外伝:騎士への憧憬(大矢先生視点)
これは、俺が双葉に出会った四月の話。
☆
俺のことを最初に騎士と呼んだのは、俺が最も愛した女だった。
何があっても私を守ると誓ってね、あなたは私の騎士なのよ。そう言って儚げな横顔を見せていた。
俺は、必死で守っていたつもりだった。
だけど、守りたい相手が一人ではなくなった時、全てが壊されるようにして俺の世界から消えた。
「――!」
何か叫んで、その自分の声で飛び起きる。荒い息のまま目覚まし時計を見ると、朝の5時。まだ外は薄暗く、新聞配達のスクーターの音が遠くに聞こえる。
吐き出した溜息の音が大きく聞こえる。より狭い部屋に越してはみたものの、自分の中で響く音は消えてはくれない。
布団の周りは、物とゴミが混ざりカオスだ。子供時代にこんな状態になったことはなかったから、発達障害とかそういうものではない。単純にもうどうでもいいのだ、俺の人生は終わっている。
睡眠が短いことにも慣れてしまった。俺はいつものようにファミレスで時間を潰そうと、クローゼット代わりのカーテンレールからスーツ一式を手に取った。今日は入学式だ。輝人の妹が入学する。
ドリンクバーのコーヒーをがぶ飲みしても、式典中の眠気は消えないものらしい。
俺はあくびを噛み殺しつつ、体育館の隅で新入生達を眺めていた。俺も彼らを担当する話があったのだが、気が付いたら立ち消えになっていた。正直、それでよかったと思う。俺はあの中にいるという、輝人の妹に合わせる顔がない。俺があいつを守れなかったことで、妹の人生はいばらの道になってしまった。
――男という生き物は、弱い者を守ってこそ価値がある。
これが俺の親父の口癖だった。厳しく頑固なクソ親父だったが、この教えはいい美学だと思う。俺もそんな男になりたくて、ボクシングを習った。教師を目指したのも、俺を喧嘩から守ってくれた教師をかっこいいと思ったからだ。
だけど社会に出てすぐ、俺は自分が男として失格であることを思い知らされた。輝人の事件がきっかけで、俺はすべてを失ったのだ。いや、その前からほころびは起きていた。輝人が悪いわけではない、俺の駄目さ加減が露呈したのだ。
「それでは、新入生の名前を読み上げます。呼ばれた生徒は、返事をして一度起立してください」
一年生の学年主任になった、林先生の声がスピーカーから響く。毎年思うが、この学校のこの儀式だけは謎だ。最初に赴任した中学では、全新入生を一人一人読み上げるなんてことはしなかったぞ。
うんざりしているのはおくびにも出さず、生徒が次々と立ち上がるのを無表情で眺めた。一年一組の点呼が終わり、二組の点呼もそろそろ終わる、という時だった。
「渡辺双葉」
「はい」
思わず俺は、二組の末尾の席を注視した。立ち上がる少年――いや、ブレザーにタイだから女子だ、その人間の見た目に驚愕した。
女子だと分からないほどの短髪は輝人と同じ。小さくつぐんだ口も同様だ。
しかし、見るものすべてを射殺そうとするかのような眼光は、輝人とは異なるものだった。手負いの子猫が、辺りかまわず威嚇する様子を連想させる。
見るからに気弱だった輝人は、こちらに助けようという気にさせるやつだった。しかしあの妹はきっと違う。助けを呼ぶどころか遠ざけてしまうように思える。
守るべきじゃないのか。そう胸がざわついた。
助けなければ、もっとひどい事が起こる予感がする。
だけど俺と彼女には接点がない、俺には彼女を守れない。
入学式から終わっても、心の中はざわついていた。
新学期が始まって早々に、妹の担任になった東が彼女をネタにして嗤い始めた。注意するものは誰もおらず、ただ俺だけが葛藤を抱えていた。
数日して、委員会の最初の会合が開かれた。俺はなんとなく図書委員会を引き受け、図書室で開かれる第一回目の会議に出席した。すると、そこには。
――いた!?
渡辺の妹がいた。少しざわついた生徒のなかで、ただ一人誰とも絡まずじっと佇んでいる。
俺は、読書用の机に座る面々の前に立った。
「さて。まずは挨拶から始めようか。一年生から順に名前を言ってくれ」
俺は一年二組の女子だけに注目した。彼女は立ち上がり口を開いた。
「渡辺双葉です。よろしくお願いします」
――ふたば、双葉。それがコイツの名前。
『あなたは私の騎士なのよ』
いつか言われた忌まわしい言葉が、急に福音のように蘇った。
そうだ、俺は今度こそ双葉を守り切ろう。この図書委員の時間いっぱいを使って、双葉の心を少しでも守るんだ。男は弱い者を守らねばならない。
俺は双葉を守ろう、双葉の騎士となろう。
俺は、俺が誇れる男になりたいのだ。
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