色の無い天使、数字の輪

夢葉 禱(ゆめは いのり)

プロローグ:戴冠式には銀の月桂冠を

 初めに考えたのは、何故まだ意識が残っているのかという事でした。しかし、暫くするとこれが不可思議な体験である事に——わたしが既に死んでいるにも拘らず意識を保っているというおかしな前提を含めても——気が付きました。

 見えている映像が視覚に頼ったものではない事はすぐに分かりました。わたしの居た部屋はリノリウムの床から壁、天井のボードに至るまで全てが白で構成されていましたが、今感じている白、この新しいクオリアはより共感覚的な、0や1に近い色をしていました。何より、わたしの視点はわたしの頭の上10センチ、未だに光を放ち続けているHALOの輪っかのその上の、かなり高い所にありました。死んでしまうと意識も神経も魂も全てが無意味に溶け合ってしまって、巨大な一つの感覚になってしまうのかもしれませんし、あるいは、HALOから零れた意識の欠片が最期に見せる幻なのかもしれませんでした。

 見えていない筈でしたが、確かに扉の向こうに、人が立っているのが分かりました。先程からもうずっとそこに立っていて、クローバーと桃の色をした滲み出るオーラで、扉を開けようか開けまいか、どうしようかという迷いが伝わって来ます。やがて、意を決したのか扉が開いたようで、白い空間に四角い黒い穴が空きました。あるいは、黒い空間に白い穴が開いたのでしょうか?区別が付きませんがどちらも同じ事でした。

 部屋にやって来たのは先生でした。わたしを見上げて驚いてしまったのでしょうか、纏っていたオーラが吹き飛んで行ってしまいました。ここでようやく、わたしはわたしの身体に目を向ける事を思い出して、そうして、わたしはわたしの身体を見てみました。

 ルーシーは派手に終わらせてくれたようでした。

 視点が高かったのは、わたしがベッドの上に吊り上げられていたからだったようで、天井に蹄鉄型に埋め込まれたレールに海月の触腕のように並ぶマニュピレータが、今は協力してわたしを持ち上げていました。見れば、わたしの胸から下は消失して、そこから零れたモノがシーツを真っ赤な海にしています。残った二本の腕は羽ばたくような格好に広げられて、身体中に繋がるチューブやコードは最早役目を失って、蜘蛛の巣のように放射状に広がる、わたしの姿勢を固定しておくためのワイヤーの役割を果たしていました。そうして、わたしの頭上で怪しく輝く天使の輪だけが、照明も落ちたこの暗い部屋の中で唯一の光でした。まるでグロテスクなエイリアンの母体か、巨大な蓑虫が爆発したかのようです。光は灯台のように回転して順番に部屋の中を照らし出して、壁に錯視の影を躍らせています。蜘蛛の巣から滴り落ちる鮮血が床にロールシャッハ模様を描いて、全ては万華鏡に閉じ込められたようにお互いに反射しながらゆっくりと回転して回転して。一定の周波数で鳴り続ける福音の音色の継ぎ目の無い滑らかで直線的な金色の輝きは天文学的に長大な弧を描いて、わたしは夢で踊った事象の地平線を思い出します。先生はもう悲しみの群青色を脱ぎ捨てて、揺蕩う黄金色のオーラが彼を包み込んでいます。惚けて動けない彼を一人残して段々と部屋はその輪郭を解かしてゆきます。四角が解けて、バターはフライパンの上で泡立っています。塗りたくられた油絵具のように野暮ったい意識は混沌であって、“闇が深淵の面にあり、光が水の面を動いていました”。全てが眩暈のように原初の混沌へと溶け出してゆく中で、わたしは“旋回半径立入禁止”の注意書きを尻目に下へ下へと落ち込んでゆきます。核ミサイルがマッコウクジラと植木鉢に変身するように、意味は無意味に帰着して、わたしは母なる原子的エネルギーの抱擁を受け入れます。下へ、下へ!四つの川を越え、わたしは振り返りません。

 そうしてわたしは、消えてゆきます。

 おちる夢から覚める——

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