"HAPPY END"

紫鳥コウ

 雪国の夜の窓は寂しく冷えきっている。触れると、手のぬくもりが一瞬にして凍てつくだけではなく、目をそむけたくてたまらない現実を、静かな憂鬱が包みながら、脅迫の手段として強盗がナイフでそうするように、否応なく問いかける形で突きつけてくる。


 七時。窓から見下ろした先のアトリエの明かりが消えた。あたりが田んぼで囲まれたこの学校が、よりいっそう不気味さをまとった。ぼくは自分の席に急いで座り、差し迫ったセンター試験に向けて過去問を解きはじめた――解くふりをした。アトリエからこの教室に彼女がくるまで、ぼくは「ふり」をするしかなかった。


 耳をすますと、消えてしまったストーブの音が聞こえてきた。そして、廊下から足音も響いてきた。だんだん強くなっていく足音。ピアノの鍵盤を左から右に順番に弾くように、一足一足に異なる彩りがあるように思える。そんな感覚をおぼえるのは、ぼくが彼女のことを好きだからにちがいない。彼女は、ぼくにとって特別な存在。ぼくの調律された五感を狂わせる魅力を十二分に持ちあわせている。


「おっ、やってるねえ」


 彼女の第一声はいつも同じようなものなのに、聖書やクルアーンに刻まれた啓示のひとつひとつが、信徒たちにとって異なる息吹を感じさせるように、一度きりで二度と繰り返されない、かけがえのなさがある。


「はあ、卒製たいへんだわ」


 そう言って苦笑する彼女に、ぼくもまた似たような顔をして応えようとするけれど、仏陀のほほえみが天上天下唯我独尊であるように、それを真似することはどうしてもできない。


「もうすぐ最後の冬休みだね。尾木野くんはずっと勉強で、わたしはアトリエでひたすら絵を描いて。なんだかお互い、青春のまっただなかにいる感じがするよねえ。たいへんだけど」


 ベージュ色のコートのボタンを留めながら、宇喜多さんは独り言のようにそう言った。「また明日」――宇喜多さんは手を小さく振って、教室から姿を消した。ぼくは、この日も、相槌を打つことしかできなかった。

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