筆草

比良

暗中模索

 眠っている間に見るのは幼い手がページをめくる姿。過去を幻視しながら未来を夢想する。本に描かれているのは憧憬、嫉妬、成功、苦悩。無邪気に手が届くと信じて進んできた道を振り返ることもせず、先だけを見て走っていると足元に転がる石にも気づかない。転んだ拍子に額を切って、流れ出た血が目に入る。瞼は赤に綴じられて方位の感覚が失われた。いくら涙を流しても血色の蝋がもたらす闇は掃えない。


 臆病な私は走ることを止めた。手足をべったりと地面につけて這うように進む。視界が機能しなくなり、方位も分からないから、渦を描いて陣地を塗りつぶす。世界を塗り広げていると時々手に触れるものがある。手探りで形を確かめる。

 あるときはそれは割れたガラスだった。私の手から体温が流れ出してゆく。あるときはそれは石ころだった。投げつけるとどこかで耳を裂くような音が鳴る。あるときはそれは本だった。懐にしまうと体が少し重くなる。


 やがて懐にしまった希望が私を雁字搦めにして進むことができなくなる。歩みを止めるわけにはいかないから、中身を確認することも叶わず捨てて行く。先へ進むほどに置いていった本が気になって仕方ない。もしかしたらそれは、幼い頃に私が読んだ本かもしれないと、捨てた希望が呪いになって帰ってくる。

 いつの間にか、懐にしまったはずの希望がすべて呪いに変わった。前に進むことが億劫になる。先へ往くためには呪いを断ち切らなければならない。それは幼さと強く結びついていたから、大人になったふりをする。もう、眠っても夢を見なくなった。


 手も膝も擦りむいて傷だらけになった。また一歩と進んで周囲を探ると、手に冷たい感覚が走って支えが失われる。とぷんと音を立てて落ちるとともに周囲の音が遠くなる。重力が失われ、息ができない。冷静に、体の力を抜いて手足を広げる。顔が空気に触れる感覚と共に呼吸を取り戻す。傷だらけの手足に冷たい水が染みる。それを生きている証だと信じてやり過ごした。

 やっとの思いで顔を拭うと瞼を拘束する血塊が取れる感触。久しぶりに目を開く。光を取り戻して岸に戻ると自分の進んできた道が見えた。血の跡が渦を描いて辺り一面を塗り潰している。私は血の跡を辿って自分の道を振り返ることにした。

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