第40話 いつか知られること

 救急車は10分もしないうちに到着した。カシワギさんは意識を回復しないまま、救急隊員の人々によって教室から運び出された。

 私は抱え込んでいた責任から解放され、立ち上がるのもやっとなほど疲れていた。対してクラスの面々は、非日常を目の当たりにして興奮気味だ。他のクラスに迷惑だと言いたいが、そんな気力は残っていない。


 教壇の方を振り向くと、東先生が虚ろな目で騒々しいクラスを眺めていた。お団子ヘアは解れるように崩れ、曲がってしまった指示棒は教卓の上に放置されている。心が折れた、そんな言葉がしっくりくる情景だ。

 私はなんだか不安になった。こんな人間を、私はどこかで見た気がする。


 そこに、林先生が大股で入って来た。

「東先生」

 東先生はびくりと肩を震わせた。まるでいたずらを見つかった子供のように、怯え切った様子で林先生をゆっくりと見上げた。

「あの、私、は」

「だいたいの話は、養護の越智さんから聞きました」

 東先生は、震えそうな声で言った。

「――私の、私の責任です」

 すると、林先生がなぜか微笑んだ。そして東先生の背中に、労わるように手を置いた。

「歩けますか」

 東先生は口をはいと動かし、うつむきがちに歩き出した。その背中を抱くようにして支えなから、林先生はクラスの全員に向かって大声で言った。

「今日は全員帰るように。宿題を持ってきた人は、教卓の上に置いておきなさい」

 その言葉をきっかけに、教室の中はガタガタと騒がしくなった。三々五々とクラスメイトは去っていく。

 林先生は、教室を出る前に私の方を向いた。

「渡辺」

「はい」

「今日は、お疲れ様」

 優しい笑みを向けられて、私も釣られて微笑んだ。林先生はそのまま、東先生を支えながら教室から出て行った。


 


 自分も帰ろうと荷物をまとめ、廊下に向かうところで白い物が目に入った。戸村君に頼んだ担架が、まだ放置されている。

「やばっ」

 私は鞄を肩にかけて、担架のある場所に向かった。

「どっこいしょー。――いてててっ」

 担架を抱え上げた途端、背中に痛みが走って床に落とした。そういえばさっき、倒れるカシワギさんを庇って背中をぶつけたんだっけ。

 すると、戸村君が慌てたように駆けてきた。

「俺が持ってく!」

「いいよいいよ。持ってきてくれたのも戸村君じゃん」

「だけど今、背中痛そうにしてなかった?」

「そうだけど……じゃあ、お願いしようか」

 私は少し迷ったが、担架を戸村君の方に押し出した。戸村君は担架を受け取って、代わりに自分の鞄を差し出した。

「代わりに鞄持って。両方持つと重いから」

「うん、分かった」

 私は戸村君と一緒に教室を出て、保健室に向かった。


 廊下に出てしばらく、戸村君は沈黙したままだった。並んで歩く私は、気まずい空気に胃が気持ち悪くなってきた。

 もうすぐ保健室というところで、戸村君がやっと口を開いた。

「あの、さ。聞いたんだけど」

「うん」

「お兄さんがいなくなったとかっていう、話」

 ――やっぱり知ったんだ。

 私は大きく息を吐き、一旦冷静になってから頷いた。

「そうだよ。小学校1年の時に行方不明になって、お父さんが殺したんじゃないかって噂された。そのせいで知らない人から家が攻撃されて、私もいじめに合ってた」

 小学校の学区では、誰もが知っていることだった。中学校に上がり学区が広がったところで、すぐに話は広まると思っていた。

「隠してたわけじゃないけど、自分から話す話でもないから。ああでも、知られない方が楽かなあ、くらいは思ってたけどね」

 笑って振り返ると、戸村君は立ち止まって勢いよく頭を下げた。

「ごめん」

 急に謝られて、私は少し慌てた。

「なんで、どうしたの」

「俺、ずっと思ってた。なんで渡辺さん、みんなと仲良くしないんだろうって。いじめられてたんだろうなとは思ったけど、勇気を出せばクラスの輪に入れるのにって。可哀想だからって、上から目線で挨拶とか押し付けた」

 戸村君は、担架の棒を床に立てるようにして、すがるように寄りかかっていた。表情を隠すようにうつむいているけれど、その顔が後悔に歪んでいることは容易に分かってしまう。

「俺は何も分かってなかった。だから、謝りたくて」

 ――どこまで知ってしまったんだろう。どこまで自分を責めたんだろう。

「いいよ。戸村君が頑張ってたこと、今なら分かるから。戸村君は何も間違ってないよ」

 確かに私は勇気がなかった。あらゆる親切をはねつけて、誰が敵になるのかと怯えていた。そのくせ自分からは何も変えようとせず、何をされてもなすがままだった。


 変えてくれたのは、大矢先生の一言。

『話そう』の、たった一言。


「あ!」

 私は、唐突に今日の予定を思い出した。ついでに隠しておいた『アレ』のことも。

「戸村君ごめん!私、図書当番だった!今日の当番私一人だけだから、もう行かないと!」

「あ、うん。――じゃあこれ、俺が返しとくから」

「ごめんね、鞄ここに置いとくね!」

 私は戸村君の鞄を保健室の入り口の脇に置き、手を顔の前に垂直に立てて『ごめん』のポーズをした。

 慌てて駆けだそうとしたとき、戸村君が呼び止めた。

「渡辺さん!」

「何?」

 振り向いた私に、戸村君は一瞬黙った。

「あの、多分俺のせいとかじゃ、ないんだろうけど」

 僅かに言い淀んで、覚悟を決めたように叫ぶ。

「渡辺さん、すごく明るくなった!あと髪もだけど、その、かわいい!」

 私の頬が、急に熱くなるのを感じた。何と答えてたらいいかぐるぐる悩み、結局大声でこう言った。

「あの、ありがとう!またね、さよなら!」

 そこから私は、全速力で廊下を走って戻った。

 ――かわいいってなんだよ、喜んでいいのか照れていいのか、全然分からないよ!

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