第127話 別視点。とばり、胸に残るは熱と言葉

「押し返せっ!!」


 数頼みのねずみも纏っている蓑火みのびも、身に触れなければ物の数ではない。印を組んだ術者によって洪水の如き大群は空中で押し止められ、やはり洪水の如く跳ね返る。

 ある一団は底無しの水堀に落ちて溺れ死に、ある一団は下敷きになったねずみと共に長物を持った兵たちによって叩き殺される。

 攻め上がる場所が一か所に限定される地形ここなら、数が減った我らでもまだまだ持ち堪えることが出来る。持ち堪えねばならぬ。


「もはや終わりぞ」「卑しい猫は討ち取ったわ」「降伏すれば助けてやるぞ」


「ならば首でも持って来い!! 大嘘つきの溝鼠どぶねずみが!!」


 口々に偽りを吐いてこちらの戦意を挫こうとするのがその証拠。他も戦ってる何よりの証だ。その程度の舌戦で心揺れるほど守衛四方隊は温くない。


「術落ち!」「交代!」「油を撒け! すぐ燃やすぞ!!」「動けぬ者は引っかけて下げろ!!」


 とばりが指示を出さずとも力を使い果たした術者の叫びで、すぐさま代わりの者が交代する。後方から渡された油壺を持った近くの兵の手で、術の防御が甘くなるであろう場所に油が撒かれ、火炎によって一時凌ぎの防壁が築かれる。

 そして疲労で朦朧としている兵と術者たちが火に巻かれぬよう、後方から伸びた袖絡みによって引き倒され、強引に後ろに下げられた。日々の修練は部下を、とばりを生かしてくれていると実感する。


 火炎による不利益は体格の小さい者ほど大きい。とばり達にはたき火程度の炎でも、ねずみの体には全身を包んで余る地獄の業火となる。無理に炎の壁を抜けたねずみ共は油にまみれた全身を火に包まれ、その場でのたうち回るか、さもなくば自ら堀に飛び込んで死んでいく。


 防御は万全。しかし、諜報戦という見方をしたらじり貧と言わざる得ない。蓑火みのびによる印付けによって少しづつ、少しづつ、とばり率いる守衛隊が守る『国興院』への正しい道順が暴かれていく。


 外部からの応援は期待できない。とばりは御前より賜ったまじないがかりの苦無のご加護によって、空に浮かぶ妖しい月の幻惑を受けなかった。だが、そうではない部下のほとんどが戦えなくなり、最小の人員で地下から雪崩れ込んできたねずみの大群から『国興院』を守らねばならない事態に陥っていた。


 他でも月の影響を受けているとすれば他に手を貸す余力はあるまい。ならば、たとえこの身が鼠に齧られる最後の壁一枚となっても、『白ノ国を興した始まりの地』を穢させはしない。


 残った兵たち誰一人とて、ここから逃げ出す臆病者はいない。

 本当は皆、死にたくないと内心で叫んでいるだろう。それを心の奥に隠して踏み止まる姿こそが雄々しい。死にたがりに勇敢な者はいない。死を思わぬ者に勇気は芽生えない。


 死にたくないと泣きながら、それでも戦う事こそ勲なのだ。


 おまえたちを誇りに思う。私には勿体ない兵たちだ。


 すでに術者のほとんどが限界だ。術の壁が破られればねずみの濁流が押し寄せ、纏わりついた端から我らの肉を貪るだろう。


 いよいよとなればこの身に油を被り、ありったけの炮烙玉を巻き付けて巣穴に突貫してやる。少しでも多く道連れにしてやれば、それならあるいは残った部下だけで凌げるかもしれん。


 従える者として、仕える者として、これが正しい行いだ。そうでなければならない。


 何度も何度も何度も、守衛隊のとばりは自分に発破をかける。ここが踏ん張りどころ、ここがご奉公のしどころだぞと。死にかけたとばりを自らの手で救って下さった御方に、ここで恩を返さずしてなんとすると。


 頭の中に樟脳の香りがチラついて、肌に感じた体温を思い出して、口を強く引き結ぶ。


 『がんばったな』それはおそらく、この世の何処ででも聞ける何気ない賛辞。よくある褒め言葉。とばりとて使ったことのあるささやかな称賛。何も特別なものではない。


 それはおそらく、一匹のはぐれからすが、生まれてから欲しくて欲しくてしかたなかった、何も特別なものでもない、何処ででも、よくある、ささやかな


 『認めてくれる』言葉。


 おまえはまた、褒めてくれるか?


 最近妙に付き合うようになったあの変わり者は今、遠く国境に役目を果たしに行っている。町の異変さえまだ気付いていないだろう。それでいい。どうにもならんなら、いっそそのまま下界に逃げてしまっていい。

 幽世は、妖怪の住まう土地はおまえみたいな緩い人間には初めから向かなかったのだ。喰われる前に逃げて、二度と戻ってくるな。


 私は、もう大丈夫だから。


「隊長!? 何をなさいます!!」


 油を被っただけだ。後は火薬を抱いて己ごと鼠の穴へと飛び込むだけよ。


 焦りも絶望も、もう感じない。凪いだ湖面のような気分で北の空へと目を向ける。あの遠く向こうにあいつはいる。焼け砕けてこの身が軽くなったら、ひとっ飛びでいけるだろうか。ならば火だるまもそう悪くあるまい、そう思っていた。


 遠く暗黒の空に、城へと続く輝く白い道が作られた。それは色は違えど、とばりは誰よりも知っている。


 湧き上がるのは怒りと羞恥。自分は何を酔っていたのか、ここで踏ん張り切らず何処で踏ん張る!!


「押し返せ!! 勝利の風はこちらに吹いたぞ!! もうひと踏ん張りだ!!」


 背水の陣。隊長自ら油を被り、突貫の意志を示した気迫は兵たちに最後の気力を振り絞らせた。


 ほどなく紫の月が消え、空に色が戻った頃には、彼らは持ち場を守るどころか大逆襲を果たして巣穴のねずみをただの一匹も逃さず殺し尽くしていた。元凶である湧き出すねずみの主は、骸をとばりの苦無で貫かれて完全に絶命し、その死に顔は『何が起こったのかわからない』とでも言いたげな表情で強張っていた。


 勝てると高を括った者と、死に物狂いであらがう者。その対決は些細な切っ掛けで流れが変わったとき、津波のような逆流となって緩んだ側に襲い掛かる。


 まして、守衛組四方隊が一隊、第八の隊を預かるとばりの『詰め』の突撃を受けて怯んだ臆病者が立て直す間など、一呼吸とて与えられはしない。






 あれから混乱する部隊を再編成し、手酷く荒らされた設備の固め直しや怪我を負った者たちを後方に移送するなど些事に追われた。特に城まで抜かれ御前の一歩前まで敵の侵入を許したと聞いた時の、皆の動揺を抑えるのは大変であった。私自身、未だ持ち場を離れて確かめに行きたい衝動に苦慮している。


 それにしても御前を守り切ったと噂される功労者の中に轆轤ろくろ様、胴丸の他に、屏風あいつの名前が上がったのは意外だった。確かにあの時、空に浮かんだ、そして今も浮かんでいる白い道の輝きで、屏風のやつも城下に戻っていると分かってはいるのだが。


 思えば私はなぜ、屏風のやつが来ていると知って、急に『これで勝てる』と思い込んだのか。たしかにあいつの術は凄い代物だ。しかしそんな程度の理由でああまで気力が湧くものか?いやまあ、なんだ、たぶん他の場所がどうなっているのか判らないとき、目に見えて頑張っている仲間がいると分かったことで勇気付けられたのだろう。


 別に屏風あいつだから、という訳ではない。他意は、無い。


 翌日。こちらがまともに湯浴みをする時間も無くお役目を果たしているというのに、雀共の話ではあの馬鹿者は翌日の丸一日、湿布の臭いをまき散らしながら『失くし物』を探していたと聞いた。あの呑気者のこと、昼にひょっこり顔でも出すかと思い、間抜け面を叱ってやろうと身構えていたのが馬鹿らしい。


「この非常時に」「やはりあれは下郎です」「止口札を乱用するなど」「必死に探していたのは借り物の『短刀』だそうですよ? フヒッ」


 困ったやつだな。

 そいつはきっと、失くし物が出てこないと顔も見せられないと思っているのだろう。本当に、困ったやつだ。


 



「なんだ、これは」


 替えの衣服を用意を命じたのはとばりだ。いい加減、拭い切れない油に辟易し、なんでもいいから着れそうな物を持って来いと、曖昧な指示をしたのもとばりだ。油を被り、巣穴で土と返り血で汚れに汚れ、ちょっと洗う程度ではどうにもならないくらい全身余すことなく汚れたせいである。


 それこそ水面に映る己の姿を見て、一発で服の新調を決めるくらい汚損したための止むを得ない出費。その代わりを手に入れに行くための、最低限見れる服を部下に用意させたのだが。


「ぷりいつ、すかあと、でございます」


『すかあと』。黄ノ国で流行りの、着物を上下に分割したような衣服の下側。それもだいぶ丈が短い。膝どころか腿まで見えている。肩に伸びる二本の細い帯で吊って支える衣服らしい。規則的な折り目は何のためにあるのか見当もつかない。


「夏服しやつ、でございます」


『しやつ』。同じく黄ノ国で流行りの着物を上下分割したような衣服の上側。それもだいぶ生地が薄い。肌にぺたりと張り付くと襦袢のように透けてしまう。腕にいたっては二の腕半ばで生地が無い。腕を水平にすると横から腋を覗けるくらいだ。


「そつくす、でございます」


『そつくす』。やはり黄ノ国で流行りの丈の長い足袋のようなもの。どういう素材か柔軟に伸び縮みし、足にピッタリと張り付く。足袋と違い足の親指を分けずに他の指ごと包まれてしまうのが気に入らない。


「上履き、でございます。フヒッ」


『上履き』。黄ノ国で流行りの靴とはまた違うのか? 足先と踵まで覆う形をしていて草鞋のように柔軟で、これは存外悪くない。しかし中に鼻緒が無く、足の指で絞められないので飛んだり跳ねたりするとすっぽ抜けそうだ。


 なぜ黄ノ国の衣服がこんなにも、そう思っても持ち場を動けず用意させたのは己。拭うだけでは油が落ちず、未だ大変な状況の中でも風呂に入ることを勧めてくれた部下たちに感謝こそすれ文句など言えはしない。


 ただ、この衣服、ずいぶん用意が早かったようだがいつから手に入れていたのか。こんな破廉恥な恰好をしたがる者が隊にいるというのは、ちと問題だな。私と体格の似た者か、なら雀の誰かであろうか。


「素晴らしき」「愛らしゅうございます」「まこと眼福にて」「現世の童のための衣装でございます、フヒッ」


「総員、直れっ! 座れっ!」


  その場をクルクル回っていた雀たち以下、持ち回りでこの場に残り、チラチラとこちらを伺っていた部下たちが一斉に正座する。その顔は『やり過ぎた』と明確に語っていた。


 さては貴様ら、命ずる前から私に着せるために用意していたな!?


「この馬鹿者どもが!!」

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