人間オセロ

國 雪男

本書を読む前に

【オセロ】とは 

 縦横8ずつ計64マスの盤と、白黒の二面の丸い駒を使う二人用のゲーム。交互に必ず相手の駒を挟むように駒を置き、挟んだ駒を自分の色に変えてその数を競う。

『goo辞書 オセロの解説』より引用。


 「犯罪を犯したことがあるか?」と聞くと多くの人は「ない」と答えるだろう。

 では、「犯罪は悪か?」と聞かれたら、あなたは何と答えるだろうか。世間はおそらく「犯罪は悪だ」と答えるであろう。

 世間とは社会であり、社会とはその時代を象徴するものである。従って、社会にとって「犯罪=悪」であるならば、そこに暮らす私たち現代人は犯罪と対立せざるを得ないのだ。「犯罪=悪」の方程式が続く限り、その時代に生きる人々の多くは犯罪とは無縁の人生を送ろうとするに違いない。なぜなら、誰しも自分の存在や行いを「悪」と定義づけられることへの恐怖を抱えているからである。

 人間は集団的動物である。それ故に、その集団から外れまいとする性質がある。集団の中で初めて自己を認識でき、生きる価値を見出せるのである。

 逆に、集団から外れた動物は行き場を失い、孤立するか、最終的には無に帰すのが世の常である。

 とすれば、多くの人間が恐れているのは実は死ではなく、悪なのであると言えよう。

 すべての生物に死は平等に訪れる。しかし、その価値は平等ではない。人格者の死は悼まれ、世紀の大犯罪人の死は世間に喜びと安堵を与える。家族や友人の死は心の傷を作るまでに衝撃的だが、他人の死には無関心なものである。

 こうしてみると死とは選択であり、権利でしかない。人間が恐れるべき対象ではないのだ。

 真に人間が恐れるべきは「無に帰す」ことなのである。つまり自己に価値が付かないということへの恐怖心を備えているべきなのだ。

 そして、その無に帰す者の多くが備えている性質は「悪」なのである。故に多くの人間は悪を忌み嫌い、悪とは無縁の存在でありたいと願うのである。

 自分が悪でありたくないがために善を求める人々は人間らしいと言えよう。この反対に、社会から「悪」と定義づけられた人間もいるが、彼らは悪というレッテルによって自己の存在を消されないように同志と結社することができる。この場合、彼らもまた人間的であると言えよう。なぜなら、この両者はどちらも悪を忌み嫌うという点で等しく人間的であるからだ。

 この人間的な両者は時として立場を入れ替えることがある。

 例えば、ドイツの独裁者アドルフ・ヒトラーは、現代では冷酷な殺戮者として知れ渡っているが、別の側面からみるとドイツを経済破綻から救った英雄とされているのである。ヒトラーが戦時に失業者の完全雇用を目指して公共事業に力を入れ、ドイツの経済を回復するだけではなく、現代まで残るアウトバーンや緑豊かな自然公園を建設したのは有名な話である。

 このように、人間は集団に属する動物である以上、善悪の価値判断を求められるのは逃れようのないことなのだが、その善悪ですら時代や社会によって異なったり、立場が入れ替わったりするということを覚えておいてもらいたい。そして私たち現代人は、個人に委ねられた善悪の価値を社会に照らし合わせて考える責任があるということを理解してもらいたい。いわば生きるための責任のようなものだ。

 ただしここに一つ、責任を負わずして生きている例外がある。それは「善にも悪にも属さない者」の存在である。

 彼らは善悪の価値判断や立場の主張を好まない。なぜならそれが最も安全だと知っているからである。

 例えば、自分が善であるが故の悪との対立は、時として自分を悪に導きいれることがある。また、善悪の価値判断をし、どちらかに身を置くことは、時代や社会によっては自分が悪の立場になる可能性も秘めている。それだけ流動的な善悪という価値は、彼らにとっては「無に帰する」条件の一つであると言えるのだ。なぜなら自分が「悪」として定義づけられるその瞬間の先には、「集団に属さない自分」が想定できるからである。だからこそ「善にも悪にも属さない」という選択が一番の安全策であるように思える。

 そして現代は、善にも悪にも属さない者にあふれ、それがあたかも一般的であるかのように映し出されている。

 しかし、彼らが手にした「何も唱えないが故の正義」は、よくよく絶対的な善の立場をとるのだが、実は最も悪徳で罪深いということにどれだけ気づけているのだろうか。

 この一冊は、現代に安心しているすべての人に読んでもらえると幸いである。私もその一人であると自負するとともに、その恐怖をここに記していきたい。

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