第820話 誰かの母代わりをしてきた偉大なお節介へ向けて

 背中に新種のおんぶ妖怪『姉なるもの』を張り付けて、小休止をかねて酒保のお婆さんのお店を冷やかしにきた。時間を考えると離れまで休みに戻るのはちょっと遠いんだよね。


「揃いも揃って無視してからに。ええ度胸やでホンマ」


 弟の頭をガシガジしながら文句を垂れないで頂けまいか。なお比喩でない。


 ろくろちゃんの外見はあくまで人化術によって作ったもの。そしてこの姉は何気にかなり器用なほうらしく、物と生き物の境界を柔軟に揺らめかせることができる。


 なので人間ならアゴが外れるような大口を開けて、まるで傘が閉じるように人の頭に噛り付く事もできるのです。客観的に見たらだいぶ怖いかもしれない。


 手に寄生した人喰いエイリアンと共闘して別の寄生者と戦う有名な漫画のワンシーン。あれを思い出すな。顔が割れてバクンッってやつ。


 いや普通にいてえよ。そろそろやめて。ワンタッチ傘に指の皮を巻き込まれた気分だわ。


「やかましいわ。あの黄ばみネズミに何を吹き込んだんやこのクソガキが」


 ご本妖怪ご本人相手にもう一回言うのは恥ずかしいなぁ。あんなの正直大した根拠も無い勢いで吐いたセリフだし。


「言うのが恥ずかしい事を言ったんかい! こおぉぉんの!」


 もう許さんとばかりにおんぶから肩に駆け上がったろくろちゃんによって、むんずと頭の天辺を踏まれる。絵面的には肩と頭に一本づつ足を乗せられている状態だ。


 踏み台昇降運動スタート直後のポーズと例えれば分かりやすいだろうか。


 しかし白猫城は廊下の天井も実に高い。屏風覗きの背丈と合わせても、まだろくろちゃんの頭がつかえない高さとは。これも空間をあれこれする術の効果なのかな。


「お帰りなさいませっ、屏風様」


 頭にフットスタンプの激震が走るより前になんとかお店に辿り着く。


 すると店の奥にある従業員用の部屋的な場所から、黒い犬耳をピンと立てて顔を出したのは秋雨氏だった。


 彼女は素早く履物を履くと、耳と同じく黒くモフい尻尾をブンブンしながら目の前まで小走りに駆けてくる。


 お店でお帰りなさいはいささか違う気もするが、この店に関しては秋雨氏にとって実家に近いので間違いではないかもしれない。


 それにしても機嫌が良いな。何か良いことでもあったようだ。たぶん店主に余り物のお菓子でも貰ったのだろう。


「おやおや、傘から笠に商売替えかぃ?」


「む゛ぉや?」


 同じく部屋からヒョコリと頭だけ出してきたのは赤と青。式神コンビである。これはもう離れと変わらない面子だな。


 足長様は小さなお口いっぱいにお茶請けを含んだようで、実に幸せそうにモグモグしておられる。黄な粉まみれの口を見るにウグイス餅か信玄餅あたりだろう。


轆轤ろぐろ様に、白石じろいし様、とばり゛もがい? 上がりなさいあがんない


 不意に天井から濁音のある独特の声で話しかけられて上を見ると、にっこりとした老婆の顔をお腹に張り付けた巨大な蜘蛛が我々を出迎えてくれた。 


 こちらを見下ろすのはボーリングやバスケットボールほどの球をふたつ繋げて、それに足を付けたくらいのサイズの大蜘蛛である。


 この方こそ酒保の主、酒保老だ。


 最大の特徴は蜘蛛の腹に当たる部分に生々しい老婆の顔があることだろう。よく見ると体毛由来の模様なのだが、これがまあ感情でもあるように生き生きとして見えるから初見はかなり恐ろしかった。


 というか正直に言うと今でも若干怖い。どうもこの方は人化けなされないようで、出会ってからずっと蜘蛛の姿である。


 しかしこのお婆さんは観ての通りの蜘蛛の妖怪だが、秋雨氏にとって母や祖母代わりと言っていいくらい親しく、お世話になっている方だ。

 秋雨氏も彼女の事をとても慕っていて、独り立ちした今もよく酒保さんの下に通っている。


 今回はそれに手長様と足長様もお呼ばれした模様。なんとなく孫を連れて実家に帰省した感があって微笑ましい。


 ちなみに酒保さんは白ノ国の建国前からいる古参メンバーのおひとりであり、立花様を初めとした重職はもちろん、何より白玉御前様からの信頼が厚い。


 なので下手な重役よりよほど発言力のある隠れた重要妖怪物人物方だったりもする。


 しかも若手の面倒もよく見てくれる方なので、それもあって新米妖怪はもちろん世話をし終わった中堅たちにも強い影響力がある。なので白の役人たちは何かしら弱みを握られている方がほとんどだそうな。


 いるよね、現場のパートとかに。こういう正社員より頼りになるベテランのおばちゃん。超怖い。


 そうして思わずポカンと見上げていたら、ろくろちゃんが蜘蛛の糸で瞬く間に吊り上げられて踏んでいた足の感触が頭から消えた。


「ちょお、おう? 酒保老、この、放せや!」


 派手なのが好きな姉にしては珍しく落ち着いた白。ではなく。


 吊られてジタバタするろくろちゃんにかまわずキリキリと糸を巻き上げたお婆さんは、『人の頭なんて踏んではいかん』的な事を言って姉という暴君を諭していた。


 やがて観念したろくろちゃんを見て『ひぇひぇひぇっ』と、入れ歯の飛んだお婆ちゃんみたいなイントネーションで笑う。蜘蛛なのにどこから発声しているのやら。


 そういえばとばり殿もあんな感じにパワー寄りで諭されてた事があったなぁ。クレームブリュレを作った時だったか。あのときはひとり1個だというのに複数確保しようとして酒保さんに叱られていたっけ。


「よ、余計な事を思い出さんでいいっ」


 入るなら早く進めと腰をグイグイ押してくるとばり殿。さっきから身分が高い方が多いからか、今日はいつもより口数が少なくて寂しいかぎりでございます。


 あと君のパワーで強引に腰を押されると椎間板ヘルニアになりそうだから優しくして。







「こっ恥ずかしい、なんやそれ」


 同じ『親代わりをしてきた者』として察するものがあったのか、ろくろちゃんに代わって酒保さんに話を促された。


 それで仕方なく茶席での内容を打ち明けると、それまで不貞腐れていた姉は途中から体が痒いみたいに身もだえ始め、最後は番傘の姿をとって畳に転がってしまった。


 たぶん顔が赤くなっているのを見られたくなかったんだろう。人に化けるのがうまい付喪神は生き物の新陳代謝まで再現してしまうため、汗をかいたりよだれを零したりと生物と同じ肉体反応ができるのだ。


 お酒に酔って吐いたりとかもね。なので無意識に赤面くらいはしてしまうのである。


 自分からよく褒めろ言うクセに、どうも自分がいないところで心から褒められるのは恥ずかしかったらしい。


「黄の先代様は屏風様の語る轆轤ろくろ様の母としての有り方に感服し、勝負の負けを認めたのですね」


 さすがですと、事のあらましを聞いた秋雨氏が大きく感心してようで何度も頷く。ろくろちゃんの生き方は一本スジが通っていて好感を持ったようだ。


 自身が母の記憶などほとんど無く、むしろ自分が妹たちの母代わりをしていた秋雨氏にとって共感する話だったのも大きいだろう。


「見事な口八丁だねぃ。突けば破ける程度の理屈だが、それをさせずに相手を引かせるあたりがおまえらしいよ」


 手長様にはすぐに気付かれたか。あの理論は穴だらけだと。


 あの場では否定したけど、黄金こがね様が気紛れで下座に座る可能性は大いにあった。

 建国者としてプライドがあるのは事実としても、山育ちで堅苦しいのが嫌いなのも事実。その場の気分でどっちに座ってもおかしくなかった。席順で確実に見分けるなど不可能である。


「あい」


 そんなことより餅でも食えば? みたいな顔で竹楊枝に差した黄な粉まみれのお餅を差し出してくる足長様。


 酒保さんのご厚意でたっぷりと上等な黒蜜の掛かった信玄餅をたくさん頂いて上機嫌のようだ。そのお口は拭いても拭いても黄な粉まみれになっている。


 まあ仕方なし。小さい子でなくとも難易度が高いお菓子だものね。しかもこれ室内でくしゃみでもしようものなら片付けが地獄絵図になるお菓子でもある。


 手長様でさえ口元に若干ついているのだから黄な粉の厄介さは言うまでもない。思わずこちらも拭かせていただくと、実に迷惑そうに首を逸らされた。哀しい。


 ―――子育てとは大変だ。最初から聞き分けがよく、怪我も病気もしない手長足長様のようにはいかない事ばかりだろう。


 それこそこんなおままごと程度の事しかしていない屏風覗きでは分からない、口に出せないような苦労も山のようにあるのだと思う。


 御前をお育てになったろくろちゃん。秋雨氏をお育てになった酒保さん。妹の面倒を見てきた秋雨氏。足長様を可愛がる手長様。


 命を育んできたその努力に。尊敬と感謝を。


「あいっ」


 問答無用でお餅突っ込まないで。あとやっぱり黄な粉多いな。ゲホッ。

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