながってるとか俺地獄だよ」

「俺はべつにいいですけど」

「ほんとやめて」

 屋根の上に防水シートをかけたら、本日の工程は終了。そしてまもなく上棟式がはじまった。

 神主は来ないらしく、棟梁が場を取り仕切る。先輩が自分一人は嫌だというので、俺もなぜか家族枠で参加することになり、絶妙な居心地の悪さを味わう羽目になった。基本は棟梁の言うなり、先輩など隣で無になっている。考えてみれば施主側として上棟式に立ち会う機会もそうないので、これはこれで面白いと思うことにした。

 二礼、二拍手、一礼。松橋父が棟梁たちにご祝儀とお土産を渡して、その場はおひらきとなった。

「あっさりしてんすね」

「よくわからんが、儀式ってそういうとこあるよな」

 ふと振り返ると、近所の人なのだろう、年長者にまじって子連れの母親や中学生くらいの子どもがちらほら様子を見に来ていた。聞けば、このあたりで餅まきをすること自体ひどく稀なのだという。先輩が恥ずかしがる理由がすこしわかった。

 そして本日のフィナーレ、餅まきである。餅は街の和菓子屋にあらかじめ頼んだもの、個包装されたものが紅白とりまぜて箱いっぱいに詰まっている。

 松橋父が足場をのぼり、松橋母があとに続く。敷地の前にはいつの間にか軽くひとクラスぶんの人数が集まっていて、俺たちはその後方に控えた。棟梁も結局帰らずに様子を見守っている。

「これ俺たち別にいらないよな」

「まあまあ、たまに顔見せるぐらいいいじゃないすか」

 我ながら殊勝な台詞だ。他人の親には優しくできるものである。

「えー、本日は、お忙しいなかお集まりいただきまして……」

 まずは施主の挨拶。松橋父はひどく緊張しており声が小さい。松橋母が背中を叩くたびに徐々にボリュームが上がる様子が調子の悪いスピーカーみたいで、俺は笑いをこらえるのに必死だった。息子は隣で苦い顔をしている。

 挨拶が語りの様相を示しはじめると、場がだんだんしらけていった。よく知らない人間の長話ほど興味の湧かないものはない。まるで他人というわけでもないから、俺まで落ち着かない気分になってきた。

「おかあさーん、お餅まだあ?」

「しっ!」

 このやりとりに、どっと笑いが起きる。

「ごめんねー、もうすぐだよー!」

「はーい!」

 ナイスちびっこ。どうやら松橋家は母のほうが肝が据わっているらしい。我に返った父が「そういうわけで、今後ひとつよろしくお願いします」と雑に締めて、餅を両手につかんだ。

 そのへっぴり腰に、どうも嫌な予感がした。

「それーっ」

 威勢のいい掛け声とは裏腹に、餅はばらばらとこぼれ落ちる。放物線を期待していた人々がどどっと前のめりにずっこけて、その間を子どもたちが走り回る。

 見ていられない。

「先輩、ゴー!」

「えっ」

「あんな縁起悪い餅まきないっすよ、もっと景気よくやってもらわないと」

「たしかに」

「水撒きの要領っす、行って!」

 先輩が足場を駆け上がる間に第二弾。少しはましになったが、もうみんなアンダーレシーブの姿勢で構えている。

 そこへようやく息子が登場した。先輩は狼狽える両親をガン無視して餅をひとつかみ、大して表情も変えずに声を張り上げる。

「どうも、息子です。んじゃいきまーす!」

 ……意外とこのひと大物なのかもしれない。

 腰だめにして高く放つ。餅はきれいに宙を舞い、待ち構える人々の手が高く上がる。西日がいやにドラマチックで、思わずスマホのカメラを向けた。

 それからは予想以上の大盛りあがりで、俺も土産におこぼれをひとつふたつ拾う。ふとした拍子に目が合った棟梁にニヤリと笑いかけられ、なにかが報われた気がした。




 目論見どおり寿司をたらふくごちそうになったので、餅を食べるのは翌日ということになった。和菓子屋が丸めた餅だから、忘れないうちに食べ切るのが一番だ。

「あんこ買って帰りましょうかね」

「俺、からみがいいなあ」

「大根おろしてくれるんすか」

「すいませんでした」

 翌日の朝メシにちょうどいい、という話まではしたのだが、俺が朝遅く起きたのがまずかった。

「ちょちょちょちょちょ息子!」

「なんだよ居候」

「あっ、どうも……じゃなくて何焼こうとしてんすか!」

「餅」

「そうじゃなくて!」

 餅まきの餅は焼いてはいけない、ときつく言い聞かされて育った身としては信じられない光景、先輩はいままさにオーブントースターのつまみを回そうとしている。俺はあわててすべての餅を回収した。

「マジでなんなの」

「あのねえ、家建てるときにまく餅は焼かないんすよ、家が焼けたら困るでしょ」

「縁起かつぐ系か」

「そうっす!」

 もうヤケクソである。いまいちピンときてない先輩は放っておいて、俺は小鍋に水を張って餅を放り込んだ。沢村家は働かざるもの食うべからず、餅の茹で方ひとつとっても幼い頃から叩き込まれている。餅の打ち粉でとろみのついた湯がふつふつと沸き立ってしばらく、箸でつついて取り出してみると、杵つきらしい弾力をもったかたまりが茹で上がった。

「いっちょあがりい」

「おおー」

 適当な小鉢にとって袋入りのあんこを絞り出し、冷蔵庫を開ける。

「え、おまえ、なにそれ」

「なにって、バターですけど」

「うそお」

「マジっす」

 ナイフでめいめいすくってごろっとひとかけ。熱々の餅の上で、バターがぐにゃりと形を崩した。

「小倉バタートースト的な」

「そうそう。俺けっこうやりますよ」

 先輩の疑いはひとくちで晴れた。もちもちにからむバターの塩気、あんこの甘さもいくらかまろやかになる。信じがたいのはわかるけど、眉間に皺を寄せながら頬張るのはちょっとやめてほしい。

「ところで初の餅まきどうでした?」

「うーん……結婚式のブーケ投げるやつってこんなかんじかなって思った」

「花嫁かよ」

「いや、けっこう楽しかったよ」

 そう言ってほろりと笑う。先輩はさいきん、学生の頃には見たことのない顔をするようになった気がする。

「……先輩ってけっこう人たらしっすよね」

「なんだよ、人聞き悪いな」

「無自覚かよ、褒めてんですよ」

 本当にこの人はなにも考えていないのだ。それでも美味いと言われれば張り切ってしまうのだから、俺も大概だよなあ、と餅をのばしつつ天を仰いだ。

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