十五、
正直なところ、僕はこの頃マユミちゃんのことをほとんど考えることがなかった。ただ、父と年に何回か会うと話を聞かされるので、自分にそんな叔母がいたことを思い出す程度だった。マユミちゃんは酒屋の仕事を辞めた後、パソコンの学校に通った(もしかしたら父が学費を援助したのかも知れない)。それから、派遣社員として事務の仕事についたが、またすぐに首になった。年齢的にもう水商売も難しいし、手で字を書いたり数を数えたりするのも難しいから他の仕事はもっと難しい。自分もいつまでも援助を続けられないから……と父は話を締めくくって、コーヒーをすすった。僕はそれを、うんうんと言いながら聞いていた。でも本当に、うんうん以上の感想はわかなかった。あの古い家で(最近は雨漏りがするから、直してやりたいのだが金がないと父は言った)一人で暮らしているマユミちゃんのことはそれ以上考えられなかった。
僕は自分の将来を心配するようになった。僕と玉木慈はあの後再会し、昔の思い出話に花を咲かせた。彼女は相変わらず笑顔の可愛い女の子だった。僕たちはそれからも何度か一緒に出かけ、ついには付き合うようになった。彼女の好きな声優イベントにもついて行ったりして、それは楽しいことだったのだが、同時に悩みができた。自分の進路のことだ。
僕は栄養学の研究者志望で、大学院進学を希望していた。つまり、定収入のない日々がさらにあと数年間続くということだ。玉木慈は文系で、早々と企業の内定をとっていたから、卒業したら金のない僕は捨てられてしまうのではないか……楽しい時間を過ごしながらも脳裏にはそんな不安がよぎるようになった。
僕は玉木慈のアパートで、ルーから作るカレーやだしからとる化学調味料不使用のおでんを作ってあげた。彼女はカレーの具を同じ大きさに切ることができず、おでんのこんにゃくに切り目を入れるという高等な芸はやる気がなく、時間をかけてだしをとるという悠長なことは面倒がって味の素でいいんじゃないと言って、それよりゲームをしたり声優雑誌を読んだりする時間を惜しんだ。だが、僕が作るものは美味しい美味しい、まるでプロみたいと喜ぶので、僕はひとまずこの女の心を繋ぎ止められたことに安堵した。本心がどうであっても明るく振る舞えるのは、僕が子供の頃に身につけた悲しい特技だった。
平日は母と同じマンションの部屋で暮らして、週末になると慈のアパートに行った。母はというと、新しい交際相手ができて、週末になるとそのおじさんが僕たちのマンションにやって来た。おじさんは僕にも優しかったが、僕は二人に気を遣ったのだ――僕はいつも誰かに気を遣う星の下に生まれているのかも知れない。
本当は、心のどこかでマユミちゃんのことが気になっていた。僕が会いに行ったら喜ぶだろうかと考えたりもした。だが、僕は人からは優しいと言われるが、その実他人の苦しんでいるのを見る勇気のない男だった。あまりいい話を聞かないマユミちゃんのことは、なるべく考えないようにしていた。
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